思った事をそのままに

毎日綴る事は無いと思いますけど、日常の生活やその他に感じた事を思うが侭に書きたいと思います。

偏向報道を追求する団体を批判する一部のマスコミ

2015-11-27 18:31:33 | 社会

「放送法遵守を求める視聴者の会」という任意団体が26日の会見で、TBSの報道番組「NEWS23」が安保法案の報道に関し放送法に反していたのではないかとして、アンカーやってる岸井やTBS、総務省に質問状を送った事を明らかとした。

自分は過去には「NEWS23」を観ていた時もあったんだが、TBSの報道番組の偏向ぶりにうんざりする様になってしまい、昨年から見るのは止めた。あの時間帯での報道番組は「ZERO」を観る様にしている。
といっても最後まで見ているわけじゃないけど。

「NEWS23」は観ていなかったんだが、夕方の報道番組は過去からTBS系のチャンネルを観ていて、6時前になると「Nニュース」とやらが始まる。適当に観ていたんだが、安保法案に関しては批判的な事ばかりを報じ、決して客観的視点から安保法案を報じていたなどとは思えない。
夏頃からだったろうか、本当にうんざりする様になってしまい、あいつらの面も観たくないと思えてしまい、別のチャンネルに変えるようになってしまった。

自分はもう何年も前からサンデーモーニングなんてばかばかしいと思い観ていないが、長々と続く番組でもコメンテーター達は偏向した発言を好き勝手に吐きまくっているんじゃないのか。

「NEWS23」だけでは無い。TBS全体の報道番組に対して今年の9月30日のTBS社長の定例会見で「安全保障関連法案をめぐる同局の一連の報道について、「安保法制の議論は国論を二分している。法案が通っても、まだ疑問に思っていたり、『説明が足りない』と思ったりしている人が多いのは間違いない。弊社(TBS)の報道が『一方に偏っていた』というご指摘があることも存じ上げているが、われわれは公平・公正に報道していると思っている」と」(産経新聞2015/09/15)堂々と発言していたよ。
自分達の報道に間違いはないんだと。

何よりも報道とはWikipedaの報道の報道の原則に「報道は表現の自由に基づく、報道の自由や知る権利に支えられている。反面、報道は客観報道の原則を守らなければならないとされる。
報道は報道を受け取る大衆との信頼関係の上に成り立っている。 この為、報道は事実に基づいたものである必要があり、事実を追求するための取材が不可欠である。 憶測や推測に基づく記事は、信憑性が失われる原因となり、結果として信頼関係を失うこととなる。 取材をして裏付けを取り、事実を報道することが、報道の原則である。」と書かれてあるが、これは放送法第4条とも合意する内容ではないだろうか。

産経新聞の記事「放送法第4条は、放送番組を編集するに当たり、「政治的に公平であること」や「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を求めている。視聴者の会は、TBSに「岸井発言がTBSとしての意見、すなわち社見であるのか」などと質問した。」(2015/11/26)と書かれてある。

これらの問に対し、岸井達はどの様に反論するのだろうか。だが、TBSは「NEWS23」から岸井の降板を決定していたという情報も流れている。その後釜に信じられない事に、朝日新聞の特別編集委員を置くのではないかといった情報が流れている。
今年定年になるから選択されるんじゃないかとも推測されているようだが、TBSは毎日系の放送局じゃなかったか。定年後だからといって、元朝日の記者を採用するなんて信じられない。

日刊ゲンダイ「安倍応援団の偏向キャスターは山ほどいるのに、まったくフザケた話である。このタイミングで、こんな意見広告が出てきたのは恐らく、放送倫理・番組向上機構(BPO)の存在があるのだろう。今月6日、BPOの番組検証委員会は自民党がNHKやテレ朝に事情聴取を行ったことを問題視、異例の政権批判を展開した。そうしたら、安倍首相が国会答弁で「(介入は)至極当然だ。まったく問題ない」と切れまくった。自民党内には「BPOを潰せ」という意見がある。TBSは擁護派である。そうしたさなかでの意見広告は、TBSへの“牽制”にも見える。」(2015/11/26)と書いているらしいが、安倍政権を批判しなければなぜ応援団とされるのか。それこそ、偏向だろう。

