天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

三橋貴明さんに会ってきました

2015-05-30 23:59:33 | 日記
 本日、地元青年会議所主催の記念講演で三橋貴明さんに会ってきました。
 彼は、深い、渋い声であり、ビアードというか、あごひげと、縁付き眼鏡と、白皙の顔が印象的でした。

 近年、年のせいか、十把からげる(?)癖がついて、いつも、三橋貴明さんと中野剛志さんをセットで考えてしまいます。彼らはほぼ同世代ですし、3.11の同じ年に、中野氏が刊行した、「国力とは何か・・経済ナショナリズムの理論と政策」という新書は、被災地の人たちと、心ある全国の国民大衆にむけた、この危機をいかに脱出するのかという理論と手法を懸命に模索した、現職の官僚としての最大の良心的な著作だったと思います。それは今も変わっていません。また、三橋氏は、同時期の著書で、「若者よ、被災地の現場にし立ってみよ、これが原点だ、ここから、私たちの全てが始まる(不正確な孫引きかも知れません。出典をなくしました。)」との言説があり、かれら二人を、新世代の最大のイデオローグと、最良最高のアジテーターと勝手にかんがえてしまいました。実は、アジテーターではなく本当はイデオローグかも知れません。彼の、経済資料分析と洞察には定評があるようだし、しかし、語りは周到かつ合理的で、聞いていて、よーく理解できます。きょうの講演を聞いた後の率直な感想を云えば、やはり、「語りの人」なのでしょう。
 経済がわからない私としても、いずれ、三橋さんの理論とその論拠について、わたくしの責務として、つたないながら、考察してまいりたいと思います。
 80年代ポストモダンは、A某とか、当時から反発しか感じませんでしたが、第二の敗戦期と称されるこの今の時期に、日本の国情に根差した(ナショナリティを思想的に媒介にした)、若い理論家たちが出てきたことは、日本国民にとっても大いなる喜びではないでしょうか。

 ところで、主催の青年会議所の方々は、バブル期のことだったかもしれませんが、「飲み屋には顔が利く」と称されておりました(それ以外はわかりません。)。
 本日の主催者として良い講師の選択には敬意を払いますが、そちらの事情で、今日の行事が立て込んではいましたが、しかし、主催者として講師と会場との質疑応答の機会くらいは持つべきではないでしょうか?
 それは、講師と真摯に講演を受け止めた聴衆に払う最低限の礼儀でありはしないでしょうか? 

カーネーションについて(尾野真千子・渡辺あや再考)

2015-05-28 21:39:40 | 映画・テレビドラマなど

 今は押しも押されぬ大女優となった尾野真知子さんと、尊敬すべき脚本家渡辺あやさんに、慰藉を与えていただいたことに対し、感謝の言葉を捧げます。

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「カーネーション」の再放送について  その1
                    H26.5.29
 毎朝7時15分から、NHKBS(103)で朝の連続ドラマ、「カーネーション」(当初放送平成23年後期)を再放送しています。主演尾野真千子、脚本渡辺あや、です。主演も、脚本家もとても好きな人なので、椎名林檎の主題歌を聞きつつ、食事の支度をしながら見ています。
 このドラマを見られた人は良く知っていることですが、大阪のコシノ三姉妹の母親の一代記ということとなります。没落しつつある、大阪の呉服屋(三姉妹らしい)の長女に生まれた主人公が、和服一辺倒の時代に、洋裁店を立ち上げる話です。いわゆるしゃんしゃんした(山口弁でしょうか?)尾野真千子は、近所のおばちゃんやおっチャンとも大阪弁でやりあい、時に、父親の小林薫には時に鉄拳制裁 (?) をくらい、とてもいきいきと育っていきます。ドラマの中の大阪の下町の雰囲気は、リアリティがあり、お裁縫から始まり、ミシンを手に入れ、技術・修練次第で、ミシン一つで作ることができる洋服が当時(近代)の女性にどれほど歓迎され、また解放の道具になったか、よーく理解できるようになっています。
 彼女の父は、出入りの呉服屋として神戸の大富豪のお嬢様を射止め(駆け落ちかなんかでしょう)、呉服屋を始めますが、うまくいかず、売掛金を幼い娘に集金させ、自分は威張っています。援助やら借金や何やらで、妻の実家には頭が上がりません。
彼女の母は、お嬢さんですが、おっとりして、夫の理不尽な仕打ちをやり過ごし、姑にも優しく、もちろん娘たちにも優しく、貧しい不安定な生活にも平然と耐えています。いわゆる、育ちのいい人です。ある意味、大阪下町の露骨であけすけな雰囲気の中で、ほっとするオアシスのような役割を果たしています。とてもいい役者さんです。いままでの朝ドラで初めて見る人です。「こんなやさしいお母さん(妻)が欲しい」、という感じですね。反発をくらうかもしれませんが、「嫁はええ家からもらわな、あかん」という世間智を地でいく人でしょうか。
小林薫は、同居の実母にはもろく、妻子には強く、利己的で、気分屋だけど人の良い父親の役を好演しており、ドラマを引き締めています。このたび、洋裁店をやりたい尾野真千子に店を開けわたし(同居の実母は残して行きます)、妻と他の子を連れ、きれいに出て行きます。また、娘思いでもあるのです。

