ある行政書士のひとりごと

とある行政書士の人生奮戦記

JR天王寺編・・真田源二郎信繁(幸村)・・終焉の地へ

2015年12月31日 | 18きっぷの旅

年末・・18きっぷが手元に入ったので・・急遽
真田源二郎幸村終焉の地へ行こうと思い発ちました・・
来年・・真田丸の大河ドラマが始まるので・・
俄か幸村ファンが殺到する前に・・

30日午前5時ごろの浜松市街の様子です・・
余り人気はないですね・・

 

 

 

 


6時01分米原行に乗りました・・

 

 

 

 






JR天王寺駅に10時40分頃着です・・・
5時間ぐらい・・大阪に居れるかなぁぁぁ・・・ 

 

 

 

 

 

 
駅の外に出ると・・正面に・・アベノハルカスが観えます・・
帰りに寄ってみましたが・・僕には・・買えませんね・・(笑)









 




安居神社まで・・徒歩で10分位ですね・・
本道から・・少し入って行きます・・
当時・・幸村も・・奥に入っていたから・・ここを選んだ
気がしますね・・

 

 

 

 

 

 

 本通りから・・結構奥へ入って行きます・・

 

 

 

 


 

 

安居神社です・・
右側奥に幸村の銅像が観えてきます・・
大坂夏の陣の時・・この付近の家康陣地手前まで攻め込み・・
ここで・・最愛の家臣・・佐平次と偶然出会い・・共に出合った
時に約束した通り・・終焉の地となったところです・・49歳の
初夏でした・・

 

 

 

 

 

安居神社は・・当時そんなに有名では無かったと思います・・
偶然・・幸村が訪れた事で・・400年後も聖地として
栄える事となります・・
境内は・・狭く・・本当にひっそりとしています・・
上田から九度山に流され・・此処で終焉に至ったのですが・・
負け戦をあえて・・背負う・・男の生き方が・・好きです・・

奥に観えるのが・・さなだ松です・・ここに持たれて・・
休んでいたと言われています・・

 

 

 

 幸村へ奉納・・おみくじは・・・凶・・まぁ・・そんな人生です・・

 

 

 

 

 

 

帰りに・・JR玉造に下車して・・三光神社に寄りました・・
真田丸への抜け道が有ると言っておりますが・・(疑問

 

 

 

 

 

 

 

 この先に行った事のある人が居るのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

まだ・・時間が有ったので・・大阪城に寄って来ました・・
幸村は・・ここから・・最後の夏の陣へ出撃したのですね・・

おそらく・・父昌幸であれば・・戦の前に・・
淀殿を毒殺しただろうと・・思います・・

あえて・・幸村がしなかったのは・・
勝利しても・・大坂方に今後の政治を司る力が無い事は・・
十分解っていたし、家康は・・後世の戦の無い社会を作る
力量が有る事も解っていたと思います・・

この戦が後世・・どう伝えられるかも・・十二分解って
大坂の陣を迎えたのだと・・思います・・

父昌幸の夢を追って・・
真田源二郎信繁(幸村)享年49歳・・死に場所を得た男の
一人です・・羨ましいですね・・男として・・


それにしても・・モンベルのダウンは・・暖かくて軽いです・・予想以上・・・(納得価格  ユニクロ・・卒業・・((笑)


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