おっぱいとわたし 2016.12.3右乳癌告知 HER2(3+)ホルモン陰性浸潤径1.5cmステージ1

告知時、37歳独身 卵子凍結済
時々糖質制限、栄養療法ネタあり😸

あえて、母との小競り合い

2017年04月16日 21時22分15秒 | 日記
さっき、すこし母とケンカしました。

そろそろ、。言わなきゃと思ってることを言った。

母も疲れていらいらしているのは、伝わってきますが

子供のまま、自分の感情のまま母親になってしまった私の母のおかげで
長い間の我慢、自分らしさの制御・・・大人になってしまった子供の自分がずっといたのですね。そういうものを開放しなきゃと思っていたので、言ってしまった。

予想通りの展開です。

今日は食事抜きかな。まぁいいや。
母が散らかし放題にし、わたしが片付けようとしては、もめごとの原因になってきた台所に入りたくないのです。

今は、とてもそんな余裕がありません。

独りで頑張ってるわけではなくサポートしてもらってるのですが

病気になったとき「ここから出て行って」「どっかいって」と言われたことに集約されてきた私の抑圧も認めて、怒りとして放出しなければ

今の状況耐えられないと思ってました。
さっきもウォーキングの途中で、やはりこれは開放しなければ、とおもってしたことですが

後味は悪いです。仕方ない。

母が理解してないことも承知ですから。

私の病気や私のことより、かなしいかなずっと自分が大事なのです。

それが、この年になってもすこし悲しい時もあるのですよね。

そういえば受診前の夢で・・・

2017年04月16日 16時46分36秒 | 日記
ほんとうに、さっき思い出したのだけど

昨日のMRIが決まった外来受診の前日にみた夢が

脳手術を受けた夢だった。(+o+)

手術を受けてる自分をもう一人の自分が診ている夢。
もちろん夢だから、リアルじゃないんだけど。

それもあって、ケモブレインかもって先生に申告するように導かれたのかしら?

昨日、眠れないこともあって
最悪想定をもしてみた。

最悪、最悪の結果があったら

人生の責任をおろすことができるんだなぁ。などと思っている自分。
最期の時は、わたしは
やっぱり彼にそばにいてほしいなぁ。
最期くらい。うそでもいいから。

愛してくれる家族より、自分が愛したものにそばにいてほしい。なんて
恩を何で返してくれるものなのか、と言われると思うが
今の私は、そういう気持であった。

もちろんサイバーナイフやガンマナイフや、できることはするつもり
(お金の続く限り。だけど)
でも、長く続く苦痛とは戦いたくない。

等と書いてるけれど

まだまだ私は、そんなつもりはない!
生きて治して、元に戻るのです。

ただ、なんで今回そういう想定をしてみたかというと

もう私の人生から「癌」という事実は離れることはなく
癌を経験したというのが私の人生の、もうひとつの代名詞にもなるのだから

しっかり、余裕のあるときに、私はどういう風に生ききりたいのか
どういう風に生きた証を残したいと考えるのか

それを考えてみようと思ったんだ。

でも、案外できることなんてあまりなくて

事前に癌と伝えている、ごく少数の人たちに経過を伝えること。
部屋を片付けること、各種友人の連絡先をまとめること
洋服を捨てたり本を捨てたり、家族に迷惑かけないようにしておくこと(断捨離ですね)
それくらいしか、思いつかなかった。

一回くらい独り暮らししておきたかったなぁ。
青春が私にはなかったなぁ。青春らしいこと、してみたかったなぁとか

それくらいしかなかった。

おおむね。私の人生が穏やかで幸せであった証拠に違いないのだ。
それだけは、はっきりした気がする。