 脱線しますが、小林薫は、昔、NHKのすし屋を舞台にしたドラマで、江戸っ子で、キップのいい、すし屋の親方の役をやっていました。それは、「イキのいいやつ」という寺内小春(小林亜星のドラマ「寺内貫太郎一家」を覚えていますか?その脚本家です。怒ったり、殴ったりすることでしか自分を表現できない男の話でした。)脚本のドラマでしたが、とても人気があり続編まで作られました。住み込み弟子を、おめーらは人間になる前の「ゴリラだ」と呼び、仕事を殴って仕込むというタイプで、毎日大騒ぎ、隣の仕立て屋の親方を当時まだ元気だった若山富三郎がやっており、弟子を諭したり、慰めたりしながら、皆で一人前の職人(人間)に育てていく、雰囲気のあるドラマでした。いわゆる、戦前からの職人の修行のやり方、弟子に対する厳しい修行を通じ、商売と、周囲に対する思いやりと礼儀を仕込むという、何より、一人前の人間を育てるという大きな主題(当時弟子ひとりとると一軒店を出すほどお金と手間の要り様があるそうです。)を扱い、戦後派の我々にも十分に理屈がわかる、「義理と人情」のドラマでした。
「近ごろの日本人は薄汚くなった」、「昔のいい時代の日本人を描きたい」、という意味のコメントを、当時、寺内小春はしています。ドラマの中で、すし屋の親方が弟子に、「お前は、金がそんなに大事か?」と真顔で聞き返す、シーンがあり、私の気持ちとしても、「確かにそうだったな」と納得した覚えがあります。当時の普通の日本人の気質(エートス)が、人前で、「金が全て」などと広言するのを許さなかったということでしょうか。
いかにも日本人らしい顔つきの小林薫が、まったくはまり役でした。

 本題に戻って、尾野真千子の演技は、きれいも、汚いも、素でいけるようで(上手なのでしょうね)、女学生がいつの間にか自然に女職人、タフな経営者になっていきましたが、とてもリアリティがあります。これからどうなるんだろうかと、期待が持てます(知っているけど)。決して、美男、美女ばかりが出るドラマではないけれど。
 大正生まれの主人公の時代を考えれば、吊るしの洋服も何もなかった時代に、殊に、女性が洋服をあつらえることが、如何に晴れがましく、幸せだったかが、とてもよく理解できます。ドラマを見るうちに、そのうれしい感情を共有したいような気もしてきます。洋服は文化である、とは今ではごく普通の考えかもしれませんが、ドラマの中で、洋服を作る前に、洋裁の先生が「この服で正装して、心斎橋(目抜き通り)を歩きましょう。堂々と、まっすぐ前を見てね。誇りを持つんです。」と先生に言われ、ハイヒールで闊歩するシーンがあり、いい時代だったなーと思えるシーンもあります。
 東京制作のドラマも、大阪制作の朝ドラも、それぞれ、出来、不出来があり、さすがに全部はとても見ていませんが、大阪発は記憶の強い順から、「カーネーション」、「てるてる坊主の照子さん」、「ふたりっこ」などが挙げてしまいます。いずれも、大阪の雰囲気がたっぷりで、個性の強いドラマです。(余計なことですが、「ほんまもん」というドラマの主演、池脇千鶴は、後で、映画「ジョゼと虎と魚たち」の主演を張りました。)
 今、テレビはようやく、親の決めた結婚の話になり、今後、戦争突入、夫の戦死、敗戦を経て、戦後偏に入っていきます。個性あふれるコシノ三姉妹の演技、尾野真千子にどうしても告白できなかった醜男ほっしゃんの一途な純情ぶり、そしてそれらを一気に食っちまう、尾野真千子の大女優ぶり、とても楽しみです。そして、戦後の、文化服装学院 (?) から始まり、世界に誇る若手デザイナーたちの勃興とその青春期の描写など、今後も、達者な、渡辺あやの脚本でしっかり楽しめそうです。
 朝の余裕のある方、是非、お勧めです。
 ところで、カーネーションは、洋服にしか似合わないしょうか。
 題名の「カーネーション」は、コシノ三姉妹から、母に対する感謝の思いというよりは、困難な時代と貧困の中で、一代で洋品店を立ち上げた母の生涯(名を挙げた自分たちから同等なものに)に対する、オマージュ(賞賛と敬意)というものかも知れません。     

ジョゼと虎と魚たちについて

2015-05-28 20:48:37 | 映画・テレビドラマなど
今日は、映画の話です。古い映画ですがご容赦ください。
あらすじを書きすぎていますが、見てない人にはサービスとして考えていただいて、本当のところ、是非お勧めします。

