思った事をそのままに

毎日綴る事は無いと思いますけど、日常の生活やその他に感じた事を思うが侭に書きたいと思います。

あっという間に終る8月

2013-08-31 22:16:23 | 日記

世代が代わると時間の間隔も大きく変わるのかなと思わされる。特に、この8月。今だったら、同じ事の繰り返しをやってるだけで、無茶苦茶熱い中でつまらない日々を過ごしてしまってる感じだけど、子供の頃は夏休みの時期だった。

毎日、友達や親なんかと色んなとこ行って色んな事やりながら過ごしてたが、一日一日が長く感じられて毎日が楽しかったなと思い出される。
何といっても、昼間は必ず外で遊びまくってたし、夜も部屋でテレビなんか見ながらダラッとしてるなんて事はまず無かった。
自分達が子供の頃の遊びの定番みたいになってた、蝉取りは公園が多かったと思うけど、あちこち行きまくってたし、鏡川沿いに子供の頃に廃止された「こどもの国」なんて小さな遊園地もあって、ここにも良く遊びに行ってたし、昔の鏡川には貸しボートがあって、良く使わせてもらってた。

そん時に鏡川から浦戸湾へ抜けるとこに小さな島があって、そこまで友達と2人で行った事もある。

今じゃ殆ど行われてないんじゃないかと思うんだけど、どぶ川でザリガニ捕りなんて事も良くやってたよ。あん時にはアメリカザリガニが殆どだったんだけど、自分達で勝手にニホンザリガニなんて名前付けて分けてたんだが、アメリカザリガニよりもかなり小さかったし、色も全然違ってたけど。

その他には、公園で色んな物使って遊びまくってたし、ちゃんばらごっこやったり、かくれんぼやったり、とにかくもう色んな事やりながら遊びまくってた。だから夏の宿題なんかちゃんとやってたかなと思うと、何とも言えないけど(苦笑)。
ホンとに遊ぶ事ばかりに夢中になってたから。

また、夏の恒例となっている花火大会には必ず連れて貰ってたし、よさこいにも追手筋の方に連れて行ってもらってた。

夜になると、自分達で花火やって喜びまくってた事もあった。今じゃ花火大会にも行かなくなってしまったし、花火もやらなくなってしまってる。

因みに、昔は山内神社の西側だったと思うけど、鏡川に沈下橋が付けられてた。そん当時は、沈下橋なんて言葉も知らなかったから、何も気にする事無く自転車で通り抜けたりしてたことを思い出す。

高知の川で沈下橋というと、仁淀と四万十が浮かぶけど、鏡川にまであったなんて何だか驚かされてしまう。高知の者でも、若い世代の人達には、全くぴんと来ないかもしれないけど。

また、自分は釣りが好きで、友達と一緒に鏡川や高知港へ良く釣りに行ってた。で、鏡川で連れてたのは、主にゴリとハゼ。高知港ではニロギばかりが釣れてたね。当時は、何故かボラがつりたくて仕様が無く、何時もそれを狙って釣りに行ってたんだけどね。思う様には行かないもんだ。

昭和49年に、一寸した理由から高知市から山村へ移り住む様になって、吉野川の源流が流れてたんだけど、狙ってたのはアメゴとニジマス。獲物見つけて狙ってた事もあるんだけど、何故だか釣れるのはイダばっかり。
山村で友達になった奴らも、アメゴやニジマスなんて滅多に釣れてなかったからね。と思って、いつも開き直ってたけど(笑)。

そんな子供の頃を思い出すと、本当にこの8月の1日1日が長く感じられたし、毎日が楽しい日々の連続だった。あの時の頃が懐かしく思えて仕方が無い。

そんな昔の大事な思い出の一つ、通ってた小学校が今年は廃校にされてしまった。跡地には県・市共同の新しい図書館を建てるらしいんだが。卒業式が終った後に、廃墟の工事が始まった時には、自分の通ってた学校が消えるなんて。

