齋藤百鬼の俳句閑日

俳句に遊び遊ばれて

三鬼と若き俳人の自死

2007年08月23日 | Weblog
こんな、くたびれたような僕のブログだが、平均で一日150回くらい、多い日は300くらいの閲覧数になる。感謝感激なのだ。
西東三鬼の盗作問題を書き込んだときは特に多かった。そして、もう一人の「殺された人」についても書けというリクエストさえいただいた。
この事件はあまり知られていないようなので、喜んで書かせていただくが、大したことはご報告できない。そのことを前置きしておきます。

まず出典だが、沢木欣一・鈴木六林男共著『西東三鬼』(桜楓社)である。その134頁に「中村丘という俳人」という小見出しで詳述されている。筆者はおそらく鈴木六林男と思われる。

「関西には、三鬼門流と目されるグループが二つあった。ひとつは大阪から出ていた雷光で、ここに集っていた俳人は、同人誌、青天に引きつづいての者が多かった。雷光は、のちに三鬼の指導誌から離脱したが、各同人は個人的には、三鬼との関係は従来どおりであった。いま一つは、神戸の断崖である。この俳誌は、名実ともに、完全な三鬼主宰の指導誌であった。」

この断崖に問題の中村丘は所属していたのである。

「中村丘が、自らの生命を絶った経緯については詳らかにされておらない。断崖が106号において、100号記念選集を編んだその中に、「物故者の部」があり、それには、三鬼抽出で次のように記されてある。
   中村丘(なかむらきゅう)
   昭和三十一年二月十六日没
   享年二十一歳。岡山県津山市
 雨は針の如き冷たさ桜満つ
 雷遠のく身の重き蚤跳びつづけ
 ピストル拭く刈田に荒く風が来る
 婚約せり冬蠅などと陽を受けて
 シヤツやハンケチそよぐ彼方の森青し
 砂利荷なひ寒く身軽く歩き出す
 音たつる霙の闇や唇離し
 青空を雲が埋むよ二月の木
 露地の雪汚れ息づく馬のM
 鉛管が地にうねうねと冷たい日(絶句)」

「中村丘が自殺した最大の原因は、由美子との関係である。彼女は、三鬼の小説「八百匁」に出てくる女性であり、このことは前記「三鬼をめぐる女性たち」においてふれておいた。この女性は、いろんな意味で、三鬼や堀田きく枝を悩ませたひとである。
中村丘が、この由美子と関係をもったのは、自殺当時からさかのぼって、そう遠い過去のことではないと想われる。由美子は多情な女であったから、これも多情な三鬼との密接な関係を、寝物語にさりげなく丘に語ったのであろう。聞かされた丘の衝撃は、大きかったに相違ない。先生の三鬼と、弟子の丘が同じ女を相手にしたのであるから、若い丘にとって、これはショックは当然であろう。この時、中村丘二十一歳、由美子は男性遍歴も異常に豊かな、三十歳を半ばすぎた女性であった。
堀田きく枝の語るところによると、二月十四日の夜、三鬼と丘は、由美子との問題を深更まで語り合った、という。
話し合いの内容は、丘は由美子と結婚することを理由として、三鬼の了承をとることにかかわり、三鬼は三鬼で、当時は由美子との関係は最盛期であったから、あの女は、お前の手におえる女ではないから(事実、由美子は異性関係の多い女性であった)あきらめるように主張して、ゆずるところはなかった、ようである。
三鬼のように、女性経験の多くない丘は、師匠の三鬼と、同じ女性をあらそうことを、正当化するために、結婚を持ち出して、三鬼をコキューの立場に置くことを、いささかでも避けようとしたのであろう。丘の胸奥には、三鬼の女とは知らずに、由美子にかかわった悔しさと虚しさが、渦を巻いていたにちがいない。
丘の若者らしい心情もさることながら、結婚をもって、三鬼のドン・ファンに対抗しようとしたのは、彼の最後の切り札であったにちがいない。しかし、三鬼は多情な由美子の性格を理由にして、丘の要求を認めなかった。何割かは、若い弟子の丘のために、何割かは、まだまだ由美子に未練のある三鬼自身のためであった。」

「三鬼は、このような女性問題で<参る>ような男ではない。ここには、一時的ではあるにせよ、自責の念からきた、と理解したい三鬼の韜晦がある。その証拠に、丘の死後、彼が生を終わるまで、由美子との関係はつづいている。」

「同門の俳人、木村澄夫によると、中村丘の直接の死因は、ピストルによる自殺であるように想われた、という。すでに、この世の人でない中村丘の枕元に、友人として最初にかけつけたのは、林薫であったが、彼もすでに、世界を異にしてしまった今は、聞くすべもない、と木村はいった。
三鬼は、「丘について」のなかで<私は死ぬまでに丘の死について詳しく書く事が出来るかと思ふ>と記した。ところが、丘の死後六年経過した昭和三十七年四月には、彼自身も、癌のためにこの世を去った。西東三鬼は、中村丘の死について、ついに書くことはなかった。いなむしろ、由美子にひかれていた三鬼であったから、書けなかったかも知れない。この一文は、多情な異性をなかにして、師弟の間におきた女性問題のために、自ら生命を絶った、未来ある一人の若い俳人への鎮魂記である。」

いささか長文なので、途中を省略せざるをえなかったが、概ねこういうことである。
今は西東三鬼賞なるものも創設され、三鬼の名は俳句史に確固たるものがあるが、その作品は作品として、その人間性は人間性として、残されるべきは残すのが正道ではないかと思う。「証言・昭和の俳句」で佐藤鬼房さんがしゃべったことは、そういう意味合いであろうと推測する。

4 コメント

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中村丘 (senji)
2007-08-23 20:24:07
「三鬼は、このような女性問題で<参る>ような男ではない。ここには、一時的ではあるにせよ、自責の念からきた、と理解したい三鬼の韜晦がある。その証拠に、丘の死後、彼が生を終わるまで、由美子との関係はつづいている。」

このところの、文章が真に気に入りました。三鬼の純情と強情さがわかります。それにしても中村丘のひたむきな純情が昭和の30年代の初めの頃にまだ生きていたのですね。由美子さんは生きていたら80歳をすでに超えておるはずですが、ご健在なのでしょうか?



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senji様へ (百鬼)
2007-08-23 21:03:27
三鬼という男は、ご指摘のように純なるものを抱えて、自分の中の「母恋い」を求めて漂白を続けたようなところがあります。どうしようもなく駄目な男ですが魅かれるものがあります。「汚れちまった悲しみ」。それが彼の詩のように思います。
由美子さんは、どうなったかわかりませんが、東京のお医者さんの娘らしいですね。三鬼より長生きしたのはたしかですが。
今こんな「無頼」の詩人が俳壇にいるのかどうか。居ても受け付けられないでしょうね。伝説です。
今回もコメントを頂き感謝です。
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有難うございます (三鬼ファン)
2007-08-24 04:24:52
百鬼さま、長文を早速に書き込んでいただき有難うございました。興味深く読ませていただきました。省略があるようですが、早速、古書店かアマゾンあたりから購入して読んでみることにします。
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三鬼ファン様へ (百鬼)
2007-08-24 10:42:18
わざわざコメントをすみません。たいしたものでなくてお恥ずかしいです。省略しましたので是非、現物をご覧になってください。古い本ですが、千円ちょっとで買えると思います。三鬼の最初期の伝記とありました。そのわりには、よく調べてあり感心しました。鑑賞篇も解釈が大胆で面白かったです。では。
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