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「ジョゼと虎と魚たち」について
                         H25.12.20
 私が、妻夫木聡のファン(ふつう男のファンにはならないですが)になったのは、標記の映画(DVD)を見てからです。
 この映画が封切られたのは、平成15年(2003年)のことです。
 監督は犬童一心、ほら「のぼうの城」の監督です。
 脚本は、渡辺あや、前NHK大阪の2011年下半期に放映された朝ドラ「カーネーション」の脚本を書いた人です。デザイナーのコシノ三姉妹の母をモデルに、あくの強い大阪人を演じた尾野真千子の名演技と、仕事仲間の「ほっしゃん」の醜男ぶりと報われない純情ぶりが大変おかしく感動的でした。いろいろな人に支持されて、当時とても評判になったドラマです。
 渡辺あやは、ほかにも「火の魚」(2009年、NHK広島)が印象的で、盛りを過ぎた偏屈な小説家と死病を隠す編集者のエピソードで、同じく尾野真千子の抑えた演技と、私の選ぶベストアクター原田芳雄の晩年の存在感をよーく覚えてます。(後で映画になりました。)

「ジョゼと虎と魚たち」は、私にとって、ベスト脚本賞を進呈したいような映画です。
雀荘(麻雀屋)でアルバイトする哲夫(妻夫木)は、みすぼらしい老婆が毎朝古い乳母車(箱形のあれです。)を押して散歩する話を聞きます。さすがに大阪の下町でも奇妙な光景で、雀荘の客が「薬の取引や」とか、「大金かくしてるんやでー」とか言います。
ある早朝、かったるそうにバイクを走らせていた哲夫は坂の上から乳母車が、加速がつきながら、滑り落ちてくるのを見ました。ぼーぜんとして視ていると、目の前で、乳母車が止まります。後ろから、髪をふり乱したお婆さんが、「にいちゃん、止めて―、止めて―」と追っかけてきます。乳母車は、厚く毛布が掛けてあり、哲夫がおそるおそるめくってみると、いきなり出刃包丁で切り付けられました。飛びのいた、哲夫に、涙と汗にまみれた
幼げな年頃の女の子が見えました。それが、ジョゼ(自称)(池脇千鶴)との出会いでした。
 お婆さんは喜んで、せっかくだから、朝ご飯を食べていけ、といいます。気のいい男で、
二人への興味もあり、哲夫はのこのこついていきます。
 朝食は予想に反して、美味しそうなものでした。厚焼き卵(おろし添え)や煮物、味噌汁で、汚い狭い家での食事でありながら(当然丸いちゃぶ台ですよね)、哲夫はすっかり満足してしまいました。
 お愛想半ばで、「本当においしかった」というと、ジョゼは調理台の前から飛び降り(彼女は下半身が動かないのです。)、「うちが作ったから当たり前や。(玉子だから)サルモネラがついているかもしれんでー」と可愛げのかけらもなく、ぎょっとすることを言います。
 そして、自分の部屋、おし入れの下半分の部分に入り込んでしまいました。
 話の接ぎ穂が亡くなった哲夫に、お婆さんは、問わず語りにジョゼの身の上を語りだします。「何で、足が動かんかもわからん」、「身寄りもないし、世間のもてあましものやから、隠れて生きとかんといかん」、「ジョゼがどうしても頼むから、(人のいない早朝とか深夜とか)乳母車に乗って散歩に歩いとる」、「悪いやつがちょっかいを出すから、今日みたいな
ことになる」、といいます。これも癖のある婆さんで、婉曲に「もう来んといてくれ」といいます。
 哲夫は、アメラグを故障でやめ、セフレも、ガールフレンドもいる普通の大学生です。実家から野菜を送ってきたので、興味と、食欲にもひかれ、再びジョゼの家に行ってみました。「何しに来たんや」、とか言いながらも、ジョゼは家にあげてくれ、ご飯も作ってくれます。そして、だんだんに、彼女の生活のことを、手の付けられないような言い方ですが、話してくれます。彼女が、意外な読書家であること、読む本はごみの集積場からお婆さんが拾ってくること、したがって、三流週刊誌から、学校の教科書、何でも読むこと、なぜ、ジョゼかというと、フランソワーズ・サガン(皆さん憶えてます。)の「ブラームスはお好き」という恋愛小説に出てくる人物からとったこと、上巻しか読めず、どうしても下巻が読みたいこと、を目を輝かせて語ります。「いつか、誰か捨てへんやろか」と。
 「何で隠れてまで散歩に行くんだ」と、哲夫が聞くと、「外を見なあかん。猫とか・・・」とジョゼは答えます。「悪いやつがのぞいたら、思い切り、切ったるンや」とも。
 押し入れに閉じこもり、スタンドで本を読みふけるジョゼの無垢なありようと、賢さ、その悲しい日常に、哲夫はだんだん惹かれていきます。
 おせっかいな哲夫は、安売りチエーンの古本屋でとうとう「ブラームスはお好き」の下巻を見つけます。とても喜んだジョゼは、秘密を明かすような口調で、「うちの息子に会わしたるわ」といいます。
 哲夫は、乳母車を改造した手押し車で、ジョゼを連れ、場末の修理工場を訪ねました。
相手はバリバリのヤンキーでした。
「なに言うとんのや、ぼけー。わいに家族なんかおるかいや」ということになり、「息子や」と言い張るジョゼをしり目にほうほうのていで引き揚げていきました。
手押し車四輪車で走るとき、「いけー、いけー」とジョゼは本当に幸せでした。
ある日、量販の金物屋においてスパナで殴られ倒れた男を見た哲夫は、とっさに、逃げようとしました。「待て」といったのは、ジョゼの息子です。
 自販機の前のスペースで、「息子」は、問わず語りに、ジョゼとのいきさつを語ります。
 昔、二人は養護施設にいましたが、息子は、すでに粗暴で、「おかあちゃん」、「おかあちゃん」と泣く、ほかの子を、「(甘えるな)ぼけー、ぼけー」と積木か何かで殴りつけていました。ジョゼはそれを傍らでずっとみていました。施設の生活にこらえかねた息子は、ある日、ジョゼを背負って家出しました。行き所がなくなった二人は、夕暮の児童公園に行ったのですが、その時、ジョゼがぽつんと、「うち、あんたのお母さんになったるわ」というのです。
息子は、「そんなもの要るかいや、ぼけー、ぼけー」と遊具を蹴り廻すのです。
「それからやろ、あいつが、勝手を、ワイを、息子や、息子やと言い出したんは」それが、ジョゼの唯一の友達、「息子」だったのです。