だけど小学校だけじゃないんだよね。自分は県立短大にも通ってたんだけど、ここも廃校にされる事になってしまった。校舎はまだ残ってるんだけど、短大は残っていない。

本当に自分が通ってた学校が廃校にされるなんて淋しいよね。山村で通ってた小学校と中学・高校は残ってるけど。

何だか話がそれてしまってる感じもあるけど、時間の感覚に大きな違いがあるんだろうなと思わされる。子供の頃だったら1年が物凄く長く感じられていたのに、現在だとあっという間に過ぎてしまう感じ。

今だったら、同じ事の繰り返しやってる様な生活やってるんだけど、子供の頃だったら学校へ行く前も帰る時にも、友達なんかと和気藹々とやってたし、当時にはいじめなんて事が無くて、和気藹々と楽しく過ごしてた。そして、春休み、夏休み、冬休みなんてあったからね。

今年の8月もあっという間に終ってしまうんだなと思わされるけど、子供の頃には何て思ってたんだろ。子供の頃が懐かしいと同時に、何だか羨ましい。


狂った韓国に対し、日本は国際司法裁へ提訴を検討

2013-08-31 22:02:23 | 政治

韓国の司法が国際条約である日韓基本条約を完全に無視した異常は判決を下している。その判決により、新日鉄住金が韓国の個人へ損害賠償を支払わなければならないとされている。新日鉄住金は、一応韓国の最高裁に当たる大法院へ上訴する様だが、訴えが認められる事は無いだろう。

そのまま韓国の狂った司法の言い成りなどになっていれば、日本の企業は莫大な大損害を受ける事になると同時に、日本の経済にも大きな影響を及ぼす事になるんじゃないだろうか。

韓国の異常な行為に対し、政府は国際司法裁判所への提訴を検討しているらしい。

韓国は自国に非常の都合のいい、狂いまくった行為を平然と行っている。この様な狂った国に、まともな事を訴えても受け入れる訳など無い。国際司法裁判所へ提訴する事は当然の事だろうな。

だが、国際司法裁判所は提訴しても相手国が応じなければ裁判は行われない。竹島問題でも韓国は応じようとはしていない。自分達が不利になる事が分りきっているのだろうから。

しかし、今回の民間企業への損賠賠償を認める判決は韓国の司法が行った事であり、中央日報は判決の理由として「韓日請求権協定は植民支配の賠償を請求するための交渉でなく、サンフランシスコ条約(61年)に基づき両国間の財政・民事的債権・債務関係を政治的合意で解決したもので、個人請求権の消滅を認めたものではないということだ」と訴えている。

ふざけるなとしか言い様が無い。日韓基本条約は、1965年に日韓二ヶ国による交渉により、確定された国際条約だ。条約の前文にはサンフランシスコ条約と国連総合で採決された決議第195条などを想起し条約の締結を決定とある。だが、日韓基本条約は二ヶ国の交渉により締結されている物だ。

だが、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との協定」では、第二条に「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条第4条(a) に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とある。

中央日報の馬鹿な記者は、サンフランシスコ条約に基づき政治的に解決したもので、個人請求権の消滅を認めたものでは無いとしているが、日韓基本条約第二条一には、両締約国及び国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題、ここが個人請求権に関する部分だろうが、サンフランシスコ条約で署名された平和第4条(a)に規定されたものをを含め、完全かつ最終的に解決された事となることを確認するとしている。

日韓両国及び国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに日韓及びその国民の請求権に関する問題は、完全かつ最終的に解決されてあるとされている。

また、日韓のそれぞれの財産は日韓基本条約締結までの、それぞれの締約国の国民の財産、権利及び利益とされ、第2条3に書かれてあるが、「この協定の署名の日に他の締約国の下にあるに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民対する全ての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくもの関しては、いかなる主張も出来ないものとする」とある。

日韓基本条約以前の事由に関しては、いかなる主張も行うことは出来ないとハッキリと書かれてある。

日韓基本条約が締結された以前に、如何なる事があろうともそれに対する請求権の主張は行ってはならないと日韓による交渉により決定されていた筈だ。

だが、この条約を完全に無視し、韓国の司法は異常な判決を下している。判決を下すからには、しっかりと主張できる証はある筈だ。竹島問題では、韓国は日本が要求する国際司法裁判所への提訴に応じようとはしないが、韓国司法の判決に対する国際司法債への提訴を日本が行おうと、韓国が応じようとしなければ、自ら誤った事を行っているとあからさまにするのではないか。

