14時46分発~パンドラの函を開けて

3・11以来、自分の中で変わってしまった何かと向き合いながら短歌を作り、書きつづる。それが今の自分にできること。

ひとり

2009-11-26 22:09:41 | 3.11震災以前(芝居・映画)
   


    ああ、一人 おらより弱いものはなく
            ちくしょうみんな死んでいきゃがれ


  
    さびしいぞ とことん寂しと飯を喰い

            ブクブク肥る女になりてえ

紳士と宝くじ

2009-11-24 19:38:35 | 3.11震災以前(芝居・映画)
 分相応に生きるのは、なかなか難しいものです。
 元来見栄っ張りな性分なのか、それとも生活環境がそうさせるのか。友人が来るとついつい、気が大きくなる。というのか、大盤振る舞いする癖が抜けません。本心は、嬉しいから、そうなってしまうのですが。
 友人が帰った後は貧窮します。

 そんなわけで今日は「年末ジャンボ」宝くじの発売日。おまけに大安です。買わないわけにはゆきません。
 池袋の東口まで来ると、売り場に行列が出来ていました。
「まあいいや、明日もあるから」と行列は見送り、四ツ谷まで出ました。恩師の紹介で、大学時代から入っている研究会に出るので、もし四ツ谷に売り場があったら、そこで買うつもりでした。ところが窓口まで来たら、全く気が乗りません。1分ぐらい立っていたけど気が乗らないのです。
 研究会を終えて「そうだ、お地蔵さんのところで買おう」と思って帰りました。

 帰り道。
 ご利益で有名な「お地蔵さん」の少し手前、衣料品店の横に小さな宝くじ売り場があります。お地蔵さんに気を取られていると見過ごしてしまうほど、小さなと売店です。
 なぜか今日は見過ごすこともなく到着です。ずらり並んだ数台の自転車の隙間から窺うと、ガラス戸の内側に「しばらくお待ちください」というカードが立てかけてあるではありませんか。こんなことは滅多にないことです。ガックリうなだれて、しばらく立ち止まっていました。すると、後ろから
「なんだ、閉まってるのか」
 黒ずくめの紳士が立っていました。
 紳士というのは、その人は黒いフェルト帽を被り、黒いフロックコートを着ていたからです。今時黒いフェルト帽とは。まるで「笑うセールスマン」のような風情だと思いました。何となく立ち去りがたい気持ちで、思わず声をかけました。
「今来たところなんですけど」
「いやあ、なに売ってんの?」
「今日は、年末ジャンボの発売日なんです」
 並んで歩き出しながら、紳士は、私よりもがっかりした風な声を出しました。
「もう閉まっちゃったの? 今何時かな」
 
 笑うセールスマンよりはご高齢とお見受けしました。
「6時5分過ぎですから、6時に閉まったのかも」と私。
「しばらくお待ちください、って書いてあるんだから……また開くんじゃない?」
「ですかねえ……そう……かもしれませんね。戻りますか」
 お寺の寸前で、私たちは引き返しました。そして、売り場の前に立ちました。
「お、電気がついてる。ああ、開いた!」
 目の前で、巻き上げ式の白いカーテンがクルクルと巻き上がり、若い男性の顔が現れました。
 紳士は得意そうに私を振り返りました。
「おっしゃるとおりでしたね。戻ってよかったですね」
 こんな展開になるとは思ってもいませんでした。

 紳士は10枚、私はセコく3枚を、連番で買いました。私の後ろに、もう小さな行列が出来ていました。「今日は何の日?」とか「私も買うわよ」とか、おば様たちの賑やかな声が聞こえます。
 帰りに、霊験あらたかなお地蔵さんにお参りしたのは言うまでもありません。そして、再び紳士と出会いました。
「いよっ! お参りして来たよ」
「私もこれからです」
 互いに片手を挙げて、にっこりしました。

