[Tha L1FE M@P of Q。]

@ Boulder, CO.

カメラ小僧。

2005年12月30日 | Weblog
今のオレはカメラ小僧。写真撮るのにはまっている。バンチにもらった一眼レフでガンガン写真を撮るのが現在一番の趣味である。

風邪も完治して、昼間の外は大して寒くなかったので、カメラもって町をブラリ。今日の被写体は母校の西落合中学校。

今は合併の為、廃校舎となっており、か~なりさびれていた。校門もガッチリ封鎖されていたので、裏から策飛び越えて侵入。

校舎まわりつつパシャパシャ。校舎裏とか回ると、「こんな所あったっけ??」なんて母校の校舎の作りさえ忘れちゃってる。でも誰もいなかったから、非常階段とか上がって、3,4階の校舎内を窓から覗いたりして、一人楽しむ。昔遊んだ遊具、サッカーゴール、体育館、水飲めるところなどなど色々撮れるものがあってとても楽しかった。

今現在はいろんな趣味があるけど、老後もできる趣味っていったらかなり限られる。でもこのカメラはジーさんになっても続けることができるから、これからも続けよう。ってか、素直に楽しいし。

Pic. カメラ小僧@青山のカフェ(確か・・・)。

風邪ひいた。

2005年12月28日 | Weblog
日本に帰ってくると8割がた風邪をひいちゃうタイプである。

26の夜から風邪引いて、その晩は寝る間のなく吐きまくって、熱は40度近く。いや~、地獄でしたね・・・。んで、今日は病院にも行って薬もらってだいぶ良くなった感じ。

本当は今日から友達とスノボ行く予定だったのに、それもキャンセル。あ~、マジで残念。
夜に寒い中ブラブラ遊びに行ったり、夜遅くに寝て朝遅くに起きるといった生活リズムが原因だろうね、きっと。

とりあえず、年末年始にはイベントごとたくさんなので、それまでには治したい。

変わりゆく中、変わらぬモノ。

2005年12月24日 | Weblog
まず昼間は新宿にて、陶山のえっちゃんと成人式ぶりにあって、お茶をしてきた。彼女は小学生の頃から学校が一緒で(仲良くなったんは中学かな?)、数年前まではご近所さんであった。いつも明るく、話していて本当に楽しいキャラクター。その素晴らしい性格はそのまんま。でも、将来に向かって自分の未来像を必死に探している姿は「あ~、スゲー頑張ってんな~」っと思いつつ、自分自身にもいい刺激になる。やはり同年代が頑張っている姿を見ると、いい意味でライバル心がわき、「負けてらんないっ!」という衝動に駆られる。

午後3時頃から5時頃まで近状報告や昔話でマッタリトークした後、えっちゃんの同僚のクリスマスプレゼントを探しを小一時間。にしても、新宿って街は何であんなに人がゴッタ返しなんだろうね?基本的に多摩育ちの俺は、前に歩いてる人のペースで歩くことを嫌う。でも、都心で働くようになったら、東京で働くようになったら、そんなこと言ってられないんだろうね。
6時に彼女は出勤なので、新宿でわかれて、俺はそのまま表参道駅までボルダー人と会いに。軽い同窓会だ。

来たメンツはバンチ、リオー、コバ君、ノゾム君、Tomo、とCU New comerのマイちゃん。いや~~~、ぶっ飛んでるね~、あいかわらず!!バンチは懐かしの「こんな人いたら嫌だシリーズ。」とか久々にやっちゃうし、リオーはfinger&tongueのすご技見せちゃうし、DJ Cafe de covaはシュールに一言二言なのに笑わせてくれるし、ノゾム君は相変わらずウェンディズ大好きだし、トモさんはマジで相変わらず良い感じのいじられキャラだし、まだFreshmanなのにマイちゃんはそのトモの性格つかんじゃってるし。大学時代のギャグを含め、新しいHGネタ。半分以上はもうサラリーマンなのに、大学時代と変わらぬこのノリ。ず~っと変わらずあってほしい大事な空間であった。