さて、日本が国際司法裁判所へ提訴した時、狂いまくっている韓国はそれに応じる事が出来るのだろうか。


はだしのゲン

2013-08-26 18:29:23 | 社会

今月の中旬から下旬に掛けて、島根県松江市で小中学校の図書館から「はだしのゲン」が閲覧制限されていた事が突然に大きな話題となり、一つの作品が閲覧制限されていた事が問題視される様になっていた。
この作品の閲覧制限に関し、広島県知事は規制すべきでは無いと発言していたし、下村文科相は「過激な描写と指摘される部分を確認したとし、「小中学生が必ずしも正しく理解できない描写と考える人もいるかもしれない」「誤った解釈をしないよう、教員と一緒に学習しようとの考えと聞いている」と指摘。作品全体のメッセージを読み解くことが重要との批判があることには「だからといって露骨な描写があっていいわけではない」」(2013年日刊スポーツ)と、松江市教育委員会の行っていた閲覧制限を理解すると発言していた。

はだしのゲンとはどの様な作品なのだろうか。自分は読んだ事が無いので、ハッキリとは分らないが、イザブログを良く書いている産経新聞の記者とイメージが強いんだが政治部編集委員らしい阿比留瑠比氏が「40年近く前、小学校の学級文庫に並ぶこの作品を読んだ筆者は、そこから「平和の尊さを学ぶ」(毎日)というより、人間社会の「悪意」と「憎しみ」ばかりを印象に刻んだ。グロテスクな表現と登場人物の自己中心的な言い分にうんざりした記憶はあっても、「中沢さんの思いに子どもたちが共感した」(朝日)とはにわかに信じがたい」(2013年産経新聞)と批判的に書いてある。その後にも、作品の一部を紹介しながら批判的に書いてあるが、一部だけを示されても全体的に、原作者である中沢啓治氏は何を訴え書こうとしていたのか何も分らない。
何よりも書かれていたのは、戦中戦後の時代かと思われる。現在の子供達が、戦争末期に大量虐殺によりどれだけ苦しい状況に追いやれ、どの様な心理情況にあったのかなど、どの様にして知る事ができるのだろう。

1973年から少年ジャンプで連載された様だが、その後は出版社など変更しながらも1985年まで書き続けていたらしい。あらすじはWekipediaに紹介されてある。広島への原爆投下前後から、1953年までのあらすじが書かれてある。そして、単行本・文庫本の累計発行部数が1000万部を超えているらしい。これまでに多くの者に読まれていた事は間違い無いだろう。
また、安倍第一内閣での麻生外相は「ウィーンで30日から始まる核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、日本政府代表団が広島の被爆体験を描いた漫画「はだしのゲン」の英語版を会場内で展示、配布することになった。  大の漫画ファンで知られる麻生太郎外相の肝いりで実現、原爆の悲惨さを生々しく描写した漫画で核軍縮を訴える」(2007年年共同通信)、また「「はだしのゲン」は広島に投下された原爆で父、姉、弟を失い、自らも被爆した少年ゲンが母親、妹とともに懸命に生きていく姿を描いた物語で、米国はじめ各国で出版されている」らしいのだ。そして、「作品の内容、表現などについて様々な意見があるが、作者の実体験に基づく原爆の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を表現していながら、エンターテインメントとしても魅せる作品として国内外での評価は高く、映画・ドラマ・アニメ・ミュージカル・絵本・講談化もされている」(Wekipedia)されているらしい。

終戦前から53年までの8年間があらすじの期間の様だが、現在の子供達の親たちも戦後生まれが殆どではないのか。
故に、戦中・戦後の日本の状況や当時の人々の心理状況などを知る為には、祖父母などから伝え聞くしかない。戦争末期には米軍より一般市民が、大量虐殺されているが、その事により当時の一般市民がどの様な心理状況へと追いやられてしまったのかなども、しっかりと言い伝える必要があるのではないのだろうか。「はだしのゲン」にどの様な描写や表現があろうと、戦中・戦後の人々がどのような心理状況に追いやられ、苦しい生活を強いられる事になっていたのか、戦争が行われる事が必要なのか否か、そういった事にも強い関心を持たせる為にも、重要な作品ではないかと思われるが。

