ここでは、日々
私のつれづれなる買い物や趣味などを
主に書き連ねていますが(家族に内緒で)
たまーに、息子くんの発達障害のことも
日記的に書かせてもらっています。
あくまでも記録なので、自分を振り返るために、
考えるために、考え直すために、未来のために・・・
そんな気持ちで記録しているつもりです。
先日、うちのダンナさんからのすすめもあり
購入しました栗原類くんの
「発達障害の僕でも輝ける場所をみつけられた理由」。
そして、一気に読みました。
そこに書かれていて一番共感できたのは類くんのお母さんの
育て方、生き方、愛し方、
のスタンスでしょうか。
息子に対しての向き合い方がとてもいい意味でクールで
それでいて、俯瞰で、大人で、そして愛が深いといいますか。
そうなんですよね、発達の子供を持つ親は
何が一番不安かといえば、
子供の将来なんですよね。
子供が大人になっても幸せでいられるか、
親がいなくなっても幸せでいられるか、
死ぬまで幸せであってもらいたい・・・
その一心です。
健常な子供ならそんなことを親が
手取り足取り考える必要もなく
自然と自立していくし、
受験とか、勉強とか、それなりに乗り越えていけるのでしょうが
親がある程度フォローしなくちゃ
生きる力がもてない、頼りにするのが親しかないというのが
正直、発達の息子くんの現状。
周りの発達のお子さんの親たちの想いは同じで
将来は仕事について、税金をちゃんと払えるようになってほしいと
希望を持っている。
あと、普通よりも成長に時間がかかるので
目に見える形で前進しているという実感も
親は持ちにくいので
本当に、毎日、一進一退の繰り返しで
子供に根気強く、向き合わねばならず、
とても力を注がねばならないことも事実です。
ただ、できないことだけに目を向けているのではなく
できることは褒めて伸ばしたい気持ちもたくさんありますが
放任しておくことは難しいなと私は思っています。
私自身、今思えば
算数障害だったなと色々と子供を通して勉強して
感じているわけですが、
小学生、中学生の頃は全く算数がわからなかったのは
そういう理由があったんだなぁと思ったりする最近。
でも、高校に上がったら急に数学が好きになって
通知表はつねに10(10段階中)だったりで不思議です。
子供の可能性って自分に置き換えても未知数だから
私は息子くんのことを諦めたくないって強く思っているんです。
できることをしたいとも強く思う理由です。
ここ最近は私が発達のことをいろいろと言いすぎて
ダンナさまとも夫婦喧嘩していまして。
ダンナさまも発達だし、義妹の欝がなかなか治らないのも
発達の二次障害なんじゃないかと
私が思っているのもあるのですが・・・そんなことで喧嘩です。
自分中心から考えが抜け出せない義妹の話も聞いていて、
やっぱり発達なのかな?と感じることが度々ありで・・・・
また、ダンナさんが最近は自分中心で病気前の性格や生活や体型に戻って
怠惰なようにも見え、また発する言葉もトゲトゲしていて
それに対して私が不満をぶつけても
本人も感じにくい発達なので話にならず・・・てな
へんなサイクルのここ最近です。
私はダンナさんが死ぬかもしれない病気になってから
ダンナがいついなくなっても大丈夫か?と問うのを続けています。
良く悪くも、そんな経験をしたからこそ、
いなくなっても誰にも迷惑をかけずに、依存せずに
生きていかなきゃと強く思うようにしています。
だからこそ、義妹の誰に対しても
相手の状況を思いやれず自分中心の考えで相手に依存する性格に
イライラが募るのかもしれません。
それは、私が死ぬことになってもダンナさんにとって同じです。
だから、それでも大丈夫なように生きてほしいと
強く願っています。
ブッダのお弟子さんのように
親や兄弟やダンナさんや子供がすべてこの世にいなくなってしまう人も
いるのであり、そんな究極な不幸はめったにないかもしれないけど
でも、そんなどん底の人がどんなふうに
生きていくのか・・・・自分も身を置き換えて考えてみるのも
時として必要かなと、今の自分が幸せであると
感謝しなきゃと思うために。
それが、未来のために、子供たちが輝けるために
何かできることにつながればいいなと思う今日でした。
