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引越しいたします。

ドイツの高級誌シュピーゲルDer Spiegelレビヤ・カディールさんインタビュー。A woman

2005-11-26 14:22:50 | ニュース
ドイツの高級誌シュピーゲルDer Spiegelレビヤ・カディールさんインタビューの続きです。
その1
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20051124

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カディールは新居から2.3ブロックの距離のビエンナのギリシャ料理レストランで、中国が彼女の家族に何をしたかを語るのを望んだ。
カディールは毛沢東が中華人民共和国建国を宣言したとき、1歳であった。毛は中国の多様な民族グループが新国家を創造するために彼と結集することを望んでいると言った。
当時、レビヤの両親は小さな農場を経営していて、理髪店、レストラン、トルコ風浴場も持っていた。共産主義者の基準で彼らはブルジョア階級の一部とされた。加えてトルコ系の少数民族ウイグル人であった。ウイグル人は大概はムスリム(イスラム教徒)であり、つまり毛沢東よりアラーを重んずる人々であり、数千年の歴史をさかのぼることのできる人々である。彼らは新国家を望まなかった。その代わりに彼らは自身の国をいつか持つことを望んだ。東トルキスタンである。
共産主義者がウイグルの州である新疆ウイグル自治区、それは160万平方キロの面積をもち、石油、天然ガス、鉄鉱石やウラニウムに富む、を1955年に設立したとき、彼らはカディールの両親の資産を接収し一家をレビヤが生まれた北部のアルタイから南部の砂漠と境をなすタリム盆地に移住させた。
カディールは14歳のときに1人の男が手を取って結婚を申し込んだといった。彼は小さな銀行の副監督で12歳年上であった。彼はカディールを守るといい、レビヤは求婚を受けた。
一年後彼らは結婚し、17歳で初めての子どもをもうけた。病院にいるときレビヤはウイグル人の夫に不平を言っている一人の女性と同室になった。その女性の夫は彼女のことを考えず、同胞のことばかり考えている、その結果として監獄にいるのだという。
天国での政略結婚
この時点でカディールは話を中断し、一杯の紅茶とストロベリーケーキを注文した。彼女は「おとぎ話のような話をしますね。」この話はすべてのことを説明しうる。彼女の闘争、彼女の決心と確信を。
カディールの人生の話
カディールの最初の結婚は28歳のときに失敗に終わった。それは1976年のことであった。彼女は北京でおおっぴらに政府を批判し、その結果夫は圧力に耐えることは出来なかった。
離婚後、レビヤはは未来の夫が応じなければならない10の条件のリストを書いた。まず第一には両方にとって一目ぼれの結婚でなければならない。彼は自身の信条を守る為に監獄に入った経験がなければならない、そして監獄内で誰も裏切ったことがない経験をもたねばならない。彼はまた自分の国の解放の為に戦おうとする人でなければならない。
レビヤはすぐその後友人の訪問を受けた。彼は彼女の要求を満たすある男を知っているといった。「しかし、彼は貧乏だ。」友人は言った。「彼はあなたの子どもを食べさせられない。あなたはあなたの条件を固執するのか?」
「その人はどこにいるの?」レビヤは尋ねた。
レビヤはアルトゥシュにとんで行った。アルトゥシュは新疆の西部の小さな都市である。その男がある村に住んでいるのがわかった、それでレビヤは驢馬による旅を続けた。その男に対面したとき、彼女は一目ぼれした。「私の名はレビヤ・カディールです。」「29歳です。」「私はあなたと結婚するためにここに来ました。」「私の10の条件のうち9はかなえられました。後一つだけが残ってます。私を愛していただけますか?」
その男は彼女に話をするように求めた。彼はそのとき監獄から解放されたばかりであり、この女性を疑っていた。レビヤが話し終えたとき、彼はレビヤに中国政府のエージェントなのかと尋ねた。
レビヤは彼に平手打ちを食らわし、驢馬に乗って去っていった。
レビヤは笑ってこの話をした。
6ヵ月後、友人が一つの本を持ってきた。カディールについての260の詩、その詩を書いたのはレビヤが平手打ちを食らわした見知らぬ男であった。そしてその男はレビヤが入院していたときの同室の女性と結婚していた男と同一人物であった。その夫婦は別れていたのであった。かくして詩人と反抗者は1977年に結婚した。
