齋藤百鬼の俳句閑日

俳句に遊び遊ばれて

富田木歩を偲んで(1)

2007年09月05日 | Weblog
九月一日は富田木歩の忌日であった。
木歩は、僕にとっては気になる俳人の一人である。
小型の歳時記などでは解説も例句もないが、「角川大歳時記・秋」にはさすが載っている。
その解説でも充分、木歩の概略はわかるが、やはり辞典のほうが詳しい。「現代俳句大辞典」(明治書院)によれば、以下のようである。

「明治30・4・14~大正12・9・1。東京本所向島生。本名一(はじめ)。旧号吟波。居を螻鳴書屋または平和堂という。二歳のとき、病のため下肢の自由を失い、貧窮のうちに育つ。そのため義務教育を受けることなく、いろはかるたや紙めんこで、わずかに仮名文字を覚え、振仮名をたよりに新聞雑誌を、また手当たり次第に読みふけったという。俳句は大正三年「ホトトギス」初学欄によって原石鼎の指導をうく。次いで大正四年やまと俳壇を通じて臼田亜浪に師事し「石楠」に加盟。大正六年新井声風を織り親交をむすぶ。「茜」同人となり俳号を木歩と改む。大正八年肺を病み、しかも病苦とたたかいながらも句作に精進し、特異な作風をもって境涯の作家とたたえられた。大正十年秋、黒田呵雪・新井声風と共に石楠を去り、翌年渡辺水巴の「曲水」に参加、句稿「一人三昧」を連載。大正十二年九月一日、関東大震災に業火に追われ、向島枕橋近くの堤の水際で横死す。享年二十六。また句碑は三囲神社境内に建つ。昭和三九年新井声風編著「決定版富田木歩全集」が出版された。
  暮れぎはの家並かたぶく雪しづれ 」

木歩はその境涯と震災による悲惨な死、すぐれた句によって作家たちの関心をひいたようで、すでに吉屋信子が「墨堤に消ゆ」を書いているそうだが、まだ読んではいない。最近では、江宮隆之の「冬木風」がある。このタイトルは、木歩の、
  夢に見れば死もなつかしや冬木風
からであろう。

木歩は、鬼城と同様に「境涯俳句」の作家として、すでに過去の俳人として扱われているのだろうか。そのへんは初心にして分からないのだが、僕は木歩の句はかなりのもののように思えるのだが。
『俳句研究』の昭和三十九年四月号では、「木歩総資料」を特集している。ここには、その親友、新井声風が「木歩句抄」として百二十句ばかり、「鑑賞」として三十句ばかりが掲載されている。(定本・木歩全集は、貧乏人の僕には高くてまだ入手しておりません)
この鑑賞が、雑誌にしてはよく行き届いて感心した。句の背景がよくわかるのである。

僕の好きな句は、
  我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮
なのだが、こんな解説がつけられている。これなど親友として身近にいた声風でなれけば出来ない細かさと深さであろう。

「これは木歩一代の句の中の絶唱であって、「病臥」と前書があるんですから、木歩が病んで寝ていますと、そうすると、一匹の蜘蛛が障子の桟か、またそこに置いてある本箱か茶箪笥に巣をかけて、そうして、今度は伏せっている木歩の肩に、糸を張りはじめた。それを木歩がはらい落とそうともしないで、蜘蛛の動き方をじいっと凝視めている。いかにも総ての運命を諦めて、静かに病を養っていたことを詠んだもので、秋の暮というのは、秋の夕べのことで、鬼気迫る当時の木歩の境涯を詠った句として優れている。木歩一代の代表的傑作であると思います。この時は唖の弟の利助は、肺病で病の床に就いていて、木歩は日夜弟の看病につとめ、また彼も倒れてしまったのです。昼もうす暗い六畳の狭い部屋の中に兄弟二人が枕をならべていたのです。尚「蜘蛛の糸」の「糸」を、山本健吉や原田種芽が、「絲」と書き改めておられますが、原句は「糸」です。「糸」は俗字ですが、文字から受ける感じはやわらかくて、私は木歩の原句を尊重します。」(講演速記のため口語となっている)

僕には木歩が、カントリー的な石楠の臼田亜浪のもとを去り、江戸風情を解する渡辺水巴のもとに参じた経過が、何となく分かるような気がする。木歩は、貧しかったが、やはり江戸下町の生まれであり、その美的感覚は江戸っ子のものであり、それは次の句にも現れている。
  
  蜆売りに銭かへてやる夏の夕
  七夕や髪に結ひ込む藤袴
  行く春や蘆間の水の油色
  船の子の橋に出遊ぶ蚊鳴鳥
  秋風や街呼び歩りく梯子売り
  街の子の花売の真似秋立てり

淋しいけれど、これも典型的な大正期の都会の風景であり、そこに自分の足では一歩も歩けない境涯を沈め、ただ見つめる作家の目がある。水巴に近く、亜浪からは、余程遠い。

じつは九月一日には、ろくな句も詠めなかった。
  駄菓子屋の錆びしベーゴマ木歩の忌
  木歩忌やグリコのおまけ書架の隅に
これは貸本屋の前に、木歩が一文菓子屋を営んでいたことに因んだ。
写真は「俳句研究」グラビアより(続く)

2 コメント

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富田木歩 (草野ゆらぎ)
2007-09-05 21:24:54
一読して木歩の句に、魅力を覚えました。
”我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮”は、凄みのある句ですね。このような状況にあったら、子規ならどんな句を詠んだのでしょうか。

「蜆売り」以下の句をみると、仰るように江戸の下町の空気です。山本一力の世界をみているような気もします。続編楽しみに「しています。
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草野様へ (百鬼)
2007-09-06 00:23:11
コメントをありがとうございます。
続編とぃつても、いつものことで大したことは書けませんが頑張ってみます。笑。
子規ですが、彼の場合は沢山の弟子たちも親族もいましたし、それなりに好きなものを食べる資力もありました。
木歩の場合は、極貧で、力のある友達は声風だけで、本人も社会的地位もありませんでしたから。そして孤独の度合いでは比べるべくもありません。
木歩には俳句だけしかありませんでしたからね。
師匠の臼田亜浪は、木歩に冷たかったですね。どうしてなのかなあ。わからないところが色々ありますね。
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