あの感動を、ずっと忘れない。
2005年10月15日、福岡Yahoo!JAPANドーム、福岡ソフトバンクホークス対千葉ロッテマリーンズ、プレーオフ第3戦、試合時間3時間48分、観客34,757人――僕はその中の一人でした。そしてあの試合は僕にとって、一生忘れることのできない試合になりました。ただのサヨナラゲームではなく、これから生きていくうえでの支えともなる試合でした。
最終回に4点差を追いつく試合はいくらでもありますが、あの試合が特別なのは、あとアウト3つで優勝を逃してしまう試合だったことにあります。しかもこの試合、9回表までホークスには全くいいところがなく、あっさりとマリーンズに優勝をさらわれてしまうところでした。それが、土壇場まで追いつめられてからの、奇跡の逆転劇。もしプレーオフを制し日本一にもなっていれば、今ごろあの試合は伝説として語り継がれたことになっていたはずです。しかし優勝を逃した今、あの試合のことを語る人はもう誰もいません。・・・それが残念でなりません。
あと0.5ゲームだけ差をつけることができなかったばかりに優勝を逃してしまった今年、あの試合の経験はきっと来年につながるはずです。何点離されていても絶対にあきらめない、逆に何点差をつけていても最後まで気を抜かない。当たり前のことなのですが、あの経験をしたからこそ、その重みが増しているはずです。
そのような「野球」としての意味合いはもちろんですが、僕個人のことを考えれば、自分の人生観にもつながるものでした。あの日の僕は精神的にはどん底の状態でした。しかしあの奇跡を見た後、胸に抱えていた苦しみから解放された気分でした(詳しくは試合直後に書いたこちらの記事をご覧ください)。幸い僕は第3戦と第4戦のテレビ中継を録画していたため、今でもあの興奮を味わうことができます。もう何度見たことか分かりません。ですが、今でも見る度に涙を流しています。また、次の試合でのズレータの「皆サン、明日ハ頑張リマス!」の言葉も、結局は敗れてしまいましたが、僕を奮い立たせてくれます。
そのような日々を送っているうちに、あの試合のことを語り継ぐことが、あのときあの場で感動をもらった者の責務だと思うようになりました。日本プロ野球史に刻まれることはなくなってしまいましたが、ホークスの歴史が続く限り、あの奇跡のことを風化させたくはありません。そのためにあの試合のことを、あのときに自分が見て感じ感動したことを、これから書き綴っていきたいと思います。あのときの感動を、どれだけ言葉にできるのか分かりません。稚拙な文章になってしまうかもしれません。それでも、まずは自分自身の記憶に一生留めるために書いていこうと思います。そしてこれから書く内容が、あの場にいなかった方に何かを感じ取ってもらえることになれば、幸いです。
追記:
たくさんの鷹ブロガーの方々、およびその他ファンの方々、および野球ファンではない方々にトラックバックをお送りさせていただきました。勝手ながら申し訳ありません。ですがあのときの感動を(一部の方には悔しさを)もう一度、たくさんの方と分かち合えたらと思います。コメントも残してもらえると、喜びます。
また追記です。:
12月6日に開かれた選手会のイベントLOVE BASEBALL FESTAで、この試合がベストゲームに選ばれたとのこと。やっぱり皆の記憶に残る試合だったんですね。
ランキング参加中。クリックしていただけると、跳びはねて喜びます。
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2005年10月15日、福岡Yahoo!JAPANドーム、福岡ソフトバンクホークス対千葉ロッテマリーンズ、プレーオフ第3戦、試合時間3時間48分、観客34,757人――僕はその中の一人でした。そしてあの試合は僕にとって、一生忘れることのできない試合になりました。ただのサヨナラゲームではなく、これから生きていくうえでの支えともなる試合でした。
最終回に4点差を追いつく試合はいくらでもありますが、あの試合が特別なのは、あとアウト3つで優勝を逃してしまう試合だったことにあります。しかもこの試合、9回表までホークスには全くいいところがなく、あっさりとマリーンズに優勝をさらわれてしまうところでした。それが、土壇場まで追いつめられてからの、奇跡の逆転劇。もしプレーオフを制し日本一にもなっていれば、今ごろあの試合は伝説として語り継がれたことになっていたはずです。しかし優勝を逃した今、あの試合のことを語る人はもう誰もいません。・・・それが残念でなりません。