ライブドアニュースでは「岸井氏の「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」という発言にしても、安保法制に単純に反対ということではなく、国民に対して説明不足のまま強行採決したことへの批判の延長線上に出てきたものだ。もしこれが政治的に不公平な発言というなら、たとえば、安倍政権の外交成果を評価するようなNHKやフジテレビ、日本テレビの報道もすべて放送法違反になってしまうだろう。」(2015/11/25)としているが、外交成果を評価する報道をすればなぜ放送法違反となるのか意味が分らない。

まして政権が行っている政策を正確に報じない事をどの様な批判をされようとも堂々と反論する。当然の事じゃないのか。過去にもマスコミの偏向報道により潰された政権は多数あるだろうからな。
特に麻生政権の時には酷い偏向報道が繰り返され、激しい怒りを感じマスコミを批判しまくった事もあったが、この時にBPOなんて組織は活動していたのか。テレビだけでは無い、新聞からの情報も含め多くの国民は騙され、民主政権が誕生したが、日本の状況は悪化するばかり。
最初から下らん事をやっていた民主政権を当時のマスコミは、呆れた事に褒めまくってたんだからな。

鳩山を党首とした民主党がマスコミと合流して政権交代を実現させた事は間違い無い。現在のマスコミは政治が報道に介入しようとしていると批判しまくっているが、最初に介入していたのは鳩山の民主だろうし、当時のマスコミは介入に合意していたんだろ。故に、常に民主の肩を持ち、政権の政策だけでは無く個人の政治活動だけでは無くプライバシーまでも無視して批判しまくっていた。

ネットでは日本国憲法第21条を「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」をもって、報道にも表現の自由が認められていると主張する者がいるが、先にリンクした「報道の原理」には「報道は表現の自由に基づく、報道の自由や知る権利に支えられている。反面、報道は客観報道の原則を守らなければならないとされる」とある。単に表現の自由が認められているとはされてはいない。

ライブドアニュースでも「NEWS23」と岸井を題材とした記事を出しているが、その中に、「放送法遵守を求める視聴者の会」に関し「この意見広告を出した「放送法遵守を求める視聴者の会」自体が実体のよくわからない、きわめて政治的な意図をもった集団なのだ。」としているが、単に推測で書いたとしたら、いい加減な記事としか思えないが。

そして日刊ゲンダイは最後に「安倍首相たちの言論圧力に屈すれば、テレビが“死ぬ日”は遠くない」と書き、ライドアニュースも最後に「TBSは「死のう」としているのではないか。圧力に萎縮し、服従すること。それは報道の自殺行為にほかならない。」と閉めている。

何故、言論弾圧とやらに屈すればテレビが死ぬ日は遠くないと言い切れるか、ライドアニュースでは岸井の降板だけでは無く「NEWS23」の解体もあるかもしれないと書いているが、TBSがそんな事をする程度で報道の自殺行為となるのか。

現在の政権が行っている行動がただしいか否かを判断するのは、あくまでも主権者である国民だ。
故に、政権がどの様な政策や行動を行っているかなどは多くの視点から見て的確に判断していかなければならない。適当にマスコミの情報に流される様な事になってはならない。


一人のエゴが女子高生の夢を断つ

2015-11-17 18:27:20 | 社会

今月12日東京都江戸川区北小岩のアパートの一室で女子高生が殺害された。容疑者は青木正裕。

青木は女子高生とは10月まで同じコンビニでバイトを行っていたらしく、共通の趣味を持っていた事から仲良くもなっていた。10月半ばに青木はコンビニを辞め、別のコンビニでバイトをしていた。
バイト先でどの様な人間関係や事情があったかなど知らないが、青木は自ら辞めている。その事から、警察の事情聴取で「自分の生活は苦しくなり自暴自棄になっていた。人を殺して全てを終わろうと思っていた」と語っていたらしいが。