カディールは洗濯屋の事業をウルムチで始め、果物、野菜、革製品を売りカザフスタンとの国境を越えての事業さえ行った。レビヤは戦いを勝ち抜く為には財力が必要不可欠であるということを知っていた。彼女はデパートをオープンさせ、すぐその後二店目を開き、商人に店舗スペースを貸し出しした。それで彼女は富裕になっていったのである。
レビヤはウルムチ、そして新疆自治区初めてできた、地域の商工会議所のトップに出世した。
体制への挑戦
1997年、レビヤは体制に挑戦しようと強く心に思った。レビヤは人民会議の前で演説をしようと計画し、その機会を何年も待っていたのである。
レビヤは党幹部に演説のコピーを提出し彼らに中国がウイグルのためになしてきたすべてのことについてはなすことを望んだのである。党職員はほっとした。彼らはレビヤに党総会の当初つまり首相と共産党主席の(演説)の前に話すように言った。
その人民会議の一日前、カディールは秘密裡に彼女の演説を中国語に翻訳するはずの二人の翻訳者と会い、本物の演説原稿を見せた。二人は心配になった。「私はひとりの女性です。」レビヤは彼らに言った。「あなたがたは男でしょ。何も困難なことはありません。ただ私が言うことを通訳してくれれば良いのです。」
中国の新疆での政策は間違いであり、公平さを欠いている。彼女は人民大会堂で4800人の代表が注意深く聞く中で会議の前で言った。中国政府は--彼女は続けた。
--ウイグル人の信教の自由を尊重しなくてはならない。独善的なウイグル人の逮捕を終わらせなければならないし、政治犯の処刑を止めなければならない。レビヤはウイグル人の歴史、文学、言語への尊敬を求めた。その日カディールは白い毛皮のジャケットを着てドッパというウイグルの伝統的な頭部の衣装をしていた。2.3人の代表委員が彼女が席につくまで涙にくれていた。
その演説は宣戦布告であった。
カディールは演説の直後にとられた写真を保存していた。それは国家主席で共産党のリーダーであった江沢民が手を振り微笑んでいる姿を写していた。江沢民は中国の権力者たち、李鵬首相や国防相に囲まれていた。白い毛皮のジャケットを着た小さく、デリケートな女性は肉食獣の軍団たる、ダークスーツを着てべっ甲縁の眼鏡を掛けたダークスーツの男たちに囲まれていた。
彼らはカディールを賞賛しているように見えた、しかし彼らが実際にしていることは彼女と代表委員やその質問の間に障壁を作ることであった。
胡錦涛、そのとき第5番目のランクの指導者ヒエラルキーのメンバーで、今は国家主席である、が後ろ側に見える。「良い演説だった。」胡錦涛はレビヤに言った。「しかし君は君の問題を我々と討議しなくてはならない。我々はすべての問題を解決することができる。」
「正常な手続きであるならば私が演説の後彼らに近づくことになります。」カディールは言った。「しかし彼らが私のところに来ました。それは私が正しかったからです。」
4週間後、レビヤは人民大会議から追放され、パスポートは無効にされた。
1999年8月ウルムチのホテルでアメリカ議会の代表団と会う予定だったほんの少し前に、警察が彼女を逮捕した。
裁判官は彼女に「国家機密を広めた罪」で監獄での8年を宣告した。彼女の罪だって?中国で広く読まれている雑誌をアメリカに亡命した夫に送ろうと試みたことである。
ラビヤの裁判が行われているとき、傍聴者もいなければ法的な陳述も出来なかった。「我々はお前を蛇のごとくつぶしてやる。」警察のボスは彼女に言った。
「それなら私は監獄から鷲のごとくしております。」とレビヤは答えた。
読書は監獄では禁じられた。2年間面会を受けることは許されなかった。彼女は自身と会話した、コーランを唱しそしてプランを立てた。何回か彼女は叫び声を上げた。
家族の迫害
アブリキム 5番目の彼女の息子は母親と同じ日に逮捕され、刑の宣告を受けた。裁判無しで2年間の監獄キャンプである。そこで彼は一日20時間働かされた。何回か彼はそこで看守が囚人を野球のバットで殴るのを目撃した。彼は中国で囚人たちが電気ショックで拷問を受け、よくおこなわれる男への拷問の方法の一つがが陰茎に馬の毛を挿入されることであることを知っていた。
カディールの息子たちは彼女がワシントンに行くまでに二つのデパートを経営していた。その事業はウルムチでウイグル人が住むただ一つの街区にあり、商人たちが2輪のカートを押しながらナツメヤシや柘榴、媚薬とみなされている犬の毛皮や蛇の干物を売る街路に面していた。
もしも政治的活動をしなければ、カディールの人生は新しい中国の多くのサクセスストーリーの一つであっただろう。しかしレビヤはゲームのルールに沿うことを拒否した。
新疆のウイグル人はカディールを賞賛する、彼女を「ウイグル人の母」と呼ぶ。しかし彼らはレビヤを支持することはしない、少なくとも公然とは。

