人生は上々だ

釧路のアイスホッケーチーム「ノーススターズ」の14番、「kin」のブログ。ホッケーや趣味、日常に関するよもやま話。

ether(エーテル)

2005-03-30 23:16:31 | 音楽
「レミオロメン」というバンドのニューアルバムです。
いいですよー。

僕は音楽に関しては、
「いろんな媒体から発掘する」という作業をあまりせず、
なんとなく耳に入ってきたものの中で、
「あ、これいいな」って思ったものを聴いてみたりします。

レミオロメンは今まで名前しか知らなかったけど、
CMか何かで曲を聴いて、ちゃんと聴いてみたいと思ったのです。
普通であれば、とりあえずCDを借りてきて・・というところから始めるのだけど、
これは間違いなく聴けるっていう、何か確信めいたものがあったので、
最近アルバムが出たことを知り、
いきなり買ってしまいました。

で、実際聴いてみると、「イイ!」です。
間違いなく。
あえて誤解を恐れずいうなら、
「スピッツ系」かもしれません。
ファンの人とかは全然違うよって言うだろうけど、
無理やりジャンル分けするならってことです。
「ふんわりしたテイストでありながら、中身は骨太ロック」
という意味ではね。

歌詞がいいですね。とても。
メロディーラインもとっつきやすいんだよなあ。
一般ウケしそう。
ひょっとしたら、
来年ぐらいには知らない人がいないぐらいになってるかもね。

CMで僕の耳に入ってきた曲は「南風」ですが、
「モラトリアム」「ドッグイヤー」「コスモス」あたりが、
僕の好みです。

オススメ!

フクシノココロ 2

2005-03-28 22:05:58 | モノログ
前から思っていたのですが、
ホッケー以外のネタを書いたほうが、
アクセス数が圧倒的に多いようです。
ホッケーブログなのに・・・(+_+)
ま、それはそれとして、昨日の続きです。


「我々は金のためにのみ働いている」
という言葉ですが、
なんてことを言うんだ、と思う方も多いのではないでしょうか?
サラリーマンではないんです。
福祉に携わる者の言葉なんです。
あるまじきことのように聞こえるでしょう?
”金のため”だなんて・・・
しかし、ここでいう「金のため」というのは、
あくまで「仕事」として割り切らなければいけない、ということなのです。

「福祉」という仕事の性格上、
「かわいそうな人たち」に出会うことで、
「同情心」を持ってしまいがちです。
その人が生まれながらに抱えてしまった問題であったり、
不幸な生い立ちからくる歪んでしまった心であったり、
そのような人に出会ったとき、
ある種の「憐れみ」が我々の中に芽生え、
それをもって仕事にあたってしまうことがあります。
しかし、それはとても危険なのです。

「かわいそう」、「何とかしてやりたい」、「助けたい」と思う心は、
「この人を思い通りにしたい」、「支配したい」と思う心と、紙一重なのです。
もちろん、意識してそうなるわけではありません。
誰でも最初は、前者の気持ちで接しているのです。
援助を必要とする方の、いわゆる「問題行動」を是正するために、
我々は様々な手を尽くします。
しかし、往々にしてそれが裏切られることがあります。

たとえば、
アルコール依存症の方が、
「お酒を飲むなんて、もう苦しくて苦しくてたまらない。
家庭も壊してしまって、子供にも申し訳ないし、何とかやめたい」

と、涙ながらに訴えてきたとします。
我々はいろいろな方策を練ります。
断酒会(同じ目的を持っている方の集まり)などへの参加はもちろんのこと、
必要があれば隔離病棟への入院をしてもらうこともあります。
本人も、「○○さん(自分の名前)、子供のためにも、
私絶対にお酒をやめて人生やり直すから!」
と約束して入院したとします。
だけどその後、その人がお酒を隠し持っていて、
院内で飲んでいたと聞かされたとしたら?

ここでもし、前述したような、
「この人を助けたい」という気持ちで被援助者に接していたとしたら、
「裏切られた・・・」という感覚を持ってしまうことがあります。
人間ですから。
怒りを覚えることさえあります。
「せっかく助けようとしてやってんのに、なんでそんなことをするんだ!」と。
ほら、小さい頃とか、
「あなたたちのためを思って言ってるのに、どうしてわかってくれないの!?」
などとヒステリックに叫ぶ教師とか、いませんでした?
あれですよ、あれ。

そのような感情を持ってしまった人間が、
今後その被援助者に対してとる行動は何か?
「見捨てる」あるいは、「二度と『問題行動』を起こさないよう、もっとしばりつける」です。
さらに怖いことに、
その人のみならず、同じ状況の違う人間に対しても、
「こいつもどうせ・・・」と思い、
同じことをしてしまう可能性があります。

