ボランティアグループきずな活動BLOG

東日本太平洋沖大震災復旧・復興ボランティアグループ「きずな」の活動ブログです。

亘理町 うしのや

2012-05-18 10:01:11 | 現地滞在

本日これまでうちからのたくさんのメンバーがお世話になっている亘理町を訪問してきました。


いちごっこの馬場さんや、公共ゾーンの斉藤さんは多忙でゆっくりお話が伺えませんでしたが、


昼食を食べさせてもらったお店で良い出会いが!






宮城県でも最大規模の仮設住宅、「公共ゾーン」のとなりに2月下旬から仮設店舗街「東郷地区商店」がオープンいています。


10月頃訪れたときは、被災した車がたくさん積み上げられていたり、WFPのテントが並んでいてまだまだ忙しない場所でしたが、

半年ぶりに訪れると一転、30店舗近いプレハブ商店が並ぶ仮設商店街に風変わりしていました。






建築系や電気屋、商店なんかもあるのですが、今日はランチタイムに立ち寄ったので、たまたま入った定食屋で素敵な出会いがありました。










お店の名前は「うしのや」。被災前は亘理町、とりのうみにお店を構えておられたそうです。


今回取材に答えて下さったのは、お店をほとんど一人で切り盛りしているお母さん、松井としゑさん。




ゴジラ松井のニュースに合わせて孫の名前が
を秀喜にしたと冗談まじりで話される気さくなおかあさん、いや、おねえさんです。


たまたま食べにきた地元の農家のおっちゃんトリオもお母さんのトークにたじたじ





山元町の自宅は全壊を免れたものの、漁港近くでお父さんと一緒にされていた店は天井まで津波が押し寄せ営業ができなくなってしまったそうで
一時は商売を諦めかけたそうですが、


お父さんが山下で、お母さんは、この仮設商店街に飲食店が少ないということで依頼を受け、お店を再開されたそうです。




お店の名物は海鮮たっぷりの“わたり焼きそば”。取材中もラジオ局から取材以来が入っていました。




これで一人前です。(若い人は頼まなくても大盛りで出してくれるらしい、たぶん3玉はあった気が、、)



他にもラーメン屋や生姜焼きなど定食屋さんらしいメニューがお手頃な価格で食べれます。



山下で再開したお父さんのお店では。震災以前から名物の“はらこめし”と“ほっきめし”を提供されているとのこと。
(次回はこっちも是非食べたい!!)



その他にも、松井さん特性のチョコバナナ(100円)も販売中。


震災後の支援のあり方や商売についてご自身の経験から熱く鋭い視点で語られる松井さんですが、



途中チョコバナナを買いに子どもが来店したときに迎え入れる優しい笑顔と話し方に、モットーである”家庭的なお店”の魅力を感じました。






その他にも子どものためにおにぎりや、夏場はかき氷を販売する予定だとか。




自ら被災しながらも立ち上がり、ほかの人にエネルギーを分け与えれる松井さんの人柄に僕も少元気を頂きました。




お弁当やお惣菜づくりなど、まだまだやりたいことがたくさんある!という松井さん。





おいしくてみんなに元気を分けてくれるお店が、


お店の名前の通り、うしのよだれのように、ながーく、ほそーくいつまで続きますように!!
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再開!

2012-05-18 09:28:30 | 現地滞在

半年ぶりの更新、ゆうすけです。



ご無沙汰です、昨日から宮城に入っています。


実は今月こっちに来るのは二回目。



一回目はGW中に北芝で整備されたキッチンカーを石巻に運ぶというミッションでした。





そして昨日から約2週間、3月末で途切れていた現地活動の再開です。


昨日は早速、去年の6月最初の滞在時の仮設周りのときに繋がって、


その後共同支援ネットの移動絵本号”やねだん号“が毎週訪問して、こどもに遊びを提供されている荒井の仮設に行ってきました。




就学前のお子さんから、おとしよりが集う広場でわいわいボール遊びやらなんやら。










途中夕立に見舞われたので集会所の中で、お絵描き。


こどものリクエストにお答えして描いた、ドキンちゃんの絵のレベルの低さにお母さん達は驚愕な感じでした。


ちびっこたちはドラえもんやー♪と喜んでいましたが、、



そんなこんなでぼちぼちやっていきます。



また更新します、では!







