熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2007年10月10日 御所・吉野の旅 3 如意輪寺

2008-11-23 15:15:00 | 近畿(奈良)
((行程))

1.巨勢山口神社 → 2.後醍醐天皇陵および長慶天皇皇子世泰親王墓 → 3.如意輪寺 → 4.金峯神社

→ 5.奥千本・西行庵 → 6.吉野水分神社 → 7.村上義隆公墓 → 8.東南院 → 9.吉野神宮

→ 10.蔵王堂 → 11.竹林院 → 12.櫻本坊 → 13.喜蔵院 → 14.村上義光公墓

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 後醍醐天皇陵および世泰親王墓の階段から降りて今度は楠木正行菩提寺の如意輪寺へといった。まずは階段の上からの眺め。



 階段を下りてすぐ前には、弁内侍至情塚というものがある。



 後村上天皇に仕えた女官の弁内侍には楠木正行の奥方になる話があったらしいのだが、正行が戦死したことで、弁内侍は
尼僧となり、その菩提を弔ったというが、尼僧になるときにその髪を埋めたところらしい。

 そして、如意輪寺本堂。中は見たことがない・・・



 本堂の前には、楠木正行お手植えの伝承のあるモッコクの木がある。



 では、宝物館などを見るために受付のほうへといった。入口の前には、楠木正成の記念写真用の台があった・・・
 ということで、M子師匠の勇姿。



 そして中に進む・・・まずあるのは、後醍醐天皇御霊殿。



 そして、すこしいくと、正成と正行の桜井の別れを描く像がある。
 そこで、またもや、M子師匠の勇姿。



 そして、宝物館へと入る・・・

 まずは、天井の絵。新しいものだが、豪快だ。



 中は、文化財の宝庫であった。

 「名刀 村正」




 「後醍醐天皇自らの書」




 「木造阿弥陀如来立像」



 国の重要文化財。奈良時代の行基作と伝えられる。


 「吉野曼荼羅彩絵 厨子」



 国の重要文化財。延元元年(1336)のもの。蔵王権現立像をおさめる厨子。内側には、吉野大峯の神々が描かれ、蔵王権現を
囲んだ吉野曼荼羅となる。


 「木造金剛蔵王権現立像」



 国重要文化財。嘉禄二年(1226)のもので、源慶作という。上の厨子の中におさめられていた。


 「楠木正行公鎧(腹巻)」




 「楠木正行時世の句の扉」




 「楠木正行公兜」




 「楠木正成公使用兜鉢割刀」




 「楠木正行公帯刀」




 「後村上天皇御綸旨」




 「地蔵菩薩画像」



 国重要文化財。平安時代のものと伝えられ、巨勢金岡の作品と伝承される。


 「後醍醐天皇 髻の綸旨」




 そして外に出て多宝塔の方面へ歩く。いい景色だ。



 多宝塔。



 近くには、有名人の桜の木があちこちに植えられていた。

 ここで、記念写真だ!




★如意輪寺★ 奈良県吉野郡吉野町中千本

・楠木正行菩提寺。
・平安時代の延喜年間(901~922)に日蔵上人により開かれたと伝わる。
・南北朝時代には後醍醐天皇の勅願所であった。
・慶安三年(1650)、鉄牛上人という僧によって再興され、浄土宗に改宗。
・正平三年十二月(1651)、楠木正成の長男楠木正行が四条畷の戦いに出陣するに際し、一族郎党とともに
当寺にある後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」を詠んだという。
正行は当寺本堂の扉に鏃で辞世の句を刻んだとされ、その扉とされるものが今も寺に伝わる。


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