春の鳶寄りわかれては高みつつ
言わずとしれた飯田龍太の一句である。
この句、龍太自身が書いていることだが、原句は、
春の鳶寄りてはわかれ高みつつ
であったそうな。この形で、ある雑誌に出句したところ、「加筆」されていて「寄りわかれては」になっていた。「はなはだ面白くない」と感じたがそのままにしたそうだ。それから時間が経って句集を編むことになった。もう一度、読み返してみたところ「なるほど加筆した作の方がいい。内容にふさわしいほどよい速度がある。」と思い、これを決定稿にした。
これは『毎日俳壇 俳句の作法』に書かれている。
つまり編集の段階で、編集者が直してしまったのである。その編集者も黙ってやってしまうのだから、なかなかの度胸であり、直された龍太も面白くはなかったが、まあいいか、と受け入れてしまう度量があった。こういうことが現在に成り立つのかどうか。おそらく不可だろう。
エピソードが面白いので書いてはみたが、この句についてはそれほどいいとは思わない。しかしこれだけ人口に膾炙した句がねえ、と複雑な気持ちではある。
言わずとしれた飯田龍太の一句である。
この句、龍太自身が書いていることだが、原句は、
春の鳶寄りてはわかれ高みつつ
であったそうな。この形で、ある雑誌に出句したところ、「加筆」されていて「寄りわかれては」になっていた。「はなはだ面白くない」と感じたがそのままにしたそうだ。それから時間が経って句集を編むことになった。もう一度、読み返してみたところ「なるほど加筆した作の方がいい。内容にふさわしいほどよい速度がある。」と思い、これを決定稿にした。
これは『毎日俳壇 俳句の作法』に書かれている。
つまり編集の段階で、編集者が直してしまったのである。その編集者も黙ってやってしまうのだから、なかなかの度胸であり、直された龍太も面白くはなかったが、まあいいか、と受け入れてしまう度量があった。こういうことが現在に成り立つのかどうか。おそらく不可だろう。
エピソードが面白いので書いてはみたが、この句についてはそれほどいいとは思わない。しかしこれだけ人口に膾炙した句がねえ、と複雑な気持ちではある。