今回、出張中に地震に遭った。
「大変だった」と家に帰ったときは思ったのだが
TVを見るにつれ「自分なんて大変の範疇に入らないじゃない」と思ってきた私。
自分の目の前で家族が流されたり、家が流される。
そんな悲しさ、無念さ。
想像するだけで苦しくなって涙が出る。
自分の場合、つらいと思ったのは
災害時に子供のそばにいられなかったこと。
50時間あまりかけて子供に会いたくて無我夢中で戻り
私は泣きそうだったけど子供はケロッとしていた。あれ、そんなもの?とがっかりした。
その次の日、ゲームが使えない(充電ケーブルがなくなった)事により
長男、涙を流していた。
私が「なんで地震の時お母さんに会えないとしても泣かなかったのに
ゲームが使えない事で泣くの?」と半ばキレ気味で聞いた私。
すると長男、「だってお母さんは生きてるのが分かったから悲しくなかったんだ。
ゲームはもう死んだも同然なんだよ」と反論。
そうか、私が生きていれば、生きてるのが分かっていれば
この子達はそれで良かったのか!
その思いを知ったら、なんだか安心したような、寂しいような気持ちになった。
多分私に依存する時期は過ぎてしまったんだ。
(しかしゲームには依存している)
でも、それならそれで私の心の中での罪の意識は軽減される。
母親が万が一の時子供のそばにいないという罪の意識。
その意識は今後持たなくてもいいのか・・・?