Daily たけ

carpe diem -今を生きる-

今年一年の漢字

2005年12月29日 20時50分44秒 | Weblog
去年もやってみたのだけれども、今年もやってみよう。
今年、自分の一年に漢字をつけてみる。

今年は出発の年だった。そんなことを一年前は書いた。
ぼく自身の今年は「躍」

大きな階段を超えたというか、スイッチが入ったような
なんだかそんな感覚を経験して、確実に変わった(自己評価(笑))
そういうのをひっくるめて、躍動した。
去年よりも飛躍した一年。

まだまだ次の課題はある。
自分にできるのは一歩一歩その階段を昇るだけ。
時間を早めることは努力次第なんだろう。
どんどんとした課題がくるのが、なんだか面白い。

ナラタージュ

2005年12月21日 15時43分25秒 | Weblog
この本をこの2日間で、三回くらい繰り返して読んでました。
ナラタージュとは回想シーンのことで、この本も主人公の回想がメインです。
すごくどっぷりと浸かっていたので、まだ夢の中にいるようでなんだか実感が湧かない。
本屋では確か、今年読みたい恋愛小説第一位と宣伝されている本だと思います。
そしてその言葉に偽りはなかったなと。
しかも、著者がぼくと同じ1983年生まれ。
その事実にも驚きです。

この本は、太陽の光みたいな本だった。
太陽の光も色が無いように見えるのだけれども、実際は様々な色が混ざり合ってる。
この本もそう。不安、安心、悲しみ、喜び、嫉妬、尊敬。
そんないろんな要素が混ざり合って、透明な光になって閉じこめられている。

読者が何色の光を見るかは人によって違うと思うのだけれど、
ぼくにとってその光は過去は過去と割り切りつつも、
まだその息吹は自分の中にしっかりと残っている。
そしてそれはぼくの心の真ん中のあたたかいとこの近くで
ひっそりと息をたてて眠っている。

そんな光景を心を乱すような心地よさで、ぼくは感じた。
そしてその心地よさが忘れられず、本の中に自分の心を置いておきたい。
そう感じさせる本だった。

名古屋で雪が降りました

2005年12月20日 19時37分21秒 | Weblog
58年ぶり?の大雪だったみたいですね。
ぼくは寒かったので、バイトを入れてもらってバイトしてました。
家の中より、バイト先のほうがあったかいからさ(笑)

卒論が残り5分の1で終わりそう。
今年も10日で終わりそう。
終わりって何か切なくなりますね。

最近、ぼくのライフワークにしたいことができて、
(正確には前から知っていたけど、はっきりと決めた)
そのことを考えたりもしてます。

やっぱり、ぼくは普通の人とは違った生き方をしていくんだろう。
そんなときに友達と一緒にいる時間は本当にありがたい。
いろんな人と出逢ってきて、今の僕がいる。
つい忘れてしまうと、一人だと思ってすごく寂しくなる。
そして思い出すと、もっともっといろんな人と出会いたくなる。

無題

2005年12月16日 22時55分17秒 | Weblog
本田美奈子さんの追悼番組がやっていた。
本田美奈子さんはぼくは正直、亡くなってから初めて知った。
突然amazonでCD売り上げがほぼトップを独占していて、
それで亡くなったと知り、その後で歌手だったと知った。
そして白血病を治すために入院をしている途中だったとも。

テレビを見ていると白血病と闘う中、彼女が闘病中に書いた詩の中に、
こんな言葉があった。
「今はみんなにありがとうを言うときなんだ。」

無菌室の中で苦しんでいたはずなのに、携帯で撮られた写真や動画は
どれもすごく元気で笑顔に溢れていた。
さらに音楽を共に作っていた仲間から寄せられるメッセージ。

今となっては知るよしもないが、彼女はどう感じていたのだろう。
そして、死に瀕している彼女が見せた姿というのは、
私達が持っている本来の姿なんだろう。
全てに感謝をして、残るのは喜びだけ。
生きていられる、家族がいる、仲間がいる。

彼女は一度白血病が治って、退院したそうだ。
生きている実感をかみ締めながら毎日を送っていた。
その時、彼女は「太陽になりたい」と言っている。
明るくてみんなに元気をあげて、生きていく上で必要な存在。
けれども運命は苛酷なもので、彼女に再び白血病を発病させる。

