九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

道頓堀の新名物ヘソのあるカエルを発見!

2015-06-30 22:01:52 | 日記

 2015年6月18日大阪中央区道頓堀の大阪松竹座に愛之助が演じる鯉つかみという歌舞伎を妻と小金丸夫人の3人で見に行った。最近、伝統芸能の面白さにすっかりはまってしまって能や歌舞伎を楽しんでいる。愛之助が水に入って大鯉を捕まえる最後の場面は、子供のころ彦根で見た鯉つかみの名人が池に入って素手で鯉を次々つかむ様子と愛之助のしぐさはよく似ていた。ところでその芝居が終わって道頓堀のTsutayaに立ち寄りコーヒを飲んで草津に帰ろうと店を出ると、ヘソのあるカエルを発見した。歌にもあるように「カエルの腹にはへそがない」のが常識だ。哺乳動物だけがヘソを持つ。私はこのブログの自己紹介でもカエル・グッズコレクターでもあると書いているように多くの国を旅し、行った先々で何か一つはカエルグッズを買った。現職のころ教授室にそれらを飾っていたら、それを見た人からプレゼントされ今では1000点もある。カエルグッズのカエルもヘソはない。買わなかったグッズも勘定に入れると、おそらく何万というカエルの絵やグッズを見た。しかし、Tsutayaの外に立っている大きな青いカエルには×状の立派なヘソある。腹に×が刻まれているのだ。だがこの写真ではそれはよく見えない。しかしその隣に絵がついており、その腹に×がある。ヘソを持つカエルに出会ったのは初めてだ。おそらく製作者が腹に何もないのはさみしいのでつけたのだろう。世界でただ一つのヘソのあるカエルである。大阪名物ヘソのあるカエルの横で記念写真を撮るとこのおじいさんのように長生きしますよと大いに宣伝したらどうだろう。ちなみに横に立っているのは、みなさんから愛される可愛いおじいさんになろうと、日夜励んでいる私の写真である。

09.イスパニョーラ島の生物

2015-06-30 17:35:17 | 日記

Plate6.シロチョウ科(1)
Figs. 1-2. Anteos clorinde nivifera (Fruhstorfer, 1907)
5 exs. Pedernales, 7. VIII. 1993, (Fig. 1, ♂, 開長76mm; Fig. 2, ♀, 開長77mm); 1 ex. Pedernales. 1. VIII. 1993 大型の黄色いチョウで翅に橙色の斑紋がある。ペデルナーレスの町の中で花に次々と飛来したので採集した。

Fig. 3. Anteos maerula (Furhstorfer, 1775)
1 ex. Jarabacoaex. 25. II. 1995 (Fig. 3, ♂, 開長72mm): 1 ex. Juan Drio, 7. X. 1995; 1 ex. Casa de Campo, 24. IX. 1995
Fig. 4. Ganyra josephina (Godart, 1891)
2 exs. Bani, 5. II. 1995 (4, ♀, 開長73mm)

Fig. 5-6. Ascia monuste eubotea (Godart, 1819)
1 ex. Casa de Campo, 29-30. V. 1993; 2 exs. Casa de Campo, 24. IX. 1995 (Fig. 6, 開長54mm); 2 exs. Azua, 31. X. 1994; 1 ex. Agua Negras, near Pedernales、1.VIII. 1993; 2 exs. Pedernales, 7. VII. 1993; 1 ex. neiba, 26. XI. 1992; 2 exs. Santo Domingo, 20.II. 1994 (Fig. 4, ♂, 開長46mm); 1 ex. Aybar Hospital, Santo Domingo 最も普通なシロチョウで、日本のモンシロチョウのような存在である。

