「縦横無尽」 フローレ21社長のコラム

花の仲卸フローレ21社長小池潔がつれづれに語ります 快調に更新中

自然

2011-04-25 10:29:23 | Weblog
日本の豊かな自然が日本人の豊かな感性を育み、日本独特の文化を育ててきたことを書いた。
今でも間違いでないと思っているが、このたびの大震災はまさしく恐ろしい自然です。

南北に5000kmの細長い列島、中央に山脈が走り、四方が海に囲まれ、四季が美しい様相を一年通し見せてくれる。
その恵まれた自然、山や里、そして海から美味な食物を授かり私たちは生きてきた。
勤勉で粘り強く、豊かな感性はまさしくその自然から受けてきた恵みであると思っている。
自然と折り合いをつけ、地震、台風、水害、噴火、津波、これらの自然災害にも幾度となく立ち直ってきた。そして自然の猛威もそれがさだめのように耐えてきた。

私たちは生きる中で、快適さや便利さを追い求め、多くの自然を壊してきた。山を切り開き道路を造り、地中に穴を開け電車を走らせる、地上100m にも及ぶ高い建物を立て、海に何km もの橋をかけてきた。
生物の多様性の宝庫である高尾山の山をぶち抜いて道路を造る。都心の地中
は寸分の隙間もなく電車が走っている・都心は100mにも及ぶビルが所狭しと乱立している。
人間が自分勝手の快適さや便利さを追求して、こんなにも自然に挑み続けていいのだろうか。自然は我々の想いの届かないところで、我々の想定の遥かかなたで猛威を振るうことがある。

3月11日地震と大津波が三陸地方を襲った。気仙沼では「森は海の恋人」とし、豊かな海には豊かな森が必要と20年にわたり、山に広葉樹を植え続けてきた。気仙沼の大川が湾に植物プランクトンを大量に運んでくれる豊かな森の実現へあと一歩のところにあった。
うなぎの稚魚が大川の河口で見受けられるようになった。昭和50年代の気仙沼に戻りつつあった。

漁師「畠山重篤」NPO法人「森は海の恋人」の代表。大震災が起きて気仙沼が津波の被害と、火災での多くの死者と行方不明者をだした。
震災から毎日、インターネットで生存者確認を行った。畠山の生存を確認したのが、やっと一週間目の18日だった。家族10人は無事、しかし市街地の病院にいたお母さんは病院の3階まで津波が襲い、遺体で見つかった。命以外の全てのものを失った畠山はこう言った「これも・・・海なんですよね・・・」「今はまだ、何も考えられません。ただ、たとえどんなことがあったとしても、漁師は海から離れて生きられない」

私は畠山の書いた本を何冊か読ませてもらった。彼の思考と行動力は尊敬に値すると常々思っていた。
豊かな感性と繊細さと、勤勉で忍耐強く、まさに日本の厳しい自然の中で生き
てきた証のような人間である。私は必ずや彼らが豊かな海を再び取り戻し、漁師として復活するだろうと期待している。
日本の豊かな自然と共に!

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