ぼくは思う。彼女はじゅうぶんに太陽だったって。
今こうして闘病生活が語られ、彼女が病気から逃げなかった姿勢は
日本のどこかにいる病気で苦しんでいる人にとっての光となるだろう。
生きているときは歌を歌い人々に元気を分け与えた。
亡くなってからは病気と闘う姿勢が人々に勇気を運ぶ。

メディアが捉えられるのはここまでの本田美奈子。
そして、彼女の生き方・作品などはぼくたちの心に一筋の光をきらめかせる。
こういう光を投げかける死が、ぼくは本来あるべき死だと思う。
それは自分の周りの存在でもそう。一緒にいたペット、親戚の中の誰かとか。
心への光は死によってより一層輝きが増す。
だから死はとても尊いと思う。

わかってしまうことのこわさ

2005年12月15日 22時48分59秒 | Weblog
卒論がようやく三分の二終わったこんたけです。
結構楽しんだりうなりながら卒論を書いてます(笑)

ここ一ヶ月ほど自分自身に変化が起こっていて、いろいろと悩んでました。実は。
なんか、ディスカッションとかみたいな特に、何かについてコメントや意見を
話していたりするとき、その人が考えていることがわかるようになっちゃったんです。
そうなると相手の思考の枠、つまりパラダイムが見えてくるんですね。
それが自分にも当てはまって、どう考えていてその考えはこういう枠に囚われている
っていうのが自分自身もわかっちゃう。

今まではたいてい知らないことがこわいことで、それを乗り越えるためには
好奇心が一番の武器で乗り越えてきた経緯があったのだけれども、
今回は逆にいろんなことがわかってしまうからどうしていいかわかんなかった。
けれども、それも本当は知っているのにそれに目を向けたくない
自分がいるっていう事実も別に認識していたわけ。
そういった繋がりが、ある時から急に認識できるようになった。

分かってしまうことがこわい。
そう書いたのだけれど、その本当の意味っていうのは、
自分がいかに小さい思考の世界で暮らしているのかっていうこと。
自分自身は井の中の蛙状態だった。しかも、どうがんばっても蛙。
井戸から出たと思ってもまだそこは誰かの家の庭であり、
世界や地域からみてもすっごく小さい。

わかってしまうと、ついよりよいと思っている答えを話したくなってしまい、
それが相手にそこまで理解されないと、人は変えれないって思い出したり。
でもどうしていいか自分でもわからず、ちょっと苦しんでみてました。
けど、なんとなくちょっと感触が掴めてきました。
分からない方がいいこともあるんだなって思いました。
眠くてちょっと文章がばらばらですが…^^::

フォトリーのススメ

2005年12月13日 23時57分31秒 | Weblog
えっと、ぼくはこのブログで何回も話しているんですが、
一応フォトリーダーなんですね。
(わからない方はフォトリーディングでぐぐってみてください)

で、約一年半まえから身につけるように独学でやってきて、
挫折すること数回を得て、ようやく自分の型が最近できたんですね。
で、ヒトコト。

やっぱフォトリー、いいよ。おすすめ。

今までのぼくがそうだったんですが、活字中毒な面があって、
本はたくさん読んでいたんですね。
けど、面白いで終わって身に付かなかった。
小説も内容を忘れるわで、良い本もいざという時に人に紹介できない。
どんな本だった~?いや、面白いからよんでみ~
そんな感じ。みなさん経験無いです?

フォトリー使ってここ一ヶ月ほど読んでいるんですが、
一冊一時間以内で本が読めるようになります!
しかも重層的に本の内容が把握できる。
そして無理なく応用が利く。

これが本屋で1500円なんだから安いと思います。ほんとに。
セミナー行くと10万かかるんですよ(汗)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894511193/

小説なんかも、やっぱりフォトして読むと流れがわかります。
フォトした本は目で追っていくだけでだいたい意味がとれるようになります。
そうじゃない本は頭の中で本の文字を読んでいたり。
感覚的なことが多いので上手く伝えられないのですが…。。
(それに少し眠くて頭がぼーっとしてるので^^:)

家族にもすすめたんですが、
もったいない~。とか早く読みたくない~と言ってます、、
なのでblogで紹介でした(笑)

伝わらないこわさ

2005年12月11日 23時11分03秒 | Weblog
今日は以前ぼくのブログでも告知した大久保さんが代表をやっている
NPOエンドゴール主催の戦争体験者に話しを聞く会に参加をしてきました。