Figs. 7-8. Kricogonia lyside (Godart, 1819)
2 exs. Bavaro, 1. V. 1993; 2 exs. Bavaro, 14. IV. 1995; 2 exs. IX. 1995Casa deCampo, 29-30. V. 1993; 1 ex. Casa de Campo, 24. IX. 1995 (Fig. 8, ♀, 開長43mm); 2 exs. Juan Drio, 7. X. 1995 (Fig. 7, ♂, 開長45mm); 2 exs. Santo Domingo, 17. IX. 1995; 3 exs. Azua, 31. X. 1994; 1 ex. Pedernales, 7. VII. 1993) 極めえて普通で、時々、大発生して何時間にもわたって大移動することがある。九重昆虫記第2巻342-344に私が経験した大移動の実態を詳しく紹介している。また次の論文も書いている。Akira Miyata (2000) Mass migration of Kricogonia lyside (Lepidoptera, Pieridae) in Santo Domingo, Dominican REpublic, in 1995. Trans. lepid. Soc. Japan, 51 (4):281-286.

Figs. Melete salacia salacia (Godart, 1819)
1♂ Pedernales, 7. VI. 1993 (Figs. 9-10 ♂, 開長46mm)

ミヤタツマトビエダシャク滋賀県に産す!

2015-06-29 21:20:15 | 日記

新種として記載されたミヤタツマトビキエダシャクBizia akiramiyatai Sato & Nozaki,2015の区別点は野崎氏が提供してくれた写真によると上の通りだ。Bizia sp.が新種として命名された。今までツマトビキエダシャクと混同されていたが、大分の野崎敦士氏が別種だと気づき、シャクガ科の権威佐藤力夫博士と相談し、蛾類通信273号579-584、2015で新種として記載された。野崎君の名は時々、九重昆虫記にも登場する。虫屋の世界では珍種を見つけ採集する特別な感覚を持っている人が時々いる。これは恐らく天賦の才能の一種で、私は努力してもその域に到達することはない。野崎君はそういう才能を持っており、彼に助けられて多くの幼虫を記録することができた。珍種を採集すると自慢する虫屋が多いが、虫屋でも天賦の才能を持つ人は自己顕示欲が希薄である。
この写真では両種がほぼ同じ大きさになっているが、実際にはツマトビキエダシャクは新種より一回り小さい。原記載論文では新種の産地は大分県九重山系の高原と宮崎県の山地にのみ産するとある。ただし昨年採集された滋賀県余呉湖付近産は新種と似ているが、残念なことに腹部が損傷しゲニタリアを見ることができなかった。しかし琵琶湖博物館の武田勝さんたちが、今年同じ場所(長浜市余呉町田戸)で6月21~22日夜間採集し♂1頭が採れた。それは私が自宅で展翅した。岐阜県でも見つかっており、滋賀県内では他にも産地があるかもしれない。注意してほしい。
大分県には博物館がなく、そのためすべての標本を琵琶湖博物館に移したが、蛾以外では他にも新種が出ると思う。最初、大分と滋賀に共通して分布し、その他の場所では採れていない、不思議な分布だなと思い、大分との縁がまだ細い糸でつながっているように思った。大分の元理系のある先生が私の標本を大分に残せず、私が関西に移ったことを残念がり、博物館を作ろうと運動を始められたそうだ。そういう心優しい人たちが住んでいる大分は私たち夫婦にとっても懐かしいところである。昆虫の調査で走り回っていたから、地蔵原の集中豪雨で孤立寸前脱出したことや、私が通り過ぎた直後に山崩れがあって後続車両のご夫婦が亡くなったことを新聞で知った、川が氾濫した時、豪雨の最中に車で通りかかった私の前に仁王立ちしてその先で道が崩れたと怒鳴り、止めてくれた男の人の形相など今も覚えている。だから九州の災害をテレビで見るたびに私も心を痛めている。