青木はどの様な生活状況にあったのか知らないが、仕事を解雇されたのでは無く自ら辞めている事は間違い無い。収入を絶つ事によって、非常にくるしい生活状況へ自ら陥れた事は間違い無いだろう。
この時の心理状況を青木は「全てが嫌になり、全てを終らせよう」と思っていたらしいが、なぜ女子高生の殺害を計画する必要があったんだ。
自らの人生を終らせようというのであれば、他人の人生では無く自らを断つ事をすればいい筈で、先に歯科技師工なりたい夢をしっかりと持ち、その為の進学もしっかりと決定していた女子高生の命を断つ事をしなければならなかったのか。

世間には苦しい生活を強いられながらも必死に生きようとする人々は多くいる。収入は微小になり、借金までもしながら生活をしてしまっている人達も、例え自暴自棄に陥ろうとも必死に生き延びようとする人々は多くいる。
そういった強い意思を持つ人々に、他人に犯罪行為を犯そうとする甘ったれた者は殆どいないんじゃないのか。

青木は自暴自棄の要因として借金100万をしていた事を聴取で語っているらしいが、だったら収入源でアルバイトを辞める理由など無いだろう。あいつには借金返済の責任意識など一切無かったんだろうな。
100万の借金は女子高生を計画的に殺害した言い訳に利用したとしか思えない。

あいつは女子高生を自らの部屋に誘い込み、首を絞め窒息死させる。聴取で「興味半分で殺した」とも発言しているらしいが、こいつは狂ってるよ。
聴取では「人を殺して全てを終らせたい」と語ったらしいが、女子高生を殺した後横奪し、殺害行為を知られるのが恐いとして女子高生のスマホを捨てた、更には自ら14日に警察へ連絡し逮捕される様になる。

全てを終らせるって事は、自ら命を絶つって事だろ。あいつの言ってる事とやった事は全く矛盾だらけじゃないか。
将来にしっかりとした夢を持っていた女子高生が、こんなどこまでも自分勝手で甘ったれた馬鹿野郎に殺害された事が可愛そうでならないよ。


日本のイルカ追い込み漁を今年も海外が批判

2015-11-06 18:13:13 | 国際

今年も和歌山県太地町でイルカの追い込み漁が漁期を迎えている様だが、欧米諸国のメディアが、また馬鹿みたいに批判しまくっている様だな。

何故イルカ追い込み漁が批判されなければならないんだ。追い込み漁を批判している欧米連中はイルカは人に近い高い知性を持っており保護されるべき動物であり、食料では無い、ペット、友人として扱わなければならない。

インドでは人として認め、生命と自由の権利は尊重されなければならないとしてドルフィンパークの開園や娯楽ショーを禁じたらしい。
欧米全体は知らないがアメリカはイルカの捕獲は原則禁止で、人工繁殖を行い水族館で展示している。イギリスでは現在は水族館にはイルカは存在していないらしい。その他の国々がどの様に行っているかは知らないが。

欧米の連中は牛や豚、或いは羊や鹿などを殺しまくり食いまくっている。そして食肉としている牛や豚など決して知的とは認めていない。
知的とされる動物は食肉としてはならないが、そうでなければ食肉と扱う事に何ら否定する事など無い。これは動物に対する人間の驕った主観的差別ではないか。

日本のイルカ漁を強く批判するのであれば、欧米は鯨もイルカと同じく知的としている筈だがアメリカ北部や北欧などは日本と同じく捕鯨を行っている。だが、捕鯨を批判されるのは日本だけでアメリカや北欧などは互いに批判しようとはしない。
知的とする鯨を捕獲する事は残虐な筈であり、欧米は互いに批判しなければならない事だが自分達を批判しようとはしない。