その反面、やはり社会に出た卒業生たちの成長具合と、明らかに学生の頃とは違う世界観に非常に良い刺激を受ける、そして勉強になる。持つべき者は良き先輩だ。社会人と学生の差はやはり大きい。でも近い将来、俺が社会に出る時は、共に向上しあい、日本のビジネス界、または世界をまたにかける事業を手がける者同士でいたいものだ。それで何らかのconnectionで、大学をともにした仲間で、何かでっかいビジネスを起こすことができるなら、最高だろうな。

俺はまだ20代前半。自分の本当にやりたい事は明確ではない。だからといって、神経質になるほど迷う必要も無いだろう。漠然としたデカイ夢をもっていればそれでいい。それに繋がるように、自分自身の向上を怠らず、いろいろ経験し、なるべく視野を広く世界を見つつ、様々な人と触れ合えば、それでいい。おのずと見えてくるだろうさ、未来像。

そんなこんなでかなり充実した一日を過ごした。ちなみに今現在の俺はかなり酒に酔っている。

Pic. My CU buddies!

Drink like a 「King Kong」。

2005年12月18日 | Weblog
地元の三人組、工藤とリアとで映画「キングコング」を見てきた。今年の10月頃、多摩センターに映画館がオープンしており、家から歩いて数十分なので非常に便利。映画館内にはドデカい多摩セン周辺の絵がかかれており(パルテノン多摩の絵)、地元民には親近感あふれる映画館となっていた。

んで、キングコングをナイトショーで見てきたわけだけど、やばいね、このデカゴリラ!まさにジャングルの番長でしたわ。恐竜と戦うシーンなんかは、迫力満点。喧嘩慣れしすぎです。ただ多少ストーリーが長すぎにも感じたが、この手の映画はやはり映画館で見るに限る。恋愛モノや感動モノを映画館で見るより、アクション系の映画を見る場合は、音響、映像が優れている方が楽しめるわけで。ま、素直に楽しめるお勧め映画です。

見終わった後は、とりあえず寒さしのぎの為、白木屋で軽く一杯。の予定が、ちょうど白木屋でバイトしてた中学時代同級生&落合サッカークラブ期待のFW(?)であった新色と久々の再会をし、結局朝6時頃まで4人飲む。過去同じ小学校、中学校へ通っていたモノ同士が集まれば、当然ガキの頃をふり返る。あんなこともあれば、こんなこともあったな~なんて、熱燗飲みつつ語ればもうオヤジだな。っで、仲良く4人で帰った後、朝日が顔を出すと同時に夢の中へ。

Pic. キングコング。

東京の中心へ。

2005年12月16日 | Weblog
昨日は新しいアメリカのvisaを取りにアメリカ大使館がある「溜池山王」という駅まで電車で。溜池山王??聞いたことも、電車の地図上でも見たことありませんよ、もちろん。

ってことで、小田急線でいってきたんだけども、なんせ乗りなれてない小田急線。案の定間違えちゃたよ。「新百合ヶ丘」から全くの逆方向。危うく「小田原」まで行く前の「海老名」と言う駅で気づいて逆戻りの新宿方面へ。いや~、あせった~。っというのも、Visaを取得するための面接の時間が決まっており、面接時間は8:45a.m.。でもおれが大使館に着いたのは9時半頃。あちゃ~、やっちまったい。

アメリカのビザを取得することがこの頃非常に困難になっているらしい。テロ以降から軽い面接もあって、なかなかビザがおり難い状況。っというのが、Web上での情報。なので今回は相当気合入れて、軽いエッセーも書いて持っていったのにもかかわらず、あらま、簡単。大変だったのは大使館の前で待たされている行列に寒い中並ぶだけで、中に入ったらスゲー早く事を終えてしまった。面接って言っても窓口でチョット質問される程度。あっけなく新たなVisa取得。

時間もまだ午前中だったし、せっかく多摩の田舎から出てきたんだから東京めぐりでもすんべ、っと六本木方面へ。っで、これまたやっちまったい。歩いてたら迷子ですわ。もうどうしようもない、この方向音痴。でもこれが好きなわけで、気づいたら東京タワーの真下にいた。うわっ、ビックリ!