 そのうち、外あるきがばれ、「何で外に連れだしたんや、うちの子は壊れもんです。世間様に見せるつもりはありません。二度と来んといてな。」、とお婆さんに、哲夫は締め出されてしまいました。
 ガールフレンド(上野樹里)に相談すると、「公的な支援が受けられるかもしれん」、と役所(区役所)に掛け合ってくれ、住宅改造が受けられるようになりました。当日、連れ立ってきた、二人をみて、ジョゼの顔色が変わります。ジョゼは自分の居場所に閉じこもってしまいます。その時、やって来た、改造会社の担当が、「感心な兄ちゃんやな、うちに会社訪問せーへんか」と誘ってくれました。
 その後、哲夫が行っても、ジョゼは出てこなくなりました。何度も何度も戸をたたいても駄目です。(家の内側で泣いていました。)
 見かねたお婆さんが、「これ以上、二度とかかわらんといてくれ」と再度の駄目押しでした。
 しばらくたって、哲夫は、会社訪問先の改造会社の担当に、「お婆さん、死にはったみたいやで」と教えられました。
 すぐにジョゼを訪ねた哲夫は、「来るなといったけど、何で来んかったんや」と理不尽に責められ、泣かれます。
 哲夫は、ジョゼと一緒に暮らすようになりました。
 ジョゼが、「虎が見たい!」といいます。天王寺動物園の虎の前にいって、生まれてはじめて、虎を見ます。「ものすご、怖い。」、「うち好きな人が出来たら、一遍だけ、虎を見たかったんや」という、ジョゼ(池脇千鶴)の顔がとっても良い。これだけで、この映画を見る価値があります。
 冬の寒い日、ジョゼと哲夫は哲夫の実家を目指して旅に出ます。例の息子のヤンキー車を借りて。他の車に煽られながら、海が見たい、魚が見たいというジョゼの希望で回り道をするのですが、水族館はお休みです。モーテルに泊まって、走馬灯に、魚の影が走ります。「海みたいやなー」とジョゼは言います。「もうこれでええで」とも。(まるで、二人はもう長くは続かないなー、とでもいうように)一挙にジョゼが成熟します。
 結局、哲夫は、ジョゼを実家に連れていけませんでした。

 哲夫は、ジョゼの家を出ていくことになりました。歩くうちにわんわん泣きながら、途中から、卑怯にも昔のガールフレンドにつかまりながら。
 あのシーンで、妻夫木君が好きになりました。
 弱い、卑怯な男です。弱い者や、かわいそうな人に優しいと思い、自分でもそう言っていたのに、自分で自分を裏切り、ジョゼを捨てるのですから。
 しかし、ここには正しく感動があります。赤裸々で切実な人間の苦悩と悲しみがあります。
 その後、ジョゼはもう手押しの車には乗りません。電動のカートに乗って走り去るのがラストシーンです。
 
 妻夫木君と同様に、池脇のすさまじく美しい演技と、「息子」のヤンキーぶりは見ものです。こてこての大阪弁は嫌いだったけれども。(後、池脇と息子の二人は、週刊誌の見出しで、付き合ってるとか読んだけど、映画の親和力のせいでそうなったのかなとも思ってしまいます。「息子」は何と青森県人らしいですが、とても素晴らしい、本物の、きたない大阪弁をしゃべるそうです。)

 さる人に、この映画を勧めて、感想を聞くと嫌がられました。
 たぶん結末がヤなんだと思います。
 しかし、私とすれば、この映画は私のベスト脚本というしかありません。
 それ以来、今でも、妻夫木君を見ると、時によって、つまらない映画に出ていたとしても、とても懐かしい気がするのです。

この映画が、公開当初、全く無名の映画だったけれども、その後ロングランを続けたこ
とはよく理解できます。当時、皆が皆、「ブッキー」(というそうです。)のファンでもなかったであろうに。
あいそのない「くるり」の音楽も、同じく、とてもいいです。