on the corner

2009-11-23 15:23:54 | 3.11震災以前(芝居・映画)
 人を恋う気持ちは、望郷の想いにとても似ている。

 だから……ボロディンの「韃靼人の踊り」を聞くと、私は、涙が出る。

   「風の翼に乗って、故郷まで飛んでゆけ 祖国の歌よ」

 こうして歌いだされる「韃靼人の踊り」は、イーゴリ公の郷愁の想いを歌ったものだという。 
 

 久しぶりに短歌を作った。

   いずこへも出さぬ手紙の末尾には夏の川原を歩きしことを

   望郷という恋歌ひとつ口ずさむ われ韃靼に棲む人なれば

   恋い恋いて永遠(とわ)にまみえぬ故郷に死ぬまで踊り続けていたい


 私はいつも、曲がり角にいる。
 その曲がり角で、いつも同じ間違いを繰り返す。

ネットで、一人

2009-11-21 17:53:59 | 3.11震災以前(芝居・映画)
 このところ寒いです。

 特に19日は異常なほどの寒さ。吐く息も白く、まるで『冬のソナタ』か『雪国』か。でも一人ではなかったし、防寒対策もばっちりしていたので、それほど気になりませんでした。上野で、先輩の書道展があり、見学の後一緒にお茶して、夜は、芸術劇場でタイのお芝居を観たり……と忙しくしていました。

 ところが昨日。
 1日部屋に篭っていたら、体がどんどん冷えてきて、寒いのなんの。寒くなる一方で、ついに、部屋履き用のブーツを通販で購入。到着したばかりのブーツを部屋で履いています。でもね……悪くはないけど、これ、動きにくい。転びそうです。
 夕方から、また冷えてきて、ワインを少しと鶏コラーゲン鍋をしても温まらず、夜になってまたワイン。ボジョレーとは無関係の国産激安ワインです。

 これでは、もう、たまらない! 
 夏の、室温38度に慣れた体には、室温15度なんて、もう真冬。悲鳴を上げるのです。血が一気に凍るんですかねえ。防寒用のジャケットを買うしかありません。そこで安いものはないかと、ネットで市場調査。するとユニクロが60周年記念セールをやるという。なんと朝の6時から、21日の限定で。
 そこで、今朝。
 8時頃に、池袋のユニクロへ。すでにヒートテック等の限定品は完売。そこで最新のダウンコートを値引き価格で購入。フリースのコートを買うつもりだったけど、ためしに最新のダウンコートを着たら、断然かっこいい。値段は数倍高いけれど、目が離せなくなり、ダウンを購入しました。

 検索にかなり時間がかかり、イライラしましたが、あらかじめネットで商品とサイズを調べていたので、購入後の後悔が全くありませんでした。
 この時、頼りになるのは「クチコミ」情報です。以前、「クチコミ」を悪用したネット犯罪もありましたが、製品をより詳細に知る大きな手がかりになります。これがまた、読み出すと結構面白い。こんなことまでいちゃもんつけるの? 的な、書き手の「細かい性格」なども滲み出ていて、ニタニタしながら、思わず全件読んでしまったりするのです。

 さらに面白いのが、クチコミの、関係のつながりといいますか。
「○○さんも書いていたけど」「でも、私には腕がきつくてー」とか、「みなさんもおっしゃっているので」などという、「クチコミ」のつながり方です。ちゃんと情報交換になって、関係がつながっているんだなあ。そこがとても面白い。
「人はつながりを求める生き物だ」とよく言うけれど、私は、逆のいい方もできると思うんだ。