あと0.5ゲームだけ差をつけることができなかったばかりに優勝を逃してしまった今年、あの試合の経験はきっと来年につながるはずです。何点離されていても絶対にあきらめない、逆に何点差をつけていても最後まで気を抜かない。当たり前のことなのですが、あの経験をしたからこそ、その重みが増しているはずです。
そのような「野球」としての意味合いはもちろんですが、僕個人のことを考えれば、自分の人生観にもつながるものでした。あの日の僕は精神的にはどん底の状態でした。しかしあの奇跡を見た後、胸に抱えていた苦しみから解放された気分でした(詳しくは試合直後に書いたこちらの記事をご覧ください)。幸い僕は第3戦と第4戦のテレビ中継を録画していたため、今でもあの興奮を味わうことができます。もう何度見たことか分かりません。ですが、今でも見る度に涙を流しています。また、次の試合でのズレータの「皆サン、明日ハ頑張リマス!」の言葉も、結局は敗れてしまいましたが、僕を奮い立たせてくれます。
そのような日々を送っているうちに、あの試合のことを語り継ぐことが、あのときあの場で感動をもらった者の責務だと思うようになりました。日本プロ野球史に刻まれることはなくなってしまいましたが、ホークスの歴史が続く限り、あの奇跡のことを風化させたくはありません。そのためにあの試合のことを、あのときに自分が見て感じ感動したことを、これから書き綴っていきたいと思います。あのときの感動を、どれだけ言葉にできるのか分かりません。稚拙な文章になってしまうかもしれません。それでも、まずは自分自身の記憶に一生留めるために書いていこうと思います。そしてこれから書く内容が、あの場にいなかった方に何かを感じ取ってもらえることになれば、幸いです。
追記:
たくさんの鷹ブロガーの方々、およびその他ファンの方々、および野球ファンではない方々にトラックバックをお送りさせていただきました。勝手ながら申し訳ありません。ですがあのときの感動を(一部の方には悔しさを)もう一度、たくさんの方と分かち合えたらと思います。コメントも残してもらえると、喜びます。
また追記です。:
12月6日に開かれた選手会のイベントLOVE BASEBALL FESTAで、この試合がベストゲームに選ばれたとのこと。やっぱり皆の記憶に残る試合だったんですね。
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来年こそは!!!
です。
Bom人さんはラジオで感動してましたか。もう2ヶ月たちましたけど、あの興奮がまだ冷めません。来年はもっと興奮したいですね!
あの試合は、私しも球場で見ていました。あの試合は興奮、感動という言葉では表せない、今までに経験がない不思議な感情を感じたのを覚えています。疲れと脱力感と興奮と感動が入り交ざったメチャクチャな感じでした。
おお!きー坊さんもあの場にいたんですね!どこでしょ?どこでしょ?僕のいた座席は、次の第1章を見てもらえば分かります。
あの興奮と言うか感動と言うか、もう言葉では言い表せまんよね。・・・と言いつつ、これから言葉にしていかないといけないんですけど。でも、頑張ります。そして、あの感動をもう一度よみがえらせたいと思います。
今でもあの9回の攻撃は、「鷹の底力」と信じて止みません
私も運良くドームにいましたが、本当にあの時の気持ちは言葉には表現できませんよね
いろんな意味でちょっと大げさですが、「あきらめない」ことの大切さを教えてもらったような気がします
・・・人生、「アリカメナーイ」ですねっ
プレーオフ第3戦も含め、私自身も忘れられないプレーオフだったので、エントリを興味深く読ませていただきました。
「最後まで諦めない」
鷹ファンも鴎ファンもそれぞれが忘れられないプレーオフでしたね。
私はこの試合、マリンスタジアムのパブリックビューイングでマリーンズの勝利を祈っていたので、思い出すと何とも複雑な思いに駆られますが(笑)、野球の面白さと恐ろしさをイヤと言う程再確認しました。
野球がしばしば人生そのものに例えられるのはこういう試合があるからなんでしょうね。
また、この試合があったからマリーンズはアジア制覇できたのだと思います。
その点でも「今年一番重要な試合」に相応しいと思います。
僕もあのとき以来、何事にもあきらめない気持ちを持ち続けています。まだほんの少しですけどね・・・。
今年のプレーオフは、パリーグの最終決戦にふさわしい試合ばかりでしたね。マリーンズとやれて最高でした。今年は開幕当初から絶好調でしたからね。交流戦王者とレギュラーシーズン1位の頂上決戦。今年のプレーオフのことは、これからも語り継いでいきたいですね。