 渡辺あやさんは、島根県在住の脚本家だそうです。
 夫と二人の子の親で、家業を継いだ夫に従い、脚本家をしながら、自分は田舎で雑貨店を経営(店番)していると聞きました。彼女のHPで、彼女はこの映画のロケにずっと同伴(きわめてまれなことらしい)し、池脇さんはプロ意識のとても強い人だ、とか、犬童組はほんとに居やすいとか書いてました。
 
 こんな映画を見ると、私の大嫌いな、緑もなく、騒々しく、汚い大阪もいいところかもね、と思ってしまいそうです。
年末に見るDVD映画であれば是非お勧めします。「妻夫木コーナー」にたぶんあると思います。(渡辺あやと尾野真千子については、また何か書きたいなと思います。)

ひこうき雲という歌について

2015-05-27 22:52:23 | 歌謡曲・歌手・音楽
 時宜に合わぬ感想ですが・・・・・・

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ひ こ う き 雲
                          荒井由美 作詞・作曲(1973.11)
 白い坂道が 空まで続いていた
 ゆらゆらかげろうが あの子を包む
 誰も気づかず ただひとり
 あの子は 昇っていく
 何もおそれない そして舞い上がる

 空に憧れて 空を かけていく
 あの子の 命は ひこうき雲
 
 高いあの窓で あの子は死ぬ前も
 空を見ていたの 今はわからない
 ほかの人にはわからない
 あまりにも 若すぎたと
 ただ思うだけ けれどしあわせ

空に憧れて 空を かけていく
 あの子の 命は ひこうき雲

空に憧れて 空を かけていく
 あの子の 命は ひこうき雲


 名作、「風立ちぬ」のDVD発売が、平成26年6月18日となっているそうです。
最近すぐ、回顧的になってしまいますが、先日、あの映画をみたとき、余りに印象的だった最後の主題歌、「ひこうき雲」について触れてみたいと思います。「風たちぬ」の内容については先に触れたとおりですが、このたび、様々な人のブログで、映画同様、この曲が、セットで大変な人気(リバイバル)であることを知り、なるほど(私だけではなかった。)、と膝を叩いた次第です。
 というのが、恥ずかしながらご披露しますが、例のXPサービス終了騒ぎで、家のPCの更新をとうとうせずに済まし、ドコモのタブレットを買っつまいました。ブログを立ち上げる器量もなく、ツイッターもむなしいので、久しぶりのネットサーフィンで他人のブログを覗いていましたが、このたび、とあるブログで、「風立ちぬ」の愛好者=「ひこうき雲」の愛好者を見つけたのです。
 彼が言うには、感覚的におばはんになってしまった松任家由美はもういい(この点同感です。)、青春期で「死」が身近で新鮮な、青春時代の感性を残したようなアーチストの歌がいい、という選考です。(blog.goo.ne.jp/mdcdc568 美津島明編集「直言の宴」)
彼の選ぶベストスリーとして、三位、長谷川きよし、二位小谷(オダニ)美紗子、一位、小柳淳子(ジャズシンガー)となっていました(詳しくはブログをどうぞ)。
 You Tube で検索が可能ですが、長谷川きよしは削除されたかも知れません(後に復活)。
私の感覚では、一位と二位は入れ替わるかもしれませんが、彼女たちのひこうき雲を聞けば、「風たちぬ」の映画が想い起され、松任家由美バージョンの最後のタイトルロールでは、涙が出るように感動的な曲だったのを再度、思いだしました。

 この曲は、荒井由美が高校生の時作った歌だそうです。
若いときは、とても死が身近に、時に親密になる時期があるもので、当時の荒井由美の、とても直截で、悲しく、明るく素直な気持ちがそのまま伝わってくるようないい歌です。
彼女は、1954年生まれ(知らなかった!)で、高校生のころといえば、俺と同じじゃん、ということになります。老舗の呉服屋のお嬢さんだったと思いますが、1974年当時の生意気盛りの高・大学生の男は、色ものと思えた荒井由美などあまり聞かなかった、今回映画を見て、初めて、いい歌だったんだなー、と腑に落ちたようなところです。
(試みに荒井由美「ひこうき雲」のアルバムの曲を列記すると、「ひこうき雲」、「曇り空」、「恋のスーパーパラシューター」、「海と空の輝きに向けて」、「きっと言える」、「ベルベット・イ-スター」、「紙ヒコーキ」、「雨の街を」、「返事はいらない」、「そのまま」、ということです。皆さんにとって印象深い曲がありますか?「夜の街を」は、愛好者が多かったので、さすがに私も知っています。)

この歌も、「風立ちぬ」という映画作品も、私には、昔好きだった小説の中で、(主人公の實朝が、平家物語の琵琶語りを聞きながら) 「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。・・・・・・平家(へいけ)ハアカルイ。」(「右大臣實朝」(太宰治)、と、独白した、武門の権力闘争の渦中で陰惨で悲劇的な最期を遂げた天才歌人の言葉を、想起させます。

