奇乃堂

文書くとき、主語と述語を意識しよう?

 ライター以外で文章を見るとき、「んー?」と思うことが最近多くて、つまり愚痴? いやいや、心配なのだよ、うん。
 たとえば「これはペンです」なら書けるのだと思う。「これはペンで、青い色です」とか文が長くなると怪しいのが出てくるのかなぁ?
 書き出しと、締めを意識していない。
 伝聞と断定がごちゃ混ぜとかかなぁ。
 2文のねじれは可愛い方で、3文1文にして、最後の最後で全否定とか……どう直せばいいんだろうというのがあったり。
 器用すぎる。
 複数文を1つにするのはプロでも怪しいものだ。もう、作家の名前すら忘れたけど、その人の一冊読んだらすごく疲れたことがある。
 理由が「5行くらい1文」だったこと。句点で切らないで全部つながっているという……。 
 ある意味技術だよね……。
   ×   ×   ×
 さて、プロでなく一般的な文のこと。
 メールだって打つだろう……と言うと、今の若い子は1字とか絵文字と言われたら終わりだ。
 そうなると、文法を意識してきちんと伝わる文を書く練習が必要に成ってくると思う。
 さて、
<私が好きな食べ物は、チョコレートという食べ物です。>
 これはまあ、許容なのかなと思える。ただ、くどいのは事実だろう。

 次に、断定と伝聞の曖昧さが同居するもの。
<私が見たニュースは、近所で火災があったというニュースを見たことがある。>
 これはなぜ、「ニュースを見たことがある」と濁すのかということだ。
 たとえば、前にある文によって変わるだろうけれども、
<私は近所で火災があったとニュースを見た。>
<私が見たニュースは、近所で火災があったというものだ。>
 とシンプルに書けば意味は明瞭になるのに?
   ×   ×   ×
 書いている間にねじれてくるのだろうか?
 それならば、考えて、書かないとならないだろう。それは、本人が自覚するしかない。
 結局、伝えたいのならば、意味が通じる文を書く必要がある。
 ねじれる、主語と述語が分かりづらい、指示語がどれか分からないとかは困るのだ。
 むろん、私が書いている文も怪しいときがある。むしろ、私の場合は、主語と述語というものより、全体が「ふわっ」としていることが……。
 それでも私は1つの文は意味分かるだろうと書いているつもりだ。
 その「つもり」がくせ者だけどね。
   ×   ×   ×
 ちょっと愚痴?

今後ともよろしく~。

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