 つまり、どんなことからでも「関係」を作ってゆける。それがヒトという生き物ではないのか。こういう「クチコミ」を読んでいるとそんな風に思えるのです。
 

フィギュアスケートとSF映画

2009-11-18 10:43:05 | 3.11震災以前(芝居・映画)
 今年も、フィギュアスケートのグランプリシリーズが始まりました。私は今でも愛読しているバレエ漫画の影響で、バレエやフィギュアスケートが大好き。(ちなみに漫画は山岸涼子の大ファンです。) 
 第1回フランス大会でのキム・ヨナ選手は凄かった。正直なところオリンピックまでに、日本選手の全員が、この「キム・ヨナショック」から立ち直れないだろうと、危惧していました。
 ところが先日のアメリカ大会。キム選手が世界最高得点を出すかどうか、注目が集まりました。しかしフリーの演技で失敗。これは私の予想通りの結果です。(キムさんごめんなさい。)もともとフリーは苦手のキム選手、最高得点のプレッシャーに勝てる強さはないと踏んでいました。
 そういう点では、安藤美姫や浅田真央にも言えることなのです。安藤選手はトリノ・オリンピックでのトラウマ、浅田選手はSPトラウマがあります。私は、トリノのトラウマを乗り越えて、カナダで観衆を魅了する安藤選手に期待しているのです。
 
 そんなことより、先日のキム・ヨナ選手。SP「007」の演技を解説した荒川静香さんの言葉です。
「この世界観をよく表現していますね」

 こりゃまた、なんと世界観とは。荒川さんーそこまで言うの? と、不思議な気がしました。だって「世界観」ですよ。この言葉は私にとっては凄いことなんです。 
 私はゲームはやりませんが、これは、コンピューターゲームでよく使われ出した言葉ではありますまいか。
 特にRPGあたりで「このゲームにはどういう世界観があるのか」みたいに使用されていたと、思うのです。世界観が共通していないと互いにゲームができないからです。
 それがだんだん、ジュニア小説あたりに普及し、「これは、どういう世界観を持った物語か」という風に使われ、よく緑色の目の高校生やヴァンパイアを主人公にしているので、世界観が設定されていないと物語が作れないからです。それが昨今、SF映画では、日常的に使われるようになったと、理解しています。

 「世界」は普段使います。
 が「世界観」なんて、今まであまり使わなかったんだなあ……特別に、現実世界と対比する世界を設定した場合にしか「世界観」は使われることはないと思っていました。
 ところがです。今では、フィギュアスケートの演技にまで、使われるようになったんですねえ。驚きです。荒川さんが思わず使われたのかどうかは別としても、意識の中に日常的に入り込んだ言葉として、違和感なく発せられるようになっているのですから。驚きました。

 そこで、「世界観」ですわ。
 SF映画も嫌いではない私ですが、何といってもベスト1は「ブレードランナー」ですね。すでに古典ですが。あのディックの原作をよくぞここまで換骨奪胎してエンターテイメントにし、かつ叙情性を失わず、映像的にもすぐれ、と絶賛したい。ところが最近は「ターミネーター」のそれも「サラ・コナー・クロニクルズ」にはまって。ツタヤでシーズン1を借りたら、1週間後にテレビ放送が始まりました。
 この「サラ・コナー・クロニクルズ」の世界観の良いところは、「未来を変えるためには、今を変えるしかない」というメッセージにあります。このメッセージは「ブレードランナー」にはなかったように思います。
 一方「ブレードランナー」にあるのは「人間とは何か」というあくなき問いかけです。記憶、あるいは記憶が導く互いの関係、そうしたものへの回顧です。「ターミネーター」にもそれがないわけではありませんが、敵がアンドロイドからロボットに変わり、敵対関係がより明白になり勧善懲悪の色彩が濃くなっています。
「今を変えるための、あくなき戦い」が肯定的に設定されているのです。それが良い悪いかは別として、とてもアメリカらしい「世界観」だと思います。

直すことと、治ること

2009-11-16 22:13:32 | 3.11震災以前(芝居・映画)
 いやあ、昨夜は眠ることが出来ませんでした。
 なにせ、日曜日に、膝と腰をボクッ、ボクッ、ですからね。

 20代の頃、ベッドでブリッジをして腰がボクッとなり(ベッドで柔軟体操などするものではありません。とても愚かでした)、激痛と共に、翌朝全く動けなくなったという恐怖感は、抜きさしがたいものがあります。今でも体全体が覚えています。
 以来腰痛が持病になってしまい、あのボクボク音を聞けば、今朝は絶対に起き上がれないと思っていました。
 そう思ったら、不安で眠れず、眠れぬままに、あることをしていました。