 また、私には、小林秀雄が、戦争末期に、同様に「実朝」の最期に触れながら、真珠湾攻撃に参加した若い兵士たちに共通する気持ちを、「感傷もなく、邪念も交えず透きとおっている。」、「その叫びはかなしいが、訴えるのではなく求めるのでもない、彼(ら)には、凡そ武装というものがない」(「實朝」(小林秀雄))と論じたのと、その情感(?)の質は通底しているようにも感じられます。
これは、「文学」の本質の話です。あらゆる「厳しい」状況の中でも、文学の慰藉(慰めとよろこび)は、求めるものにその場所は確保されなければならない、という話です。
 このブログの主催者は若いし、戦中派(戦争中に青春時代を過ごした人)や、われわれのような生粋の戦後派と、太宰治や小林秀雄のような、近代以降、明治期の文学者をつなぐ、いわば、共通の理念(「エートス」と言っていいです。)でも共同主観性でもいいのですが、相互に波打つ共通の感情の流れを感じてしまいます。

 もし、当時の若者たちが、「明るかった」とすれば、現実を改変しようと、自分の実存をかけ戦ったとしても、最後にどうしても現実が二者択一で強いてくるのであれば、従容として、滅びという現実をも受け入れる、その覚悟と静謐な気持ちの動きに、世代を超えて感動する、ということではないかと思われます。

これは、何も、現実の危機的な状況に追い込まれても抵抗もなにもしない、ということではなく、人は歴史の可変的な部分のそれぞれの局面で、必死で戦うべきであろうし、逆にそんな政治的経済的状況に追い込まれることを許してはならない、また敗者を賛美するわけでもない、それは、私にとっては、「風立ちぬ」の主人公たちの、必敗や、死が不可避であった時代の雄々しく絶望的な戦いに重なっていきます。(小林秀雄も、「戦が始まった以上、いつ銃をとらなくてはならないかも知れない。・・・・・・文学者として銃をとるとは無意味のことである。戦うのは兵隊の身分として戦うのだ。」(私注記:自分は国民が否応なく受け入ざるを得なかった戦争に行って他の人たちと同様に黙って死のう)、と書いているではありませんか。)

私の決して好きでないキリスト教でも、「○よ、変え得るものを変える勇気と、変え得えないものを受け入れる勇気を与えたまえ」、というではないですか(昔、山本直樹の漫画で読んだのですが)。
でも、決して、彼らはそうはしない、と私は思います。
 これは、プラスとかマイナスの問題ではない、と思われます。「日本人」は日本人の「感覚」で動くだろうと考えられるからです。

男の晩年の多くはなぜみじめで昏いのかについての考察

2015-05-27 22:38:05 | 時事・風俗・情況
家族社会学的考察(正月のテレビを見て考えたこと
  (男の孤独と、周囲からみたその「やりきれなさ」について)
                                        H26.1.24
事情があって正月中テレビばっかり見ていましたが、NHKのEテレで、午後9時頃から「団塊世代スタイル」という番組があります。その時まで知りませんでしたが、この団塊世代は50歳第以上が対象ということで、我々も立派な視聴者です。このたび興味深かったのは、高齢者ストーカーというタイトルで、高齢者の破廉恥犯、粗暴犯の急増に対する対応を扱った番組でした。
地方紙を見ても、老人(異論があるかも知れませんが60歳以上とします。)の事件が大変多いのは毎度のことです。万引き、窃盗、暴行、わいせつ行為など、新聞に載らない日は少ないかのように思われます。先に、70歳代女性に対するストーカー行為というのがあって、年下のストーカーの被害を受けるという事件があり、お気の毒な話です。
また、他にも施設入所の70歳代の女性が、同所に住んでいる複数の60台の男を手玉に取った(愛と性をかけて男二人が傘で決闘をしたそうです。)とかいうのもあって、なかなか深い話です。
番組の中で、老人融和(ほぼ男です。)の試みというのがあって、熟年者デート支援というので、若い女性を時間給3000円で雇い、散歩、食事(酒を伴わない。)、コンサート観戦、カラオケなどいわゆる中学生みたいなデートをする、というものです。この試みは、熟年男性の、疎外感、孤立感をいかに癒すかというものなのです。
今回出演した利用者は63歳で、妻と死別(離別でもいいですが)し、子どもがなく、独居世帯です(たぶん自分で何ら感情の澱を感じないような人なのでこのサービスを利用するのに、道徳(?)的な逡巡はあまりないのでしょう)。
今日の予定は、まずジャズ喫茶を梯子し、散歩して、食事し別れるという予定です。カメラがずっとついて行きますが、話が弾み、女性は聞き上手で、ちゃんと相槌を打ってくれます。彼は、最後にお金を払って機嫌よくわかれますが、やっぱりカメラの眼は冷徹で、彼の孤独もわびしさもみんな映し取ってしまいます。
たぶん、男は、退職と同時に、ほとんどの社会的関係を失い(男だけの職場であったかも知れない)、しろうと(?)の女性と話す機会をほとんど失ったのでしょう。殊に、妻も子もいなければ、気の毒な境遇になります。このたびの彼の習慣は、ストーカー行為に及ぶよりははるかに健全で、理性的な方法なのですが、どうしても、いうなれば、いかがわしさが付きまといます。しかし、たぶん、男にとっては、異性に話を聞いてもらって、承認してもらうための時間が、是非とも必要なのがよくわかります。例えば、私たちにもし相談があれば、この人には、自治会活動や、行き所がなければ、女性を含む趣味の集まりとして、公民館とかで活動されたらという話になりますが、そのような関係にも入りにくい人かなとも思います。人には、向き不向きがあって、男には在職時の社会的な関係(地位)がこびりつき、退職後も序列を要する人はいるわけで、その意識が呪縛のように更にストレスになり、参加できない人もいるのも、うそではないと思います。また、趣味の会も知らず知らずに(男も女も含めて)序列を含むので、皆にとって居やすいという環境は難しい。誰かの言いぐさではないですが、自己努力で、また彼の能力や資力で、彼の状況が変わるかも知れませんが、それも若い男と同様、持つものと持たぬもの(小谷野敦の「もてない男」参照)は、生まれてからずっと不断に存在するので、(終わった)老年者に対し、能力を高めよとか自己努力(村上龍のいうように、「意中の人に振り向いて欲しい」若い男にはそれしかないでしょう。)を期待するのは酷な話です。
しかし、ごく平凡なモデルのおじさんは、「昔はジャズが好きで、コルトレーンがどうでアイラーがどうの・・・」、と、聞き上手の若い女の子と楽しく話ができたでしょう。それだけとはいいませんが、楽しく、充実した時間であったに違いありません。また、お金を払ってもの、そんな話(?)をよく聞いてくれる性格のいい若い子が、普通にいるとも思えません。

