いいことタイム

一日の終わりに,今日はどんないいことあったっけ・・・とふり返る。そんなほっとする時間が大好き。

インド

2013-07-13 02:23:49 | 何気ないこと

空港にてWiFiに接続なう。フライトまでの間に日本との連絡やら、素材の伝送やら。回線のスピードがとても早くてびっくり。こういう部分ではインドは確かにIT先進国かも。道路とか上下水道とかのインフラをみると、まだまだ発展の余地がてんこもりですけどね~

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インドは国策として教育に力を入れていて、幼稚園から英語教育をしっかりして、世界に通用する人材を育成している、と喧伝されていますけど、昨日、今日の放送で触れたように、それはあくまで一面でしかありませんし、短い滞在でも「そうせざるを得ない事情」がいろいろ見えてきます(続く)

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まず、インドでは地方によって言語が全くといっていいほど違います。方言のレベルではなく、文法も違うし、挨拶の言葉まで違う。共通言語としてヒンディ語だけを使えば南部など反発を覚える地域もある。英語を使った方が「手っ取り早い」という事情がありそうです。

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次に、インドでは巨大な人口を養うため、あるいは各個人が糊口をしのぐためには、国外に職を求めざるをえないという事情があります。そのためには英語が出来た方が有利であることは間違いありません。そしてもうひとつはカースト制度の名残。(続く)

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公式にはカーストによる差別は厳しく禁止されていますが、やはりその影響は否定できず、就ける職業が限られたりする現実があります。ところがITはカーストのどれにも当てはまらない、いわばインドにとっての「巨大な隙間産業」です。少ない投資で始められるメリットも。そしてここでも英語は役立つ。

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また、インドが国を挙げて英語教育に力を入れている、というのも正確とはいえません。私立では10年も20年も前から全ての授業を英語で行っているところがたくさんある一方で、公立では今も英語は中学からのようですし、そもそも貧困による幼児就労で満足に学校に行っていない児童も大勢います。

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取材した学校の校長先生に幼稚園からの徹底した英語教育について「タミル語しか話せない祖父母と英語しか話せない孫というようなことになると、彼らは直接会話すらできないことになりますね」と尋ねると「それは仕方がない。それでも英語を話す孫を彼らは誇らしく思うだろう」とお答えになりました。

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それを聞いてもなお「やっぱインドすごいわ。これからは我が国でも幼児から英語教育だよ」とは、今の私は軽々には言えません。インドの凄みやしたたかさはビンビン感じますけど。いや、たくさん宿題を持って帰れそうです。さ、そろそろフライトだ~

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西島秀隼って、誰? pic.twitter.com/aq2eN8cick

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1 コメント

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telepathy (noga)
2013-07-20 03:33:52


英語には時制がある。英米人には意思がある。意思は未来時制の文章内容である。文章には意味がある。矛盾があれば、指摘できる。議論の対象になる。議会での意思決定が可能である。
日本語には時制がない。日本人には意思がない。が、恣意がある。恣意は文章にならない。小言、片言、独り言の段階で終わる。意味がないので議論の対象にならないが、談合の題材にはなる。一座の者が首を縦に振れば決着する。以心伝心である。これは、勝手な解釈というべきか。議会には、決められない政治がある。
拙い議会政治の抜け道として、日本人には、阿吽の呼吸・以心伝心が必要である。恣意のぶつかり合いでは、どうにもならないから、とりわけ和をもって尊しとなす。いつも静かに笑っている。このような言語状態では、日本人の主張に外国人から理解を得ることも難しい。

‘今ある姿’ (things-as-they-are) は、現実の姿である。過不足なく成り立っている。
‘あるべき姿’ (things-as-they-should-be) は、非現実の姿である。非現実の話も、過不足なく成り立たせなくてはならない。非現実の内容を過不足なく成り立たせるためには、文章が必要である。日本語には時制がない。遠未来・遠過去などの非現実を表す文章はない。だから、過去は迅速に風化し、未来は一寸先が闇に見える。

世界観がない。日本人の未来の話には筋がない。我々は、以後も何処にも移動しない。鎌倉右大臣ではないが、’世の中は、常にもがもな’ (世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしいものだ。) である。天下泰平の世の中。現在に関しても場当たり的な発言をする。三時制のそれぞれに対する文章ができていない。歌詠みのようなものか。

現在の地球は英米の世の中。相手は、’我々は何処から来たか。何者であるか。どこに行くか。’ を考えた上での提案をしてくる。ちょうど、インド人が、前世・現世・来世へと考えを移動させてゆくようなものである。日本語脳の脳裏では、過去の内容・現在の内容・未来の内容をそれぞれ独立の世界として展開させることが難しい。これらの命題は、英語の時制 (過去・現在・未来) に対応している。我々日本人にとっての眠りを覚ます上喜撰 (蒸気船) となる。日本人が、何の当てもなく、否定形を駆使して、消去法の一本槍で応戦していたのでは、彼らも取りつく島がない。我々は、彼らと考えを共有する友達にもなれない危険な状態を続けることになる。我が国は、世界の中にあって、世界に属さず。

我々は、いつまでも無哲学・能天気ではいられない。我が国の伝統芸術の保護育成のために日本語に磨きをかける一方、有用な議論を盛んにするために、英語にも磨きをかける教育も必要である。さすれば、日本は、鬼に金棒の国になる。英文和訳の習熟は、この目的には役立たない。

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