松江市の小中学校の図書館での「はだしのゲン」の閲覧制限は決められていたが、昨年12月に決められていたが、松江市教育委員会の会議では無く、委員会の事務局によって判断されてしまっていたらしい。

まして、一部の者の印象から子供には理解されない描写や表現があるだろうとして、閲覧制限を行った事は作者も持ち得る表現の自由の束縛であり、日本漫画化協会が意見書を発表したらしいが、「戦争という『事実』が生々しすぎるからこそ、より身近で親しみやすい表現手段である『漫画』で伝える意味がある」と評価。閲覧制限を「決定した大人たちの無自覚な傲慢(ごうまん)さと、本来尊重すべき、子供の感性への過小評価を強く疑わせるものだ」(2013年朝日新聞)と書かれてあるらしい。

26日に、松江市教育委員会は小中学校の図書館での閲覧制限を撤回する事を決定した。この事に関し、下村文科相は文科省が支持した事では無く、反論する事はないとしているようだが。

だが、一人だけ松江市教育委員会の撤回に関し批判を浴びせている者がいるが。大阪市長の橋下だ。

朝日や毎日の撤回を求める社説を書いたとし、それにより松江市教育委員会は昨年12月の決定を覆されてしまったと馬鹿馬鹿しい事を言っている。
更に、「メディアが騒いで教委の決定を覆した。教委の独立性を完全に脅かした。独立性はいらないと言ったに等しい」(2013年産経新聞)などとも言いまくっている様だ。だが、昨年の12月の決定は教育委員会が行った事では無い。委員会に諮るのでは無く、事務局が勝手に判断し決定されてしまっていた事だ。これが、教委の独立性により判断された事だと言えるのか。そうでは無く、教委の委員存在は無視され独立性など完全に無視されていた事になるのではないのか。

また、橋下は「だらしない。独立性を自ら放棄したようなもの。判断に自信があるなら、朝日新聞や毎日新聞に言われようが、『教育的判断だ』といえばいい」と苦言を呈した。教委の独立性に関する自らの見解については「完全独立性はよくない。民意をある程度反映させなければならない」(2013年産経新聞)とするが、今回の撤回は委員会会議が行われずに決定されてしまった事を改めて議論したのだろうし、閲覧制限の撤回に関し民意が全く反映されていないとは思われないが。


井端に千葉選手を絡める事に不快感

2013-08-23 22:13:59 | スポーツ

現在、一寸話題になっている花巻東高の千葉選手のカット打法。これに関し、非常に気になる事が書かれているツイッターを見つけた。
本郷陽一氏の「千葉のカット打法の賛否」だが、ドラゴンズの井端のカットを絡めているみたいで、井端が「あえて相手投手のウイニングショットを待つために、ファウルをしながらで配球を追い込む。追い込まれたら絶対に投げて来るというボールを待つためにあえてファウルで粘るというケースもあります。ファウルをしていくうちに『次はこのボール』というものが読めてきて、そのボールを仕留めるときもあります。またファウルで粘りながら、四球という出塁を選ぶケースもあるんです。ファウルで粘ることは相手投手を消耗、疲弊させます。球数も投げさせることにもなり、気分をイラつかせ、ボクシングのボディブローのように効き、目に見えぬダメージを与えていくことになるんですよ」と語ったと書かれてある。

同じく、今年のWBC開催の前に工藤公康が井端にインタビューをし、よくカットしていた事を問うた。

井端は「工藤の様なコントロールミスをしない投手は甘い球を投げてくれない」、だから「ファールをし甘い球を待つ、また四球の選択もできる」と語る。
その方法に関して語っているが、井端は通常の打撃フォームで構え、「狙っているボールが来なければ、それ以外のボールが来た時には、インパクトでバットに当たった瞬間に、一寸力を抜く」と語る。工藤は普通はインパクトの時には力を入れるんじゃないかと言うが、対し井端は「力を入れてしまうと、内野ゴロになってしまう」だが、「それを我慢して押し込みながら力を抜くとファールになる」と語る。