02.琵琶湖博物館の垣根で発生したグミオオウスヅマヒメハマキ

2015-06-28 18:33:34 | 日記

もう少し説明しよう。このヒメハマキは、琵琶湖博物館のナワシログミでは葉を二枚重ねて、糸でつづる巣の作り方が主流であった。ただ稀にこの図版5のような二つ折型の巣も見られる。その場合、葉の表面だけを薄膜1枚残して食べる。九州で私が観察したグミ2種は葉がナワシログミより小さく二つ折しやすいらしく、二枚重ね型の巣を一つも見たことがない。つまり同じ種の巣作りも地方によって違うのだ。多分、ナワシログミは葉が大きく、固いので二つ折にしにくいが、そのかわりこの植物は葉の出方が重なっているので琵琶湖博物館型巣作りが主流になったのだろう。こんなことを調べて何の役にたつのだろうと思う人も多いだろう。それもごもっともだ。しかし、私がこんなふうに物事を考えるのは、原生動物から人まで長い進化の道のりをたどって行く旅の途中の一里塚の道しるべを見つけたようで面白いからだ。私は歴史も好きで、奈良学芸大に進んだ。ただその大学の史学は10倍以上の倍率だったので、私の学力では無理だったからせいぜい5~6倍だと聞いた理科を選んだ。私にとって歴史が面白いのはわれわれ人間のルーツを探る学問だからだ。しかし、今では生物学を選んで正解だったと思っている。人間の歴史のもっと先にはすべての生物の進化史がある。人はどこから来てどこへ行くのか。この年になっても私は常にその問いの答えを求めて歩き続けている。
 ところでこの図版の1には蛹が写っている。つまり、小さな箱で飼育し、与えられた葉が少ないと、彼らは仕方なく巣の近くに繭を作る。それでも巣との境界部に糸で区切って繭を作ろうと努力した形跡が認められる、つまり虫には虫のこだわりがある。彼らが進化できたのは、そういうこだわりの積み重ねがあったからだと思う。なお4は終齢幼虫、5は二つ折の巣だ。番号3が抜けたのは今気づいた。
 ところでブログを休んだのは、みなくち子どもの森自然館の河瀬直幹さんに誘われて武田さんと一緒にその森へ夜間採集にでかけたからだ。地蔵原を出てから3年ぶりの採集行だったが、残念ながらさむくて蛾は来なかった。

01.琵琶湖博物館の垣根で発生したグミオオウスヅマヒメハマキ

2015-06-28 17:22:31 | 日記

またイスパニョーラ島の生物を中断して、最近、確かめたことを書こう。歳をとると、せっかく面白い発見をしても次の日は忘れてしまうことが多い。特に思索を重ねて結論が出ると、安心してすぐ忘れてしまう。だからこの頃、よくブログを書くのはそれをメモしておくためだ。
琵琶湖博物館の駐車場から博物館の正面入り口に向かう道は低い石垣の上にナワシログミが植わっている。毎年初夏になるとこの図版1のような2枚重なった葉が糸でくっつけられ、上の葉の表面は茶色に変色している。こういう葉は裏側から薄膜1枚を残して何かに食害されたことを意味する。これはグミオオウスヅマヒメハマキHedya auricrisanaの摂食用の巣である。ちなみに食痕が変色する前にその巣を一つとってそっと上の葉を剥がすと、運が良ければ濃い紫に白い斑点を持った美しい幼虫が入っている。と言っても迂闊に引きはがすと幼虫はジャンプして茂みに消えてしまう。必ずビニール袋やトレイで受けて剥がすことだ。図版の2は葉を剥がした状態で撮影したもので、下の葉は葉の表面側が食われていることがわかる。調べる時期によっては糞が残っているだけだ。
私は最初、この巣は別の種が作った巣だと思った。なぜなら九州ではグミの葉を表面側に二つ折りしてその葉の表面だけを薄膜1枚食べている。琵琶湖博物館のナワシログミにも稀に二つ折りの巣がある。ナワシログミの二枚重ね型巣でも薄膜が茶色に変色しているものを多数調べた。もちろんこの時期はもう幼虫がいないことは確実だが、この巣の中で蛹化した形跡があるかどうか確かめるためだ。研究者は何か実験や調査を始める前にどういう結果が出るかちゃんと予測している。私は小蛾の巣と繭は別々の場所につくられると確信している。つまり博物館のナワシログミのすべての巣の葉を剥がしても蛹殻が見つかることはない。しかし、こんなことも私が九重昆虫記に書くまでは日本の専門家は誰も指摘していなかった。外国の専門家にはもしかすると私と同じ考えの人が複数人いたかもしれない。