Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

『ステッチ・バイ・ステッチ』など

2009年08月21日 | 美術
今日は、東京都庭園美術館『ステッチ・バイ・ステッチ』を見に行った。すでにここに書いたけれど、この展覧会はカタログに寄稿したこともあり、ちょっと関係者(カタログを購入してぼくの名前を検索してここに来てくださった方、もしいらしたら、はじめまして!あの、こんなことやってます)。展示を見ずに論考をまとめるのはとても大変だった。それで、ちょっと見に行くのをためらっていたのだけれど、行ってよかったです。よい展覧会だと思いました。伊藤存は毎回トライアルというか新しい展開があり、今回も「おっ」と思った。手塚愛子、清川あさみも良かったけれど、刺繍の作品たちはもともとは洋館である美術館の建物ととても共鳴し合っていて、それが見事。その後、青山のビリケン商会のギャラリーにて「カオス*ラウンジ(夏)」を見た。藤城嘘がpixivで募った作家たちの展覧会。クオリティは、なかなか。安易な性的凌辱に短絡化しない少女への同化が印象的で、見ていてなんだか80年代文化論で整理している富沢雅彦のことを思い出してしまった。

今日は、80年代文化論ノートはおやすみします。ただ、ノート化はしませんけれど『SV』の「リヴァイヴァル以降の「80'sカルチャー」総括!」(2007.2号)を読んでました。んー、なんか僭越ですが、あまり誠実な感じがしない誌面でした。なんとなく浮き足だっていて、「リヴァイヴァル」が焦点なら、どこがどういう風に復活・再評価されたのか、もっとつきつめて欲しかったな(と二年前に読んだときも思ったっけ)。80年代を総括するというのなら、せめて「新人類」対「おたく」くらい、「新人類」対「神々(浅田彰)」くらい考察しても良かったのでは(ほんとならば、竹の子でもローラーでも暴走でもクリスタルでも「族」について論じるべきだし)。何よりも、原テクストへの参照がとても希薄で、書き手の知識の披瀝ばかりがめだち、知ってるぜって身振りが知らないひとたちを遠ざけている気がする(なんて、無責任に架空の『SV』を妄想したり)。

最新の画像もっと見る