写真は新やねだん号
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「カーシェアリング」が地域づくりへ

2012-03-31 09:19:35 | 報告
2月末から3月中旬まで石巻に滞在していたゆっこです。
今日は「稲井」という仮設に行ったときのことをご紹介します。

みなさん「カーシェアリング」って知ってますか?
名の通り「車をシェアして使う」ってことなんですが、車が必要な時間だけ
予約して借りて、時間単位でお金を払い、決まった駐車場に返す、という仕組み
になっているところが多いようです。
車を買うまでもないけど、ときどき使いたい方や、大きな買い物をする時に活用する
方が多いようです。

被災地でもカーシェアリングは活用されていて、たまたま訪れた稲井の仮設で
「(社団)日本カーシェアリング協会」の代表のタケさんと事務局の方々に出会えました。
http://www.japan-csa.org/index.html
そこで伺ったお話は、“カーシェアリングをきっかけに生まれた地域づくり”でした。
ぜひご紹介させてください★

■石巻のカーシェアリングが実現するまで

代表のタケさんは被災地での車の必要性を感じ、2011年4月から車集めをはじめた。
阪神大震災でカーシェアリングの仕組みを作った人にいろいろとアドバイスをもらって開始した。
石巻には6月に入り、最初の利用があったのは7月24日。
その最初の利用者が、万石浦仮設の後藤さんだった。
後藤さんとタケさんは、カーシェアリングがうまく広がっていくように、石巻に入った当初から
密にやりとりがあるそうだ。
車が集まって、カーシェアリングの活用を促すために、7月頃は仮設にチラシを配布し続けた。
車の利用をしたいという現地の人の声もあり、すんなり進む思いきや車庫証明の発行の時点で様々な壁にぶちあたったそうだ。
その壁とは陸運局と警察。
何度もかけあって車庫証明がおりたのが9月末。いろいろと環境が整ったのは11月末頃だった。


■しくみ

車は個人や企業からの提供で調達しており、2012年2月現在35台になった。
企業ではガリバーさんがもっとも多く車を提供してくれていて、
タイヤの提供はブリジストン、トーヨータイヤ、ミシュランなどから受けている。

利用者は仮設だけでなく在宅の方で車がなくなった、壊れたという方の利用が半分くらい。
ある仮設では2台を9人で使ってもらっているが、在宅の方は一家に1台の利用が多い。
車の状態は車検証などで把握している。
車の不具合は車の整備をしている人に個人的にお願いしている。
カーシェアの方法(ルール)は使う人たちにある程度委ねていて
最低限のルール提案をするくらいにしているという。

車の名義を誰にするか、誰が責任を持つのか、という問題もでてきたが、カーシェアリング協会が法人格を取ることで解決した。
利用者個人、もしくは利用グループの代表1人の自宅を「事業所」とすることで車を法人の名義にすることができた。
利用者の家にはカーシェアリングのステッカーが貼ってある。




■車をきっかけにした地域づくり

万石浦仮設の後藤さんが住民たちにカーシェアリングの活用を呼びかけたとき、
興味を持った人たちが集まってきて、色々と話し合わざるを得ない状況におかれた。
どんなルールで使うか、ガソリンは誰が入れるか、どこに置くか。車のメンテナンスはどうするのか。万石浦仮設の住民さんは様々な土地から集まってきていることもあって、入居当初はあいさつをしても返ってこないような雰囲気があったそうだが、カーシェアリングをきっかけにいつのまにか集会所は井戸端会議の場所になった。

最近では車を活用して、住民同士で独居高齢者の病院送迎をしているという。
ルールではなく、自然と声を掛け合って、手のあいている人が順番に行っているらしい。
(のちに後藤さんは自治会長に選出され、自治会連合会を構成するメンバーとなる。)

■現地の人の仕事を生む

石巻市からの促しもあって、2月から稲井の集会所の一角を事務所として使うことになった。
そこでは、後藤さんのようなカーシェアリング利用者が運営業務をしている。
カーシェアリングの取り組みは、現地の人の雇用にもつながったのだ。
タケさんはいつでも相談できる人として後藤さんはじめ現地の利用者さんたちと繋がっている。

タケさんの次の目標は、
“カーシェアリングにおける自動車税の免税”だそうだ。
「コストが抑えられればもっと使いやすくなる。震災をきっかけに、石巻発信でカーシェアリング×コミュニティ作りのいい事例ができたことをもっともっと広めていきたい。
それが現地の人の力になると信じているから。」