8月の末、カディールがちょうどドイツ訪問からアメリカに帰ったとき、新疆の共産党リーダーは記者会見を開きレビヤがヨーロッパの国でテロリストと面会していたと告発した。そして彼女が新疆ウイグル自治区設立50周年式典の破壊工作を計画していたと主張した。それに応じてレビヤの息子アリムは、ラジオフリーアジアのインタビューで党リーダーを嘘つきと呼んだ。
そのインタビューの行われた夜、警察がアリムを訪れた。アリムはワシントンの母と電話で会話中だった。アリムは受話器をおいたが回線を切りはしなかった。それで母はすべてを聞くことができた。
警察はアリムにレビヤ・カディールが中国国家に税を負っていると記述してある書類に署名することを要求した。彼が拒否したときに警察はアリムを罰すると脅迫した。「お前は我々が何をお前にやるか目の当たりにするだろうよ。」
アリムとアブリキムは中国を出国することを好んだ。彼らは台湾に前途を見出すことを試みることができた。だがレビヤは子供たちがその国を逃げ出すことを望まなかった。彼女は法的な解決に望みをいまだ持っている。しかし彼女が北京政府にオファーする何かを持っているかはまったく明らかではない。
レビヤの問題は彼女が公的に表に出れば、息子たちの生活を困難にしてしまうということである。しかしレビヤは、世界が彼らのことを知れば彼女の息子たちはウルムチで安全に生活することだけはできると信じている。
レビヤが彼女の理想を語るとき、詩人である夫は彼らのヴァージニアの小さなアパートの中庭にでて座り、軽い中国タバコを吸っていた。彼の握力はやわらかく、白髪はバックにしていた。彼は5年間の監獄にいるうち10歳は年をとってしまったと言った。彼とその妻はいまだ目的については合意している。しかし彼らはその達成の方法については議論を重ねている。
何年にも渡って彼は二人の内で頑固なほうでそれが、彼に影響力をあたえていた。しかしその役割ははカディールが解放されてからは逆転した。彼女が旅行中、彼は家にいてウイグル人の歴史を記述している、ウイグル人が独立を達成したとき出版を希望している本である。しかし彼はいまだ出版社を見つけることができていない。
この年はじめに、胡錦涛国家主席がワシントンを訪問する意向を表明したとき、カディールは彼女の同胞ウイグル人の苦悩を胡に思いおこさせるチャンスを見いだした。胡は9月に北朝鮮問題と中国の急速に発展する輸出経済を討議する為にジョージ・W・ブッシュ大統領と会談することを計画していた。カディールは彼女の役割として、中国の亡命者グループをまとめ胡錦涛、世界で3番目に強力な男に対するデモをホワイトハウスの真っ向から挙行することを計画した。
カディールは演説することを計画していた。アメリカについて。しかしハリケーンカトリーナがニューオーリンズに洪水をもたらし、胡はアメリカの首都訪問をキャンセルした。
カディールはニューヨークに胡を追いかけた、胡はここで2、3日のち国連を訪問することを計画していた。カディールとチベット亡命人グループと迫害されている法輪功は国連本部でデモを行った。
抗議者たちはアメリカ国旗と、東トルキスタンの旗をふり、カディールは「東トルキスタンに自由を」というサインを持ち上げた。
彼女は胡が気がついたかどうか確信は持っていない。

ドイツ語よりクリストファーサルタンが翻訳した。
英語よりkokが翻訳
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