その後で、司会の吹雪ジュンが、「なぜ男の人は(いい年になって(お金を払ってまで))そんな付き合いを求めるんでしょうねー。趣味とかに生きればいいのに。」というと、他の出演者(全部男)全員が、カメラの前で凍りつきます。
*ナイーブな人がいたら困りますので説明しますが、男が50~60歳台になった時点で性的にニュートラルになるなどあり得ない話です。また、同時に、吹雪ジュンは勝者なのです。たぶん、愛も性も抜きに、お食事をおごってくれたり、どこかへつれて行ってくれたりする男はいくらでも、彼女は確保しているのでしょう。いわば彼女は、彼女が付き合っている金も教養もある男の立場から、疎外されている男全体を鳥瞰(いわば意識されない勝者の目線で)しているのです。ただし、女性は、同性のお友達を大切にしますし、「今日からフラ」とか、前向きです。期せずしてこのような話が出るのも確かです。(「女は関係、男は立場」という含蓄のある言葉もあったですよね。)

止むを得ず、年をとってもいい男の鳥越俊太郎が(平凡な男たちの恨みを買わないように謙虚に)答えます。「うちは妻がいてとても幸せです。私には、そんな孤独には堪えられそうもありません。」
他にも参加している、修羅場を踏んでいるはずの心理学者なども、吹雪ジュンの単純で率直な質問に、また余りに天然な疑問に、はかばかしい答えができません。
参加の男ども(同席の男アナウンサーを含めて)には、多くの(わびしい)高齢の男の、不器用さと、切実さと、ある意味で切々とした悲しみが、心に沁みてくるからです。

この前、秋葉で、お出かけデート斡旋所というのが摘発されました。
女子高生などと、時間契約で、希望した男が秋葉周辺をデートしてお金を斡旋所に払う
という、老年デートクラブといわば同様なシステムです。ただ、(間違いなく)男はそれ以上のサービスを求めるので、被害が出て、警察に摘発された事件です。
また、以前に、「耳かきサロンストーカー事件」(常連男の付きまとい殺人事件)というのがありましたが、被害にあった子は、可哀そうですが、彼女は、最初「耳かきサロン」は風俗ではないと思っていたとしても、仕事をしていくうちにその危うさは、被害者の女の子にはたぶんわかっていったと思います。しかし、サービスとサービスの隙間を埋めるような、いかがわしさと、お話し相手になってあげるという中間のサービスで、お金をもらう仕事ではありますが、実は相互に人間同士としての微妙な駆け引きと交流の刹那があったのかもしれません。「生活者はその隙間を生きる」と昔、山田太一(脚本家)が言っていたように思います。そうでなければ、風俗の無意味さと殺伐さに人間の精神が堪え切れるはずがないと思われるからです。
いずれにせよ、(ありがたいことに全部が全部ではないでしょうが、)男は暴走するのです。今回の老年者デートクラブも、現象的には、秋葉デートクラブなどと違ったものとは思えません。老人にそれ以上踏み出す余力(?)や、過剰な思い込みがあるかどうかです。