私のつれづれなる買い物や趣味などを
主に書き連ねていますが(家族に内緒で)
たまーに、息子くんの発達障害のことも
日記的に書かせてもらっています。
あくまでも記録なので、自分を振り返るために、
考えるために、考え直すために、未来のために・・・
そんな気持ちで記録しているつもりです。
先日、うちのダンナさんからのすすめもあり
購入しました栗原類くんの
「発達障害の僕でも輝ける場所をみつけられた理由」。
そして、一気に読みました。
そこに書かれていて一番共感できたのは類くんのお母さんの
育て方、生き方、愛し方、
のスタンスでしょうか。
息子に対しての向き合い方がとてもいい意味でクールで
それでいて、俯瞰で、大人で、そして愛が深いといいますか。
そうなんですよね、発達の子供を持つ親は
何が一番不安かといえば、
子供の将来なんですよね。
子供が大人になっても幸せでいられるか、
親がいなくなっても幸せでいられるか、
死ぬまで幸せであってもらいたい・・・
その一心です。
健常な子供ならそんなことを親が
手取り足取り考える必要もなく
自然と自立していくし、
受験とか、勉強とか、それなりに乗り越えていけるのでしょうが
親がある程度フォローしなくちゃ
生きる力がもてない、頼りにするのが親しかないというのが
正直、発達の息子くんの現状。
周りの発達のお子さんの親たちの想いは同じで
将来は仕事について、税金をちゃんと払えるようになってほしいと
希望を持っている。
あと、普通よりも成長に時間がかかるので
目に見える形で前進しているという実感も
親は持ちにくいので
本当に、毎日、一進一退の繰り返しで
子供に根気強く、向き合わねばならず、
とても力を注がねばならないことも事実です。
ただ、できないことだけに目を向けているのではなく
できることは褒めて伸ばしたい気持ちもたくさんありますが
放任しておくことは難しいなと私は思っています。
私自身、今思えば
算数障害だったなと色々と子供を通して勉強して
感じているわけですが、
小学生、中学生の頃は全く算数がわからなかったのは
そういう理由があったんだなぁと思ったりする最近。
でも、高校に上がったら急に数学が好きになって
通知表はつねに10(10段階中)だったりで不思議です。
子供の可能性って自分に置き換えても未知数だから
私は息子くんのことを諦めたくないって強く思っているんです。
できることをしたいとも強く思う理由です。
ここ最近は私が発達のことをいろいろと言いすぎて
ダンナさまとも夫婦喧嘩していまして。
ダンナさまも発達だし、義妹の欝がなかなか治らないのも
発達の二次障害なんじゃないかと
私が思っているのもあるのですが・・・そんなことで喧嘩です。
自分中心から考えが抜け出せない義妹の話も聞いていて、
やっぱり発達なのかな?と感じることが度々ありで・・・・
また、ダンナさんが最近は自分中心で病気前の性格や生活や体型に戻って
怠惰なようにも見え、また発する言葉もトゲトゲしていて
それに対して私が不満をぶつけても
本人も感じにくい発達なので話にならず・・・てな
へんなサイクルのここ最近です。
私はダンナさんが死ぬかもしれない病気になってから
ダンナがいついなくなっても大丈夫か?と問うのを続けています。
良く悪くも、そんな経験をしたからこそ、
いなくなっても誰にも迷惑をかけずに、依存せずに
生きていかなきゃと強く思うようにしています。
だからこそ、義妹の誰に対しても
相手の状況を思いやれず自分中心の考えで相手に依存する性格に
イライラが募るのかもしれません。
それは、私が死ぬことになってもダンナさんにとって同じです。
だから、それでも大丈夫なように生きてほしいと
強く願っています。
ブッダのお弟子さんのように
親や兄弟やダンナさんや子供がすべてこの世にいなくなってしまう人も
いるのであり、そんな究極な不幸はめったにないかもしれないけど
でも、そんなどん底の人がどんなふうに
生きていくのか・・・・自分も身を置き換えて考えてみるのも
時として必要かなと、今の自分が幸せであると
感謝しなきゃと思うために。
それが、未来のために、子供たちが輝けるために
何かできることにつながればいいなと思う今日でした。