ってことでなんとか六本木ヒルズ周辺につき、スタバでコーヒーを。本屋と繋がっていたから雑誌読みつつとりあえず休む。にしても、やはり客層が違う。子供をつれておしゃべりしに来る主婦も、新聞読んでるおっさんも、Meetingしているサラリーマン達も、やはりさすがは六本木。なんかそれぞれが「都会人」って匂いプンプンの高級感。新聞読んでるおっさんなんかaudio-technicaのATH-W1000のHeadphonesして音楽聴いてた(かなりお高いはず・・・)。初めてみたよ、あれで音楽聴いてる人!

なんて、興奮しつつ六本木ヒルズ内へ。前にシュウチャンといった時は夜だったし店は全部閉まっていて、ヒルズ内は観光できなかったけど、今回はガッツリ見てきました。でもあれだね。俺が行っても正直つまらん。用はほぼ女性用のブランド店がずらりと並んでいて、高級Mallみたいな感じ。だけど建物の作りとか、広場の作り方等はなかなか見ごたえがあって面白かったです。俺はお土産屋でポストカードを三枚。だって観光ですから。

昼頃、弟のコウジからメールが来て、「今から車で六本木行く」っとのことで、結局夕方まで一日中六本木内をウロウロして待つことに。んで、コウジと彼の彼女のアイちゃんと夕飯はHard rock cafeで。客のほとんどが外人であり、我らは実際場違い組。でも久々のハンバーガーはウマかった。一人の手品師がperformanceなんかもしてた。もうなんか日本じゃねーなここは。

その後は弟たちが住んでる厚木の家に招待されたんで行ってきた。二階建てでなかなか広いスペース。ただ一階は鬼寒い。っで、二階の彼らの部屋でくっちゃべった後、12時半頃、我が家に帰宅。いや~、さすが朝6時起きだと一日が長いね。得した気分だったが忙しい一日でした。

Pic. ヒルズ内のクリスマスツリー。(多少ぼけてるけど)

生まれた日に。

2005年12月12日 | Weblog
ジモッティのオザの誕生日パーテーが昨日あった。場所は多摩ニュータウン通り沿いの「ライオンの穴」と言われるレゲーbar。俺はここ初めて。むしろこんな所にバーなんてあったんだって感じで驚き。リコピン(オザの彼女)主催でsurprise partyとなる。

地元がメチャ集まった。0時の時報と共にゾロゾロみんながそのバーに入っていく作戦。見事ドッキリ成功でオザも少々困り気味&テレ気味。みんなでケーキ食って、リコピンと彼女の友達たちはオリジナルソングをオザにささげ、みんなで乾杯。オザは涙堪えつつ「マジ感謝!マジ感謝!」っと必要以上に連呼。まぁ、嬉しかったんだろね。いいね~、こういうの!マジでうらやましっ。

その後は真冬の中でのReggae Musicに体を揺らし、踊りまくり。マジで楽しかった!結局朝の6時半くらいまでいて、それぞれしばれる冬の空気と共に帰宅。

Pic. 集合写真。

多摩人。

2005年12月10日 | Weblog
台湾から帰国する前も台北でギリギリまで遊んでて、それについても書きたいんだけど、なんせオレは今日本。間が開きすぎちゃってるんでとりあえず、今のことを書く。台湾話はまた後でゆっくりと。

日本に帰ってきたのは先週の日曜日。もうそろそろ一週間だね。いや~、いつ帰ってきても多摩(地元)の景色は良い!俺は今写真にハマってるから、被写体がワンサカある。朝日に夕日、木々はいろいろな色に染まり、自然が豊か。どこに行こうと、ここが、この場所が、この町が一番落ち着く。

仲間がいる。鼻を垂らしてた時くらいからの付き合いの奴らと毎回帰国時には遊ぶ。飽きることなく。
みな違う道を歩んでいるが、それでもみなは集まる。他愛もないことを話し、時には語り、同じ道を歩んだ過去をふり返り、スポーツで汗を流し、居酒屋で飲み、トコトン笑う。飽きることなく。
万物は変わっていく。時代は変わっていく。おのおのの人生も変わっていく。だが、その中で変わらないものがここにはある。飽きることなく。