 なんと、お経をあげておったのです! あげていたのは真言です。

 老年学の知見によれば、信仰があることは、老後の重要な支えとなっているだけでなく、障害のある方や不安を抱えた人の、大きな生きる支えとなるといわれています。
 そこで、ひたすら、真言を唱えていました。真言の、なかでも光明真言と呼ばれるものを一心に唱えておりました。

 訳語によれば、この真言を唱えれば、罪ある女人も極悪人も、浄土に導き、病苦を除き、よろずの願いを成就するというもので、この功力(くりき)は、「絶対に疑ってはいけない、信じなさい」というものです。昨夜は疑いと信心の間で揺れながら、それでも信じて、真言を唱え祈っていました。

 目覚めると、おかげさまで、なぜか起き上がれるし、歩くこともできました。

 まだ半信半疑で不安もあり、念には念を入れて、行きつけの整体に行ってきました。よほどのことがない限り、私は整形外科ではなく整体に行きます。なぜ外科ではなく整体が好きなのか。その理由が今日わかりました。
 整形外科は、レントゲンを撮って、状態の把握から原因を見つけて処置するだけです。処置と称して、時には、さして必要でもない痛み止めの薬をくれたり注射を打ったりします。

 ところが整体の最大の良いところは、心と体を気持ちよくさせてくれることなんです。

 勿論、「押して」「揉んで」は、痛いです。
 その痛いのが気持ちいい……といいますか。歪んでしまったものを矯正するのですから、痛いです。でも痛いから治るような気がするのです。体が軽くなって、気持ちいい。だって、腰に鉄板が貼りついたような痛みと、不快感が、帰る頃には取れているのですから。

 外科的治療が、おもに直すことに主力を置いているなら、整体は、治ることに働きかける治療と言えるのかもしれません。

 失業者からむげにお金は取れないと「赤ひげ」みたいな先生で、治療費をおまけしてもらい(世の中棄てたものではありません)、真言の成力か、はたまた先生の手当てのお陰か。怪我の方はそれほどでもなく、事なきを得ました。
 いずれにしろ、しばらくお経をあげたほうがいいかもしれませんね。老年学の知見を自ら実証するためにも。



 

重い槍で、ボクッ・・・

2009-11-15 13:31:57 | 3.11震災以前(芝居・映画)
 もうじきお昼になろうかという頃、実家から荷物が届きました。2ヶ月に1回くらい、季節の果物や野菜や惣菜などを詰め込んだ荷物が届きます。

 正直なところ、嬉しくもあり、面倒でもあり……

 以前、3ヶ月ほど自費出版系の、小さな出版社に勤めていました。ちょうど同時多発テロが勃発した、「9.11」が初出勤の朝でした。結局、その出版社は社長の意向と合わずに、辞めさせられたのですが、その会社で教わったことで非常に役に立つことが一つあります。
 それは都会と田舎の生活習慣の違いが、いかに、人に影響を与えるかということです。

 小さな出版社では、書店経由での搬送より、直接、依頼者に発送する方が多いくらいなのですが、そのとき、田舎者の私は荷物の底が抜けてはいけないと2重にガムテープを貼っていました。すると、
「ばかもん、そんなに貼ってどうするんだ!」
 と、社長の罵声が飛んできました。
 社長は苦りきった顔でこう言いました。
「こういう本を買うのは、マンションで一人暮らしの高齢者なんだぞ。そんな所で、こんなにテープがべたべた貼ってあってみろ。おばあちゃんが一人で剥がすのだって大変なんだ。よく考えろ」
 俳句や短歌をおもに手がけている出版社でした。購読者のほとんどが高齢者で、しかも女性です。本が重い上に、運ぶのも大変なら、その梱包をほどくのさえ、高齢女性の細腕では大変なのです。だから、それを考慮して簡単な梱包に、重くなりすぎないようにしろという指摘でした。
 確かに社長の言うのはもっともなことでしたが、指摘されるまで、そんなこと考えたこともありませんでした。我が家のやり方では、荷物は崩れないよう、中身が出ないよう、しっかり詰めて、しっかり括るというのが、決まりでしたから。
 ハッとしたのは、その出版を翌年の正月明けに社辞めて、実家から荷物が届いたときです。
 ガムテープが3重に巻いてあり、その上から、丁寧に細紐で括ってありました。そのやり方を見て、私は思わず笑ってしまいました。しかも、とても重い。うんざりするほど重いのです。
「あ、ははは。おんなじだあ。この厳重さは父親ゆずりだったんだ。お父さんも私も、田舎者だあ、ははは」
 一部屋しかない狭い居間に、荷物をヨタヨタと運び、何重にも巻かれたガムテープを剥がし、寒い思いをして、最後に段ボール箱を崩して片付け終えるまでに、ぐったりしてしまいました。(その時の括り紐は、下駄箱の奥に、長い間仕舞ってありました。)