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マザーミサンガのものがたり

2012-03-30 08:55:38 | アンテナショップ
2月末から3月中旬まで石巻に滞在していたゆっこです。
主に仮設や商店街への取材活動をしてきました。

津波で短い滞在時間の中で、大阪でできることは何だろう…そう思って
雄勝町の名振という地区のある仮設を訪ねました。
らいとぴあ21のエントランスの「東北ものがたり」にも近々設置される
「マザーミサンガ」。

「ものがたり」を伺ってきたのでご紹介します。

2012年3月4日
名振コミュニティーセンター/名振地区 仮設の聞き取りにて

「マザー ミサンガ」

もともと漁を生業としていた人たちが多く住む名振地区。地震前は84世帯が住む静かな街だった。
ほとんどの人が家も船も網も流されたという。
地震後、名振地区には仮設が2箇所でき、7月頃から入居開始、28世帯が住む。
高齢者が多く、60代の夫妻で「わげしだづ(若い人たち)」と言われる。

名振にはコミュニティセンターがあり、ずっと避難所として使われていた。
今も毎日鍵はあけてあり、お茶っ子のみや集いに使われている。
近所の人だけでなく、ボランティア、住民の親戚などの集いの場、
宿泊の場にもなっている。
避難所の生活が始まって少しした頃、
男性たちはガレキ撤去の仕事で日中家をあけることが多くなった。
一方漁業を手伝っていた女性たちはもっぱらすることがなかった。
そこで自衛隊がお風呂を準備してくれたときに、一緒に持ってきた折り紙を
せっせせっせと折って時間をつぶし、気を紛らわせていたという。
あるとき、ボランティアさんが折り紙のきれいな箱を見て
「これだと売るのは難しいけど、漁網でミサンガ編んで売ってはどう?」と声をかける。
最初はよくわからなかったけど、作り方を教わった85歳のおばあちゃんが黙々とやりはじめた。
最初はみんなおばあちゃんの横を素通りだったけど、
手つきが慣れてどんどん素敵なミサンガができてくるのを見ていると「私もやってみたい」と思い始めた。
するといつの間にか漁師の妻たちは、黙々とおばあちゃんの横で作業を始めた。
「マザーミサンガ」はこうして生まれた。
マザーミサンガを作る女性たちはこんなことを話してくれた。
「編んでる間は無心になるから、余計なこと考えなくていいの。」
「ひとつでも売れたらそれだけでも助かるの。だってお茶碗の1個だって残ってなかったんだもの。」
「このミサンガは漁網だからとても強いの。この強さは編んだ私たちと身につけてくれる人達との絆の強さなの。」


マザーミサンガ代表 大和さん


編み子の高橋さん


雄勝のマザーミサンガ ひとつ1000円。
「絆」というシールが貼られている。
http://tomonote00.blogspot.jp/2011/07/blog-post_28.html

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地域サロンへ行ってきました

2012-03-25 19:53:44 | 現地滞在
こんばんは。
わんすんです。
ちなみに、前回の「最近のBGM」の記事も私でした。
名前を書いてなかったことに、今さら気付きました。


金曜日は、地域のサロン「ちょこらぃ」に行ってきました。
もともとこちらは、
震災後ちよこさんという方がご自宅のお風呂を
避難所でお風呂に入れない人たちのために
入ってもらっていたことがきっかけで、
地域サロンを行なっている場所です。

この日は午前中に2名の利用者さんを車で迎えに行き、
オセロやトランプなどのゲームをする方、
お話をされる方、それぞれの時間を過ごされていました。
一人の方は、「芽が出ているかもしれない。」と、
全壊になったご自宅に行き、花の芽を探されていました。
「私の家は、近所では花がいっぱいある家で有名だったんだよ。」
どうやら、芽が出ていたようです。
現在は仮設にお住まいですが、
また花を植えようとおっしゃっていました。

昼食後、2名の方がお風呂に入りに来られました。
仮設に移って風呂場があるようになったけど、
2Kの間取りに3人暮らしなので狭く、
風呂場を収納庫代わりにせざるを得ないとのこと。

現地に来て、実際に生活する人々の生の声を聞いて
初めて分かることがたくさんあります。

お昼ごはんのあんかけやきそば
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