でも、当の本人の気持ちはどうでしょうか?
「○○さん」と約束を交わしたときの気持ちは、嘘じゃないかもしれない。
でも、直前になって発作がおき、どうしてもお酒を隠し持っていかないと、
不安で不安で押しつぶされそうになっていたのかもしれない。
そのような気持ちを持っている可能性があることを汲み取ってやることが、
感情的に仕事にあたって冷静な判断を失った人間には、
出来ないのです。

逆に言えば、
常に客観的にみて冷静な判断をし、
その時々で被援助者に対する最善の策を実行することが出来るのであれば、
自分自身が本来持っている感情など、
関係は無いのです。
慈悲の心は必要ありません。
相手の醜い部分なども含めて受け止めてあげられれば、それで良いのです。

ゆえに、
「我々は金のために福祉をしている」
のです。
この言葉を聴いたとき、
僕は今まで感じていた疑問が、すべて氷解したような気持ちになりました。
「こんな自分でも、できることがあるのかもしれない」
この仕事に携わってから、初めてそう思うことが出来ました。

それ以来、僕は信頼を得る技術として相手を思いやり、
共感した「フリ」をすることはあっても、
心から相手の行く末を心配したことはありません。

福祉はボランティアとは違います。
むしろ、対極に位置するといってもいい。
これは僕が今の仕事をしていく上で、
必ず心に刻んでいることです。


いかがでしょうか?
うまく伝わるでしょうか?
なにぶんにも、稚拙な文章なもので・・・
否定的な意見もあるでしょうが、
自分を含めて多くの援助者が最善かつ最大限の援助をしていくためには、
これしか方法が無いのです。


フクシノココロ

2005-03-27 21:21:34 | モノログ
いやあ、ながらくお待たせしました(待ってない?)。
2月1日の「水谷先生」というブログのコメント欄などで、
僕が仕事としている福祉に対する考え、
想いについて書くといいながら、
ずっと放置してました。
もし待ってくれていた方がいるなら、ごめんなさい。
さて、書きます。

皆さんは「福祉」というものを仕事にするにあたって、
大切なことは何だと思いますか?
慈悲の心?
相手の立場に同情する気持ち?
それとも、相手の痛みを自分のものとして分かち合える心でしょうか??
答えはNOです。

僕は福祉のことなど、大学では学んでいません。
いわゆるそういうものとは、無縁に生きてきました。
そんな僕が、たまたま配属されたために福祉に携わることになったのです。
それも、援助を必要とする方と直接交わる「対人援助」という仕事です。
悩みました。
仕事のやり方は周りの人が教えてくれます。
でも、何か違うような気がしていたのです。
そして、同時に強く感じたことがありました。それは、

「僕は向いてない」

ということです。
自分には、他人を思いやる気持ちが欠けている。
たとえば、
友人が交通事故で亡くなったら、
僕はとても悲しい気持ちになるでしょう。
でもそれは、友人がいなくなることによって、
もう”自分が”その友人と会えないという、
いわばエゴからくるものです。
決してその友人自身の痛みを、
自分のものとして感じられるわけではない。
あくまで、「自分が困るから悲しい」のです。
だから、会ったことも無い海外の人が、
災害によって何万人亡くなろうが、
僕は大して痛みを感じることが出来ません。
心の奥底から相手を思いやれる「優しさ」に、
自分という人間は絶対的に欠けているのだと、
それはずうっと前から思っていたのです。
そしてそんな自分が嫌いでした。
そんなどうしようもない僕に、
人を助ける仕事なんて出来るわけが無い。
そう思っていたのです。

多くの矛盾を自分の中に抱え込んだまま、
一年半が経過した頃、転機が訪れました。
ある「研修」に参加することになったのです。
たまたま行かせてもらえることになりました。
でも、正直言って僕はあまり期待していませんでした。
どんな研修を受けたって、
ありがたいお話を聞いたって、
僕の中の「醜い心」が変わるわけではない。
おそらく無意味なものだろう・・・
そう思っていたのです。

多くの講義は、
予想通りとるに足らないものでした。
しかし、ひとつとても心に残っている講義があります。
それは、「医療ソーシャルワーカー」という職業を経て、
現在大学の教授をしている方の講義だったのですが、
豊富な実体験に基づく大変興味深い内容でした。
その中で、その先生がある学者の言葉を紹介してくれました。
J.H.サリバンという、アメリカの心理学者、精神学者で、
自ら対人援助に携わり、対人援助技術論の先駆者とも言える方です。
それは僕にとって、実に衝撃的な言葉でした。

「我々は、金のためにのみ仕事をしているのだということを、常に意識するべきだ。」


どうですか?
衝撃的ではありませんか?
なぜこれが、僕の心の琴線に触れたのかについては、また明日書きたいと思います。
ちょっと長くなってしまったので・・・


連盟会長杯第4戦 vs 鉄人2000

2005-03-20 00:33:53 | ホッケー
3月18日(金)

  アルテイド  鉄人2000
1P   0   -   2
2P   1   -   2
3P   1   -   1

     2   -   5       だったかな?