こんな都合のいい連中が理解できない。

だが、雑誌「WIRED」イタリア版が「なぜイルカだけが特別なのか? 」とイルカ漁を擁護し欧米の主張を批判する記事を書いている。

前略

和歌山県の仁坂吉伸知事は、糾弾する人(西洋世界全体、もしくは駐日アメリカ大使キャロライン・ケネディや、ジョン・レノンの未亡人のオノ・ヨーコ、さらにはハッシュタグ#tweet4taiji、 #HelpCoveDolphinsを通して集まったTwitterの住人たち)に対して、なぜイルカを殺すことがダメで、ウシやブタならいいのか?と問うた(それにイルカは絶滅の危機にはない)。
彼はこう語った。「食文化には違いがあり、さまざまな立場を相互に尊重するのが文明の知恵です。わたしたちはウシやブタの命を奪って生きています。イルカ漁だけが非人道的だと言うべきではありません」。

イルカ漁で用いられている畜殺技術、つまり鉄の鉤による脊髄の切断は、動物の苦痛を避け最小化しているといわれる。こうしたことは、ニワトリやウシの命がまったく尊重されていない、西洋の畜産業界において見ることはできない。わたしたち西洋人は、わたしたちが日々行っている虐殺を棚に上げて、意見を言うことができるのだろうか? わたしはそうは思わない。理想的な世界においては、誰も肉を食べるべきではなく、自由に生きる権利は動物のみならず植物にも拡大されなければならないにしてもだ。
イルカは高貴な動物と考えられている。知性をもっていて、人間のよき友人だ。法律によってはイルカを「人」、つまり人類ではない「人」として認め、生存権と自由権を与えるに値すると認めた国もある(参考:インドがイルカを「人」と認めた )。そうした国では、彼らを水族館に押し込めて搾取することはもはやできない(一方、それ以外の場所では一生プールの中でボールを追いかけて暮らすシャチやイルカでいっぱいだ)。
ともあれ、わたしの疑問は次のものだ。果たして知性が優っていることで、生命はより価値あるものになるのだろうか? もしそうだとすれば、なぜイヌは保護されるのか? 科学はイヌをガチョウよりも知性が低いと判断している。しかし、イヌはほかの動物たちがもたない権利をもっている。ネコもそうだ。

中略

あるいは、ウシは頭が悪く主人になつかないため、尊重するに値しないという考えを誰かがもっているのだろうか。だとしても、これも事実ではない。もしウシを知っていれば、「ウシのような目」という表現(イタリア語できょとんとした無表情の目つきを表す)には何の根拠もないことがわかるだろう。昔ながらのやり方で彼らの世話をしたなら、ウシたちはそれぞれ性格にも違いがあり、あなたがやってくるのを見て喜びもするし、目や、鼻面をぶつけることや尻尾で叩くことで会話をしていることがわかるだろう。
ウシたちを殺さねばならないとき、ウサギやニワトリ以上に母は動揺することがあった。彼女はウシの一頭一頭の個性をわかっており、彼らの好みや心情も知っていた。しかしだからといって彼女は農業を辞め、スーパーでプラスチックの包装の中のきれいで清潔な細切れ肉を買うことを選びはしなかった。
根本的な問題はここにある。わたしたちは毎年、太地町で起きていることを映像や写真を通じてたくさん見るけれど、ウシたちの身に起こっていることを見ることはほとんどない。そもそも誰も、ウシやブタのためにTVシリーズを制作したりはしない。ハンバーガーはわたしたちの日常に欠かせぬ食べ物であるし、何について怒らなければならないかをわたしたちに教えているのは、今回も、そしていつもアメリカだ。決して中国や日本ではない。

欧州にも韓国紙の類では無く、ちゃんと書ける記者がいたのかなと思ったけどね。