体験者一人の方に対して参加者4~5名で1グループを作っていたのですが、
全部で8グループ(かな?)もあってその人の多さにびっくりしました。
体験者の方もいろいろな方がいたのですが、生き方というのが
70歳くらいになると強く表れるなとすごく感じました。
中には戦争で自分が体験したことを誇りに思っている方もいました。
と言っても、大抵の体験者の方は終戦当時15歳位の方がほとんどでした。
やはり実際に戦争に参加をした方は年齢の関係でこの場に来るのは難しいとのことでした。
時間というのは無情に流れるものですね。
そしてそれは今まで歴史に蓋をしてしまった私達の責任でもあるんですよね。

ぼくのグループにいた体験者のおじいちゃんの方は、話していて感じたのですが、
戦争中のことに対して、話しを真剣に聞いてくれる場があれば話す心構えはある。
と口では話していたのですが、気持ちは話したくなかったみたいでした。
戦争で親父と家を亡くして、母の手一つで4人兄弟を育ててきた。
そんな彼がいう「極貧生活」を過ごしてきて、彼が手に入れたものが
「何が真実なのか?」と問いかけ探す姿勢。
そのため、すごくたくさんの第二次大戦の本を読んだり、
日本に落とされた原爆について調べたり、彼なりの真実を見つけようとしていた。

ぼくはこの戦争体験者へは価値観の変化について聞こうと思っていた。
今まで信じていたものが崩れて、そして自分にどんなものが残ったのか。
そのため彼に対する質問もどう感じて変わっていったのか?について
焦点を初めのうちは当てていったのだけれども、話がそれる。
ぼくは彼が戦争を体験してどう感じて変わっていったのかを聞きたかったのだけれども、
心でなくて、頭でしゃべっていた。
「何が真実なのか、常に考えないと。そのために勉強をするんだ」
「戦争が起こった原因はね~~(と歴史の授業が始まったり)」
そして時折垣間見た、心を話す瞬間は苦しさが身体から蘇るような声や表情で話していた。

思うに、戦争で壊されてしまった彼の安心を埋めるために
勉強をするしかなかったのだろうと思った。
勉強をすることによって、原因をはっきりとさせて自分の中にすとんと落とす。
それによって彼は戦争ということを自己完結させたのだろう。
だから彼にとっての戦争体験とは、「なぜ戦争が起こったのか」という問いへの
自分自身の答えだったんだろうと思った。

各グループの体験者の方が最後に少しづつコメントを話し、この言葉がその場のぼくに残った。
「私達が話したことは事実ではないんです。記憶は変わります。
 年月によって自分の印象と共に再構築される。
 だから、今日話したことは一部の資料と思って下さい。」

そう。結局ぼくらは自分が持っている物差しでしか判断できないのだ。
もともと戦争が怖いと思っている子が今日の話を聞いたら、
戦争は怖いという話しがその子の中にすとんと残る。
ひどかったんだろうな。と思っている子が聞いたら、
戦争のひどかった話しを振り返った時に思い出すのだろう。

テレビなどで戦争は悲惨だった、ひどかった。
そう伝えれば伝えるほど戦争体験者の方の中では
悲惨でひどい記憶が再構築されていくのだろう。
意図せずともそうやって記憶はゆがめられていく。

そう考えて、ぼくは戦争を正確につたえるなんて不可能だと思ってしまった。
そもそも何が「正確」かすらもわからない。
ただ、これだけははっきりと言える。
「一部の人のエゴで多くの人の命や運命を巻き込んではいけない。」

けれど、今の日本もそんな状態になっている。
民主党のエゴで憲法が変えられようとしたりしている。
いつでも戦争ができるようにする準備が着々と日本では進んでいる。
殺し合いはしていないけれども、戦争中と同じ事が今日本でも起こっているんだ。
一部の人間のエゴに巻き込まれて多くの人が亡くなった過去を国として持っていても、
また同じ轍をふもうとしている。
なんだか、さみしいよね。

久しぶりのごほうび

2005年12月08日 21時54分31秒 | Weblog
久しぶりに、JazzのCD買いました!
今年の目標として、二ヶ月に一枚Jazz CDを買う!
と自分の中で掲げたのですが、振り返ってみれば今年、7枚買いました。
見事目標達成です(笑)

