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新・非公正ブログ



伝統とは神棚の上に飾っておくべきものではない。発展の礎として足の下に敷いて使うものである。

例の女系天皇議論が気になっているわけだが、今日は弾さんのブログを見つけてスッキリした。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50202910.html

天皇制の是非を問うのによく使われている「万世一系」という言葉だが、これは理由になっているようでなっていない。

少し考えてみればわかるが、万人どころか生きとし生けるものは今のところ全て「万世一系」なのだから。
よく「何代続いた」という言葉を耳にするが、これはあくまで「何代先の親の名前を覚えているか」ということであって、覚えてなくてもそれ以前に親はいたのである。まだヒトが生まれる前から、ずっと。


http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50171713.html

そもそも女帝がOKかNGかを問う前に、「帝制」を続けるべきか否かをきちんと問うべきではないのか?
ここで勘違いして欲しくないのは、歴代天皇が無責任だったということではないということ。現在では天皇は責任を取る権利さえ剥奪されているのだ。これは立派な人権侵害で、そして私が天皇を国から切り離すべきだと考えるもう一つの理由だ。

天皇は、明らかに人間である。当然人権を持っているはずである。

しかし、職業選択の自由も事実上取り上げられているし、自らの意思を表明することすら掣肘がかかる。「国民政府」の決定に対してNoという機会もない。もし自分の意思で天皇が天皇であることをやめたいとしても、それはそもそも可能なのだろうか?少なくとも昭和天皇にはそれは許されなかった。


流石に弾さんほどの人物になると見解も論理的で説得力があるね(氏が開発に関わっているperl5.8には私も常日頃お世話になっております)。

私も、象徴天皇制はもう現代の感覚にあわないと思う。もう天皇家を日本の国体とかいうわけの分からんものの犠牲にするのはやめるべきだろう。

ところが伝統右翼どもときたら、まったくお話にならない。


http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=1699425

但し遺伝子の問題がありますから、周囲のご学友に旧皇族の然るべき男性を配し、出来れば自然の成り行きで愛子様が旧皇族男子を配偶者とされるような環境を作ればよいと提案します。


皇族・旧皇族の人々を競馬の種馬扱いではないか。何かおかしいとは思わないのだろうか。

われわれは平成の民主国家日本に住んでいるのである。今を生きる人々の生活と尊厳を守ることが至上である。その邪魔になる伝統は絶えてしかるべきなのである。

人類は有史以来たえまない革新を経て現在の繁栄を実現したのである。日本という国に限ってみてもそれは当然に真実である。何千年も前の伝統を守り続けてきたからではない。何度でもいうが、無意義なものを有意義なものに置換していく普段の営みが社会を維持してきたのだ。伝統とは踏み台である。進化の呼び水である。新しい「伝統」に置き換えていかれることにのみ存在意義があるのだ。


そもそも、そんなに日本の伝統を守ることが大切なら、最も尊重すべきは縄文文化であろう。今日から服装は貫頭衣に改め、米食も止めて土器で豆を煮て食うことにしたらどうか。そこまでやってなお万世一系とかいうなら、その覚悟は認めてよい。だが、そうでなく、21世紀の最新の文化に自分はどっぷりつかりつつ、天皇家の人々にのみわけの分からぬ義務を押し付けるのであれば、それは人として間違っている。
それが理解できていない伝統保守に現代日本で大きな顔をする資格はない。


↑B
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