九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

京都北部のフジバカマ生育地にアサギマダラが集う

2016-11-09 18:21:40 | 日記

京都北部のフジバカマ生育地にアサギマダラが集う
京都の石崎達雄氏から京都新聞に掲載された私の記事と一緒にここに示した京都新聞の記事が同封されていた。それは2016年10月15日の京都新聞の記事でアサギマダラが京都市右京区京北下黒田町のフジバカマの花畑に多数飛来したと写真付きで出ていた。私の記憶では白水隆さんがフジバカマを植えるとアサギマダラが来ると言われたことがあり、その情報は誰か他の人から聞いたものだったと思う。最近、フジバカマ(キク科)があちこちに植えられているらしい。九重山系地蔵原の九重自然史研究所のあたりでは5~6月の北上するときと8~10月の南下する時にアサギマダラがよく見られる。この種は独居性で成虫は群れをつくらず、1頭ずつ飛んでいく。この写真ではあたかもフジバカマの群落上を群れで飛んでいるように見えるが、たまたま好きな吸蜜植物が植わっていたのでそこに群がったにすぎない。ただ荒天のため庭に泊まっていった例では複数個体が庭の近い場所に止まって一夜をすごした。このような現象は同種個体を認識し、わざと近い場所に止まったと考えるかどうか、私はまだはっきり言えない。ただモンシロチョウでも同種個体が睡眠時に他の個体と近い場所に集まる傾向は確かに認められる。独居性の孤独なチョウの生活でも仲間の姿が見られると安心するのだろうか。

私は日本のファーブルではない

2016-11-09 10:47:51 | 日記
私は日本のファーブルではない
私の記事が新聞に載ってから、多くの方が私に会いに琵琶湖博物館に来られました。同世代のかつての昆虫少年もいました。「九重昆虫記をインターネットで探したが見つからない、お手元に残っていないか」という問い合わせもありました。うれしいことです。
ところでこの記事は朝日新聞に載ったものです。見出しは「日本のファーブル」に、となっています。日本の昆虫学者で「日本のファーブル」と呼ぶに相応しい方は常木勝次さんと岩田久二雄さんです。二人ともハチを研究しました。
私も、子供のころから、日本のファーブルと呼んでくれる人がいましたが、私はそう呼ばれるのが好きではありません。
私は子供のころからファーブル昆虫記全10巻を何度も読みました。しかし私は高校生のころファーブルと全く違う虫を研究することに決めました。ファーブルと同じことをやれば、ファーブルを超えることができない。それでは膜翅目から見た偏った昆虫の世界ばかりが強調されて、チョウやガから見た世界、その生き方はわからないと考えたのです。
けれど定年になった時にはまだ選んだ道の半ばどころか、やっと霧の中にその入り口らしいものが見えてきたような気分でした。それからの10年は初めて本当の昆虫の研究をしたと思える時期でした。九重昆虫記はその過程の記録なのです。今はようやく鱗翅目という昆虫のことがわかってきたまだ出発点なのです。ファーブルとまったく別の境地に達した気分です。おそらくファーブルが経験しなかったような気分なので、だからファーブルと一緒にされたくない、日本のファーブルと呼ばれたくない気分なのです。

九重昆虫記の表紙について

2016-11-02 22:51:55 | 日記

九重昆虫記の表紙について
かんぽうから出版された九重昆虫記第1巻はA4版の大きさだった(写真上)。エッチエスケー社版九重昆虫記第2巻が2008年1月に出版された。そのカバーは真夏の涌蓋山を撮影した写真を背景に三つの円の中に同巻に登場したベニシジミ、キアゲハ、ミツバチの生態写真が入っていた。同時に1巻がかんぽうから出版・販売されていたから、エッチエスケーの原田さんは遠慮して2巻から出版したのだ。ところで原田さんはファーブルを意識し、私ならファーブル昆虫記10巻を必ず超えるだろうと考えていたらしい。原稿を送ればすぐ印刷してくれた。だから追われるように3~7巻を執筆した。2巻から表紙カバーはカラーで、美しく丈夫なのでそれをつけたまま読み、図書館などでも透明な表紙カバーを被せるから、読者はその下の本体を見たことがないかもしれない。本体はオレンジ色で昔の洋書のような本である。ただ第2巻本体の背表紙には第2巻の文字が入っていない。これは私が気づき、注意したので3巻以後はちゃんと巻が入っている。彼はこんな古風なデザインの日本製昆虫記がファーブルを超え10巻以上書棚に並ぶことを楽しみにしていたらしい。私は写真図版をもう少し大きくしたいのでB6版は気が進まなかったが、日本の書店の書架はこの版向きに作られているので書店で本棚に並べてくれること、女性のハンドバックにも入る手軽な大きさなどがメリットだと言っていた。