得点 きむ(きん)、まっつ


今シーズン最終戦です。
勝ちたかったけど・・・
仕事の都合で、エースのぽんたが欠場。
彼がいないと、やはり勝てないのか・・

でも前向きにとらえると、
ぽんたがいなくても、
とりあえず試合にはなってきたともいえる。
キーパー除いて9人という、
相変わらず厳しい台所事情を考えれば、
初心者組も半年ほど前と比べても、
確実にレベルアップしているといえるでしょう。

しかし厳しくみると、
少し独りよがりなプレーが多かったように感じた。
周りを助けるような、
目に見えない「献身的なプレー」が足りないというか。
それにリードされる展開になると、
足が止まってるよね。
あきらめてるのですか?
全員が限界まで走れば、勝てない試合ではなかったでしょう?
来シーズンの課題は、
「たとえ主力選手がいなくても、全力を尽くして勝つ」
ではないでしょうか。
毎度のことながら、自分自身にも言い聞かせています。

相手チームの鉄人2000は、2000年に出来たチーム。
つまり創部5年です。
全員が初心者で始めたと聞いています。
相手チームの4点目をバッティングシュートで決めたキャプテンとは
1000円練習で会っているので知り合いですが、
札幌出身で、5年前に初めてスケート&ホッケーをしたそうです。たしか。
やれば出来るってことですよね。

アルテイドの来シーズンの飛躍を期して、
頑張りましょう!!

余談ですが・・・
今日「SHOOT」でスティックを買っちゃいました。
EASTONのカーボンのやつ。
カーボンのスティックっていっても種類がいっぱいあって、
僕にはどれがいいやらわからないから、
「色で」選びました。←バカ
青が好きだからさ。
セールをやっていたので、
ブレードと併せて14,000円なり。
普通に買ったら25,000円ぐらいするかな・・・
完全に「猫に小判スティック」ですが、
形から入るのもいいでしょう。

早くウデが追いつくように、頑張るぞ~



日本製紙クレインズ vs 王子製紙

2005-03-17 00:23:48 | ホッケー
3/12(土)と3/13(日)、
アジアリーグのプレーオフ第1戦、第2戦が
釧路丹頂アリーナで行われました。
2日とも観てきました。
この忙しい時期に、僕も好きだな・・(^^)

試合は2試合とも、面白かったですねえ。
気迫がぶつかり合って、これぞアイスホッケー、という感じ。
どちらかというと1試合目のほうが、
ゲームとしては面白かったのですが、
2-3でクレインズが負けてしまったので、
ベストゲームとはいかなかったですね。
でも、終了間際クレインズが6人攻撃をかけているあたりは、
身震いがするほど興奮しました。

2試合目はクレインズがゲームを支配して、
王子が反則でそれを止めるという展開でした。
なので、クレインズはパワープレーのチャンスは多くつくるものの、
ゴールを割れないというちょっといらいらする展開。
第3ピリオドに山野のゴールで追いつき、2-2で延長に突入。
延長戦も再三のパワープレーチャンスにもかかわらずゴールを割れず、
観客のイライラ感もピークに達しつつあったところで、
ディックのパスを受けた伊藤賢吾がダイレクトでスラップショット!!
ものの見事にゴールネットの突き刺さり、(ほんとに突き刺さるという感じ)
会場は大いに盛り上がりました。

2試合通じて感じたのは、
贔屓目じゃなく、クレインズは強いなあと。
2試合ともゲームは全体的にクレインズが支配していたし、
キルプレー時の守備も非常に安定していました。
課題は決定力不足、かな。
同じパワープレー時にしても、
王子はクレインズのよい守備に阻まれて得点できず、という印象でしたが、
クレインズは勝手にシュートをはずして得点できず、という感じでした。

でも、よいゲームはしているのできっと敵地でも勝ってくれるでしょう、
といってる間に、すでに今日第3戦が終わり、2-1で勝利したようです。
ブログの更新をまごまごしているあいだに終わってしまった・・
ネタはたくさんあるのに書く暇が無くて、
ややブログ放置気味の今日この頃です。