ここにいつまでも居場所があるから俺は毎回長期の休みには日本にいるんだろうな~。

Pic. ベランダからの夕日。

台湾南下紀行、最終日(台中)。

2005年12月10日 | Weblog
来台をしてすぐにこの台中の伯母さんの家にはお世話になったので、今回は二回目の訪問。相変わらずの高級マンションで一回には小さいシアターや図書館がある。

この日はおじいちゃんとおばあちゃんと伯母さんとワンリンとオレで台湾国立美術館へ。美術館へ行く前はみなで昼食。おじいちゃんはオレが来たって事で奮発して結構お高いヘルシーフードレストランで昼食。出てくる料理はみな健康によさそうなものばかりで、野菜が多かったが非常においしかった。

昼食後は美術館を一回り。っていってもデカ過ぎて全部は回れなかったけどね。今回は期間限定の女性の美についての展示物を見てきた。西洋の女性と東洋の女性を対比したような形で展示品が置かれており、なかなか面白かった。

その後はワンリンお勧めのアイスクリーム屋に行って(ちなみに名前が「K2」でした)、夕飯はおじいちゃんお勧めのそば屋へ。そばはどちらかといえばラーメンみたいな感じで、器は少々小さかったけどメチャウマかった!かなり古くからある歴史あるそば屋らしく、現在は3代目が継いで経営しているらしい。

夜はおじいちゃんと一杯。軽い送別会をしてくれた。缶ビール二本とおじいちゃんが友達からもらってきたお酒をワンリンとおじいちゃんとオレで飲み、その後就寝。明日はいよいよ旅も終わりで台北に帰る。

Pic 家族写真。

台湾南下紀行、六日目(台南)。

2005年12月08日 | Weblog
Jamieのスクーターをまた借りて高雄駅まで突っ走り、午前11時頃の電車にて、いざ台南へ。

台南は台湾でもっとも歴史ある町。約330年前に鄭成功がオランダ軍を撃退して以来200年以上も台湾の中心として栄えた都なのだ。

今回はあまり時間もなかったので、場所を絞って観光。「赤篏樓」にまずは訪れることに。ここはオランダ人が立てた城壁で、民族的英雄の鄭成功がオランダ軍を追い出して後、承天府と改めた場所。鄭成功がオランダ人との講和している姿の銅像が非常に印象的。

「赤篏樓」を訪れた後の予定は「孔子廟」に歩いていくはずだったのだが(近いし時間もなかったから)、自分の中で葛藤したあげく、「安平古堡」に行くことに。赤篏樓に行ったならあわせてここはおさえておきたい。っということで、タクシーまで使って行ってきた。なぜかっていうと、おじいちゃんに借りて読んでいた司馬遼太郎さんの「台湾紀行」にて、彼は「赤篏樓」へ行き、台南名物の担子麺を食べ、「安平古堡」へ向かったと記してあったので、全く同じルートで観光したかったからである。そうしたら、彼が本に書いたとおり回ることになるので、よりこの本を楽しめると思ったから、それに歴史背景から言ってもこの二つの観光スポットは繋がっているわけだし。

鄭成功のドデカい銅像、そのまま残されている大砲、海から近寄る敵を見張る展望台と、敷地自体はそれほどでかくないが、歴史を感じされられる観光スポットであった。

午後3時くらいには台南を出発し、高雄に戻った。Jamieは4時に授業が終わり帰って来たので一緒に夕飯を。今回は彼女お勧めのパスタ屋さん。これがまっじでウマがった~!台湾でこんなウマいパスタ食ったのは最初で最後だろうってくらいウマかった!(あんまり伝わらないか?)

んで、親戚が待つ台中へ午後8時くらいのバスに乗り込み、10時半頃到着。向かいに来てくれたのはワンリン(従兄弟)なんだけど、車の後部座席にはおじいちゃんもいた。外は寒いのに、しかも夜も更けているのにわざわざ来てくれたのには、孫的には非常に嬉しかったです。

台中の親戚の家に着いてからは久々に伯母さんとちょっと話してから、暖かいベットの上にて就寝。

とりあえず帰国報告。

2005年12月05日 | Weblog
まだ日記が台湾南下紀行の途中ですが、今日12月4日に日本に帰ってきました。台湾留学についてまだ色々言いたいことがありますが、とりあえず帰国報告ってことで。
ので、日本にいる方遊んでください。