 大切な荷物がダメにならないように、いっぱい送ろうという「思いやり」は、都会の狭い部屋での暮らしには、まさに「重い槍」になっていたのです。

 その事実に気がつくまでは、そんなこと当たり前だと思っていたのに、それを意識してからというもの、荷物の「梱包」と「重さ」について、とても気になるようになりました。

 で、今日また、2ヶ月ぶりに届いた荷物……居間に運んだ荷物が予想以上に重くて、手が滑り、床に降ろす途中で腰と膝をひねっていました。「ボクッ、ボクッ」と、とても嫌な音がしました。いろいろ理由を考えますが、えてして事故や怪我というものは、気がついたときにはもう起こっていて、どうしてそうなったのかよくわからない、というのが本当のところです。
 
 明日は、起き上がれなくなっているかもしれません。整体へ行かなければならないかも……
 


慶祝の日

2009-11-13 00:22:53 | 3.11震災以前(芝居・映画)
 今日は天皇陛下即位20周年の式典があったんですね。
 どうりで、このところ警察官の姿が多いように感じていました。

 所用で清川まで行きました。ここは日雇いで暮らす人たちの、個室ホテルの林立する地域です。ホテルの生活相談員の募集があったので、様子を見に出かけました。
 自分の考えがいかに甘かったか、ということを思い知らされました。この仕事をやりたいか、やりたくないか、という判断の前に、私はやってはいけないような気持ちになったのです。
 何ともいえない気持ちで三ノ輪橋まで歩きました。日光街道の交差点まで出たら、街が明るく見えました。

 このところ、しあわせについてずっと考えていますが、今日一人で夕ご飯を食べていて、思いました。よほどのことがない限り、ほとんど一人食です。
 
 ただ自分ひとりの幸せというのは、あるのかなと。

 やはり、誰かに優しくするとか、優しくされるとか、あるいは何かをしてあげるとか、してもらうとか。他者に対して純粋に思いやりの気持ちで接することができること。見返りを求めて行うのではなく、そういう自然な気持のやり取りから受け取る、喜びや幸せの方が、何か深いような気がしました。

 というのも、昨日は仕事のことで急に相談したくて、友だちと渋谷で夕ご飯を食べたのですが。私はアドバイスを「受け取る側」だったのだけれど、夜はポカポカして、とても暖かく休むことができたのです。
 寒がりな私にとって、これから、夜のお風呂が入りづらくなってきます。冬の夜にお風呂に入ると体が温まるどころか、冷えて冷えて仕方ないのですが、この日は夜中にお風呂に入っても、寒くなかったんです。
 まだそんなに寒くなかっただけなのかもしれませんが…

 それにしても、もしもこれから福祉的な仕事に携わるなら、戒めとして、私には、清川のホテルの仕事はできないんだということを肝に銘じておかなければ、と思います。
 でないと、他者と「思いやり」をやり取りする幸せについて、語る資格はないような気がするのです。

新宿ベルク!(BERG)

