ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

『ありがとうございます、

2008年08月30日 17時13分08秒 | Weblog
ありがとうございます、
ありがとうございます』

 マーク・キーエン(フロリダ大学の遊撃手)。オークランド・アスレチックスからドラフトで指名されたときの喜びの声。“背が低すぎてプロには向かない”と自チームのスカウトが言うのを押し切って、ビリー・ビーン(アスレチックスのGM)は、5位で指名した。

『ありがとうございます。ちょっと、いったん電話を切らせてもらっていいですか?』
 1位指名を告げられたジェレミー・ブラウン(アラバマ大学の捕手)は、そう言って電話を切って、数秒後、スカウトに電話をかけ直した。大学の友人が悪ふざけをしているのではないかと疑ったからだ。相手が本物のスカウトだとわかったあとも、そのことはガールフレンドと両親にしか告げず、「誰にも口外しないように」念を押した。

 マイケル・ルイスは、メジャーリーグの名ゼネラル・マネジャーとされる、ビリー・ビーンの人となりについてドキュメント風に書き上げた『マネーボール』(ランダムハウス講談社文庫)の中で、彼によってメジャーリーガーへの扉を開かれた選手たちを描いている。

 “この選手はいい体をしている”、“今回のドラフトでは最高の肉体の持ち主だ”
 そう繰り返す古株のスカウトたちの言葉を遮って、ビーンは、主張する。
 「われわれはジーンズを売っているわけじゃない」
 そう言って,
 自軍のスカウトが「背が低すぎ」「やせすぎ」「太りすぎ」「足が遅すぎ」「速球が走らない」「パワー不足」と切り捨てた選手、「指名されるはずがない」と諦めていた選手を、本物の野球選手と見込んで獲得していった。

“野球はスポーツではなく金銭ゲームになってしまった”と言われるほど、チーム間の貧富の差が大きく、優秀な選手を集め育てられるのは金持ち球団だけであり、資金の乏しい球団はどこか欠点を抱えた選手しか集められない、という現実が突きつけられている中で、メジャー全チーム中最低クラスの年俸チーム(ヤンキースの3分の1)でロッカールームの清涼飲料水も有料というチームの、それが生き抜くための戦略でもあった。

 この本を読んで、2002年のドラフトでビリー・ビーンによって指名された選手たちのその後が知りたいものと思ったが、残念ながらわかったのは以下の3選手だけだった。
●ニコラス・スウィッシャー・・・・(オハイオ州立大・一塁手)右翼手として2005年にレギュラーに定着。2008年に交換トレードでホワイトソックスに移籍。
●ジョー・ブラントン(投手)・・・・2005年から先発ローテーション入り。2008年はエースとして日本で行われた開幕戦レッドソックス戦に先発し松坂と投げ合ったが、6回途中3失点で降板。その後フィリーズにトレードされた。メジャー屈指のカーブが持ち味。
●ジェレミー・ブラウン(アラバマ大・捕手)・・・・2002年ドラフト指名された選手の中でただひとり2003年のメジャーチームの春季キャンプに参加。ただの地味な選手から、一躍あの『マネーボール』のチームが選んだとびきりの逸材と騒がれたが、メジャー定着はできず。4度メジャーに昇格したが、出場は2006年の5試合で、10打数3安打、2本の二塁打。2007年のオークランドのトリプルAチーム・サクラメント在籍を最後に引退した。

以下の選手たちは、ドラフトから6年たった今、どうしているだろうか?
 ジョン・マッカーディー(野手) 
 ベンジャミン・フリッツ(フレスノ州立大・投手)
 マーク・キーエン(フロリダ大・遊撃手)
 ジョン・ベイカー(野手)
 マーク・キーガー(野手)
 ブライアン・スタビスキー(野手)
 ブラント・コラマリーノ(ピッツバーグ大・一塁手)

 もし、彼らがすでに野球をやめていたとしても、それでビリー・ビーンの名が貶められるわけではない。
 なぜなら、ビリー・ビーンがゼネラル・マネジャーに就任した1997年から2007年度シーズンの終了時点までの10年間に、アスレチックスは901個の勝利をあげているからだ。901個という白星の数は、ヤンキースとレッドソックスに次ぐ勝利数であり、その間に5度のプレーオフ進出が含まれている。

 そして彼が野球界で実践したセイバーメトリクスという、野球においてデータを統計学的見地から客観的に分析し、選手の評価や戦略に応用するという手法は、現在、レッドソックスもヤンキースも、パドレス、インディアンズ、ブルージェイズにも採用されているのである。


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