そして、井端のカットの主の目的は、あくまでもヒットする事だ。四球狙いでは無い。

また、何故かカット打法という用語が活発に使われる様になっているが、野球用語にその様な言葉は無い。カットは、あくまでも打ちにくいと思えるボールをファールする事により、自分の狙い球を待つ、或いは投手の球種とのバランスを得る事を目的としている筈だ。

そして、井端と千葉選手の打ち方を同じ様に捉えようとする事に不快感を感じる事は、何よりもカットする時の打撃フォームにある。
井端は、常に通常の打撃フォームで構え球種やコースによってはカットをしている。だが、千葉選手の打撃フォームはどうだろう。
彦根東戦でも幾らか見られているが、姿勢を非常に低くし、バスターの構えよりボールを見、カットを積極的に行っている。バスターによるバッティングでは、振りはコンパクトになり、投球にタイミングを合わせやすくする。
更に姿勢を低くする事により、ストライクゾーンを狭くする事により、ボールを上から見るのでは無く、正面から見る事になりコンパクトなバッティングによって、より当てやすくカットできているのではないか。
それにより、カットが非常にやりやすい姿勢となっていると思われてならない。

改めて書くが、井端と千葉選手の打撃は違う。井端は相手投手に対し意図的に投げ難い姿勢を取るのでは無く、通常の打撃フォームより活発にカットを行っている事は事実だし、その為の技術もしっかりと持ち得ている。
千葉選手は、カットする為のフォームでは無く、通常のフォームでもカットする為の技術をしっかりと得ていたのだろうか。決してそうとは思えない。

試合は見ていなかったが、延岡学園と花巻東での千葉選手の打撃をユーチューブで見てみると、それ以前の姿勢によるフォームは無く、通常の打撃フォームで打っている。そしてカットは出来ずに、ヒットも打てなかったらしい。
本当に確実にカットする技術を得ていたのであれば、通常の打撃フォームからでも出来ていた筈だ。だが、投手が投げ難い姿勢とバスターによるコンパクトなバッティングでしかカットは出来ていない事になる。
どのフォームでも確実にカットする技術を得ていなかった事は確かだ。

井端をこの選手に絡め、選手擁護する事など止めて貰いたい。何よりも、カットの方法に誤りなど無いと確信が持てていたのならば、高野連からどの様な注意をされようと、延岡学園戦でも同じ様に出来ていた筈だ。

千葉選手のカット打法とやらには、千葉選手本人だけに目を向け、擁護するなり批判するなり、個々人が自由にすれば良い。
自分はこの様な話題には興味は無い。

だが、井端を絡められた事には一人のドラゴンズファンとして不快感を感じさせられる。


愛着バッグが突然に壊れる

2013-08-23 17:36:34 | 日記

20年前後も使ってきたリュックバッグが、今日になり完全に壊れてしまった。その時、何だかショックだったな。最近というか、一月か二月前からホームスペースのシャッターにトラブルが出る様になって、荷物入れて閉じると左右どっちかのシャッターが片側が外れる様になっていた。だが、これまではシャッターを元の位置に戻し、閉じていくと、ちゃんと閉じる様になってたんだけど、今回は両側が完全に外れてて、もうどうやっても直ってくれない。

長い間使ってきた愛着あるバッグ。これと突然にお別れする事になるなんて、本当にショック。といっても、すぐに捨て様なんて全く思ってないけど。一応、旅行用に買った壊れたバッグよりも大型の物は持っていて、それをそのまま使おうかなとも思ったんだが、普段の生活で使うには一寸大きすぎるかななんて思ったりしてしまって、思わずネットで検索してしまい、ポイント利用すると1000程度の物があったので、思わず注文してしまった。見た目のデザインや色も良かったし。衝動買いしてしまった。

後から思うと、新たに買わなくても大型だけど普段でも使えない事は無い。さっさと使おうと決めれば良かったのに、などと思ったりしてる。馬鹿な衝動買いしてしまったのかななどと思ったりしてる。