2009-11-12 02:05:54 | 3.11震災以前(芝居・映画)
 新宿東口の端っこ、立ち食い蕎麦屋の向かいに、小さくて小粋なお店、BERGがあります。以前大学が新宿にあったとき、地下を探索していて偶然見つけました。でも、かなり雰囲気のあるツラ構え(店構え)に気おされて、入りそびれていました。
 そうなんです。ぺたぺた貼ってある手書きの広告や、ビラとか、味がある。女性がふらりと一人で入り、カウンターでチーズかなんかとワインを飲んでいると、とってもカッコよく見えると思います。
 勇気を振るい起こし、待ち合わせに友達と入って以来、気に入ってしまいました。ドイツの居酒屋風といいますか、知る人ぞ知る、素敵なお店です。写真はスペシャルブランチのビールセット、714円。とてもリーズナブルです。
 
 知る人ぞ知るというのは、2年ぐらい前からでしょうか。一方的な立ち退きを家主殿から迫られていて、――家主殿は某大手ビルであります――紛糾しているのです。
 店長さんのブログによれば、発端は一方的な家賃の値上げと、立ち退き要請らしいのですが。このところ家主殿から話し合いの要請が度々あったようです。

 私のような田舎者にとって信じられないのは、家賃の法外な値段であります。門外漢なので、大きな声でも言えませんが、「9月の文書では月400万だったのを、月330万にする…」というものです。

 「月400万だったのを、月330万にする…」といったところで、私の年収の2倍の金額が、たったひと月に! どっかんと消えるわけですね。ありえない数字です。
 「現在、ベルクの家賃は月250万くらいですから、150万から80万になったとはいえ、劇的な値上げと申しあげざるを得ません」と店長はブログに書いておられますが、全く同感です。
 3月いっぱいという退店勧告の期日も、「遺憾ながら延期する」といってきたそうです。

 心ある、古きよき小さなお店が、新宿の地下に不思議な空間を保っているというのは、とても貴重なことだと思います。
 こうしたお店の存続は、好きで通うお客さんの支援しかありません。支援というのはお店に行くことです。
 11月19日の、ボジョレーの解禁日には、ぜひぜひお出かけください。

献血・10回記念

2009-11-10 21:07:31 | 3.11震災以前(芝居・映画)
 今日は、杉並公会堂で古楽器を使ったランチコンサートに行く予定でした。
 以前、東京芸術劇場で古楽器のレクチャーと公演を聴いた時にチラシが入っていて、バロック時代の宮廷舞踏とあわせて、パッサカリアも演奏するというのでチケットも買っていました。
 ところが……。
 朗読の練習をしていたら面白くて、面白くて。今回のテキストは、名作『紀ノ川』です。
 つくづく思いますが、私は、こういう傾向の文学作品を、ものの見事に読んでこなかった人なので、師匠から出されるテキストが面白くてたまらないのです。毎回とても新鮮で、興味がつきません。朗読を始めたことで、今まであまりちゃんとやってこなかったことが、プラスに作用しているのです。
 教育者や評論家は、若いうちに本を読めといいますが、そんなこと全然関係ないと思いますよ。今の私は、何を読んでも「岩にしみいるせみの声」よりも深々と、心に沁みてくるのです。人間や社会に対する理解力や洞察力などを考えると、そこそこ年齢がいってから名作を読むのもいいと思うなあ。
 で、ついつい時間を忘れてしまいました。気がついたらすでに開演の時間。ランチコンサートなので開演が11時です。とても中途半端な時間だったのです。あーあ、「バロック時代の舞踏」と「パッサカリア」かぁ。見たかったなぁ、もったいないなーと思ったけれど、焦って西荻まで行くのも面倒になってしまいました。

 予定変更は私にとって日常茶飯事なのです。ずぼらななんですね、あっさり予定を変更。
 
 ハローワークで就職活動をして、献血に向かいました。
 気がつかなかったけれど、本日献血10回目ということで、記念の杯をいただきました。水色の杯です。お祝いのお酒をお飲みくださいということなのでしょうか。その後は30回目に黄色の、50回目には緑色の、100回目には紫色の、色違いの杯がいただけます。
 
 計測したら体重が減っていたので、ショックでしたけど。栄養不足なのかしら……気をつけないと。