今回買ったのは英珠という人のColorsというアルバム。
もーね、なんというのかな。この人の声はすっごくいい!
心に爪を立てるような歌声で歌うの。
すごく静かに歌うんだよ。ほんとうに静かに歌うんだ。
けれどもそれが心をかき乱すの。
視聴で聞いたとたんもう放せなくなって衝動買い。
本当は違うCDを狙ってたんだけどね(汗)

静かなんだけど、その静かさが心をつかんでかき乱す。
もー、こんな声の人は出逢ったことがないです。
こんたけ☆☆☆☆☆です。

あとお勧めの本もあります。
「淑女(セレブ)塾」上月マリア 三笠書房
こんたけでセレブかよーーと突っ込みを覚悟しての紹介です(笑)

なんでお勧めかというと、この人は「存在自体が幸せだ」ってわかってるから。
今ここにいるということを大きな視点から理解すると感謝が身体中から溢れてくる。
それが「真の淑女の心」であり、さらに人の運命を変えるエネルギーと言ってます。
その人が説くセレブ道ってなんだろう?って気になりません?

講演でも少し話したんですが、幸せって何かを得ること?という話しです。
自分の例で話しますと、いろいろ雑学や自分の考えを持っている人は凄い!
そう思っていろいろな本を読みまくって、買いまくった結果、
今部屋にはおそらく数百冊は本があるんですが、
そういう場合って天井がないんですよね。
いつの状況でも自分より凄い考えを持った人はいるわけで、
その都度「足りない」と思っていると自分がかわいそう。
(今はその状態はようやく脱出できたのかな?相変わらず本は好きですが…
 ぼくの場合は「知識」を得ること=幸せを求めることだと思っていましたね。)

ぼくが読んできた中で、思想の部分を書く人は多いです。
今生きていることが幸せです。なぜなら~~~だから。とか。
けれど、上月さんはそれが基本で、その考えをもとに
どう応用して生活していくのかというのをセレブ道という観点で書かれています。
なのでそれは男女問わずに生活に応用可能なんですよ!
今まで気づかなかっただけかもしれませんが、ぼくの記憶では
応用して行動などを書かれている方は初めて出逢いました。
なのでお勧めです。

あ、なら幸せって何かは自分で考えて下さいね。
ってこの記事で答えを言ってますね…^^::

なんというか…

2005年12月07日 21時02分52秒 | Weblog
自分自身の生き方とか哲学って言うのは、
そうそう語るべきことでもないかなぁ。なんて振り返ってました。

先日講演をして、すきに喋らせてもらえたお陰で
その一歩先が見えてきました。
その答えというか、その見えてきた道が先ほどの
あまり語るべきことじゃないなぁということです。

本当は一人一人すごく価値がある人間で、
いまここに生まれて存在しているってだけでも幸せなのに、
ぼくが中途半端に答えを喋っちゃうと、
その人のためにならないというか。

今、この存在自体が幸せだってわかると
愛っていうものがどんどん溢れるように感じられるんだけれど、
そう伝えても、それは頭で理解しているふりをしているのであって
ほんとに自分自身で納得はしていない。
そうなると逆に相手の可能性の芽を摘んでしまう気がした。

自分をすごいって言ってもらえるのは、
誰でもある程度は簡単だと思う。
音楽が好きならその話を披露すれば言ってもらえると思うし。
けど、みんなすごいんだって気づいてもらうためには
ぼく自身がすごい人間になっちゃだめなんだよ。

人生はちゃんと求めたものが手にはいるようになってると思う。
(聖書にも「求めよ、さらば与えられん」って書いてあるし)
それ以上のを自分のエゴで一方的にあげるのは傲慢だと思う。
だから、日常生活では気をつけないとって自分にいましめ。

生き方は言葉で語るよりも、
態度で語るように。
生き方や自分の哲学っていうのも
結局は自分自身との約束なんだから。

みんなが自分自身をすごいって信じることが出来るような
そんなお手伝いができるような人になっていきたいな。
だからぼく自身は平凡な人間でいいんだよ。

なので、ちょっと昨日の記事も保留にします。
答えは自分で考えたら、きっとそれが今後も役に立つはずです。
求めれば、与えられる。
答えを自分で求めなきゃ、身にならないよ。