以前(2002年)、「アバウト・シュミット」という映画がありましたが、怪優ジャック・ニコルソン主演の映画で、男誰もが自分の将来として想定できるような嫌われ者の老人のおかしさ悲しさをこれでもかと描いた笑える凄い映画(最後は、チャップリン映画のように、上質な悲哀に逢着するのです。)でした。その中で、定年後、妻と死に別れたシュミット(ニコルソン)が、娘との折り合いが悪く、思いつきで放浪の旅に出たとき(彼は若いときイージーライダーに主人公と放浪する酔いどれの弁護士の役で出てました。)、旅先で親切にしてくれた女性に一方的にほれ込み情愛を込めてキスして、相手方が逆上して怒り出すというシーンがありました。女性にすれば、自分の至上の善意(隣人愛)が、汚い老人に汚されたような気がしたのでしょうが、男と女の行き違いというか、人間の存在意義(?)に触れたというか、なかなか深い話です。

 ところで、暴走は、暴走なので、犯罪ですから、老若を問わず司直で裁きを受けるのは当然ですが、なぜ、こんなに枯れない老人が増えたかということとなれば、やはり超高齢化社会の到来と、家族の規範が弱くなったとしか言いようがないような気がします。それと同時に、ストレス過重の社会の中ではありますが、規範意識の鈍磨と、現在の社会で際限ないように拡大される自己欲望の無限追求が、老人の中ですら一般的になってしまったようにも思います。

今にして思えば、我々の父祖は少なくとも、家庭で「倫理」とか「正義」はちゃんと説いていたように思います。嘘でも「四十にして惑わず」とか、理不尽にでも「悪いものは悪い」と言い、その「倫理」を説く人間は、家族や「世間」(地域社会)の無意識の集団的な監視にもとで、余りに極端な行為には踏み出せなかったはずです。
 ただし、現在では、若い男と同様に、老人も暴走する人が多い、ということは、よく認識する必要があります。それはもう、若い男と同様で、きっぱりふってやり、必要であれば司直に直ちに連絡してください。それがそれぞれの救い(悪いことは悪いのですから若者でも老人でもそれとして認識してもらわなければどうしようもない。)にもつながります。

 これから、更に、ちょっと暗い話をします。

村上龍の短編で、失業し手持金の無くなった初老の男が、女子高生と交渉してカラオケに一緒に行く(カラオケに付き合うなら○○円よ、という話です。)、という短編があります。カラオケボックスで、「北風吹きぬく寒い朝を・・・」とひとりで歌いながら、男は自分の人生を脳裏で回想します。苦学してやっと出た二流の私立大学、二流企業への就職、職場結婚、親を無視しひきこもる息子、リストラ、就職できず、代わりにパートに出た妻の浮気、最初から話もせず携帯をいじりくすくす嗤う二人連れの女子高生の前で、「・・・騙されていた。俺は騙されていた・・・」と、心中で独白しながら、唯一青春時代に覚えた歌を続けます。すさまじい光景ですが、瞬時に切り取られた、それぞれのどうしようもない孤独と、隔絶と、その救いのなさが、背筋を凍らすように優れた凄い作品になっています。 
(歌は「寒い朝」昭和37年、吉永小百合)

日本人の自殺者は、一昨年からようやく二万人を割り込むようになりましたが、自殺者のほとんどが熟年(40歳代後半から50歳代以上と思ってください。)の男であり、もちろん形而上学的な悩み(愛とか恋とか蜂の頭ではなく(お前はフーテンの寅か))ではなく、リストラ、離婚、生活苦、病気(心を含む)、孤独、孤立です。リストラが大流行りだったころ、リストラされた男が妻に責められ、居宅を引き渡し、必死の求職の挙句、浮浪者になるか、自殺するようなケースも多かった(「村上龍」のエッセイがあった。)ようです。これは、私たちにとって、現実的に、本当に、耐えがたい話ですが、労組や、職場や、家庭(妻)からでさえも支援がなく、一人で全ても背負わなくてはならない、おそろしいほどの男の孤独の状況は、本当は、ストーカーどころか、そんな余裕のある話ではないようです(当然、女の厳しい状況もありますが今回は敢えて触れません)。
また、熟年の男の自殺は、同時に彼の周囲の家族も崩壊させていきます。
当時、年収500万の人間を20人リストラして、社長の退職金を一億円払うという笑えない、話がありました。
現在でも「自己努力がない」とか、「おれのように出世してみろよ」、とか右肩上がりの時代のように言い切れる人がいるのか、私は疑問に思います(個々の努力を否定するわけでは毛頭ありませんが)。
まだまだ、少なからぬ、温厚な日本の男たちは、最後には、命すら、家族に、世間に差し出し、黙って死んで行くのか、と昏い(くらい)気持ちになってしまいます。
これは、多くの、殊に大正末期生まれの男たちが、当時の太平洋戦争の絶望的な状況の中で黙って死んで行った時代に比べても、現代の、その背後にひかえる家族からの絶望的なほどの孤立を前提とすれば、現在はもっと切実で悲劇的な状況ではないでしょうか。
 私の心の「澱」のようなものは、積み重なっていくばかりです。
「君たちは無罪である、敵は「制度」である。「制度」を撃て。」と、学生時代のように大見得を切ってみましょうか?
しかし、今になって思えば、敵は「制度」(政治的な問題)だけではないような気もします。
何が「制度」で何が「敵」なのかは、相変わらず今も見えにくいですが。