the strange of stranger

【8月の歌】 びしょ濡れの仔猫を抱くときふいに乳房のじわり張りゆく感覚 和良珠子

バッテン

2007-01-31 00:28:21 | Tea for two
人間は死ぬと除籍される。
また結婚しても親の戸籍を離れるため、除籍となる。
自分の名前がバッテンで消されているのは、あまり気分のいいものではない。
それまでの自分を全面否定されたような気がするのだ。

もともと戸籍のない人間がいると言うお話。
ひとつめは、「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」との民法の規定が
ネックとなって出生届が受理されず、結果的に『戸籍のない子』となった。
それも、どうやらひとりやふたりの話ではないらしいから驚く。
新しい命が産まれたという事実はどうなる。

ふたつめは、20年間戸籍を持たずに育った埼玉の男性。
幼児の下着を脱がせて盗んだ、という疑いで逮捕された際に、無戸籍であることが判明したとのこと。
無戸籍ゆえに義務教育すら受けていなかった。

なにゆえ戸籍に記載されていないか。
答え。親が出生届を提出していなかったから。
なにゆえ親が出生届を出さなかったか。
答え。教育費を払えなかったから。

絶対、嘘。
単なる親の怠慢でしかない。
産んだことも罪、何食わぬ顔をして20年間育てたことも罪。
この親こそ断罪されるべき。

生まれた瞬間に、その額にぽんと押されたバッテン。
思わず、自分の額を手のひらで探ってしまった。
うん、大丈夫。
たぶん。

パセリ、セージ、ローズマリー&タイム

2007-01-29 00:51:17 | Tea for two
いま中二と中一の娘たちのマイブームは、サイモン&ガーファンクルである。
『明日に架ける橋』を音楽の時間に習っているらしく、ふたりで不確かな音程ながら歌っている。
70年代に作られた歌であるから約40年を経過しているわけで、しかも授業では英語で斉唱するらしい。
どう考えてもいまの中学生たちの食いつきがよい歌とは思えないが、うっとりと彼女たちは言う。
「ほんっま、ええ歌やな~」
本当のものは時代を超えて認められる。ファンとしては舞い上がるくらいに嬉しい。
だが、その次に谷底に落とされる。
「男子は、とんびの歌がいいって言ってたわ!」
・・・それはあなた、『コンドルは飛んでいく』ではっ!?

懐かしくなり、昔のCDを引っ張り出して聞きなおす。
美しいメロディラインとともに、封印されていたいろんなことを思い出した。

初めてS&Gの存在を知ったのは中学3年の夏。
体調を崩してしばらく学校を休んでいたそんな夜、映画「卒業」のLPを大事そうに
抱えて見舞いに来てくれた男子がいた。
突然の訪問には驚いたが、とりあえず意味もわからず受け取った。
当時は、ばかでかいステレオが居間にでんと置かれてある裕福な家庭もあったが、
当然うちにはなく、また、聞けないと言うことも言い出せずで、せっかくのLPも何日か手元に置いた後、そのまま返してしまった。
ただ、そのアルバムの表紙の写真は鮮明に思い出せる。
そのLPを受け取るとき、微かに触れた手の温もりと同じくらいに。

初めてS&Gの歌を聴いたのは、さらに半年が過ぎて高校受験の頃。
深夜ラジオから流れてきた『スカボロフェア』だった。
パセリやセージ、ローズマリー、タイムなど、いまは香辛料として知られているが、
その頃はハーブなどという言葉もなくて、ただ何かの呪文のように聴いていた。
実は麻薬である、というホントか嘘かわからない話もあった。

唐突に、フラッシュバックのように一枚のメモが蘇る。
そのメモをくれたのは、何度目かの初恋の相手(恋するときは、いつも初恋なのだった)であり、そこには「Let us be lovers」と書かれてあった。
「意味わかる?」と聞かれたけれど、まだ習ってない単語(lovers)だったし、
勘の悪い私はさっぱり読めなくて「わからん」とそっけなく答えた。
どこか試されているような気がして、思いのほか剣のある言い方になってしまった。
彼は、気を殺がれたように「ああ、ちょっと聞いただけ。深い意味はないから」と
もっと訳がわからない返事をして去って行った。
中二の冬だった。
ちょうど、娘と同じ歳だ。今の彼女たちと比べても幼い感じがする。

その後、大人になってから、S&Gの『アメリカ』という曲の歌詞に「Let us be lovers」という言葉を見つけ、思わず唸ってしまった。
(恋人になろうよ)
そういう意味だったのか。
知らぬこととはいえ、プロポーズを断ってしまったのかもしれない。(いや違うやろ)

おばちゃんはつらいよ

2007-01-23 21:53:33 | Tea for two
100番100番でおなじみの「○ス○ン」に勤めている。(伏せ字にする必要あるのか?)
パートタイマーだが、月~金曜の朝8時30分~5時までびっちりと看板車に乗ってあちこち走り回る毎日。
そりゃいいこともいやなこともあるさっ!
にんげんだもの。

今日も、とあるファーストフード店のマット交換に行った。
二週間のサイクルなので、店の人とも結構仲良くなったりする。
「おっはようございまーーす!○ス○ンでーす」と、大きな声で挨拶しながら
いつものように厨房のドアを開けると、見知らぬ男性が戸惑ったような顔をして立っていた。
どうやら西も東もわからない新人らしい。(動揺が顔に出てたし)
「あ、いつもどーもー」と挨拶し、立ちんぼうの彼に構わずにずかずかと中に入っていって慣れた作業をしていると、古株の店員がさきほどの新人クンを諭すような声が聞こえてきた。
「あのおばちゃんが来たら、ドアを開けたってな」

「あのおばちゃん」が私のことを指していると気づくのに数秒かかった。

・・・なに、それっ!?
こともあろうに新人を教育するような人物が、たとえ相手が業者の者だとは言えども、他人を「おばちゃん」呼ばわりーーっ!!??
しかも「あの」付けっ?
頭の先からじわりと、毛が逆立ってくるような感じがした。

・・・おいおいベイベー、それはないぜよ。
確かにあんたらから見たら完全におばちゃんやし、それを否定するほど厚顔無恥ではないけど、まだ当の本人がすぐ近くにおるでしょ。
聞き耳立てんでも聞こえる位置におったんやで。
聞きたくないけど聞いてしもたんやで。
いったん口から出た言葉は取り返しつかんのやで。
今日は業者でも、明日は大事なお客様になるんやで!?

トータルして・・・。
あんたに「あのおばちゃん」呼ばわりされる筋合いは、これっぽっちもねえ!!

という、出掛かった罵声を口先で噛み締めて、いつもよりバカ丁寧に作業して、いつもより慇懃無礼に挨拶して、いつもより大きな音を立ててドアを閉めた。

そんなおばちゃんのちっぽけな反抗など永遠に気づかないで、今日も明日も明後日も、「いらっしゃいませ。今日は何になさいますか」などと、エセ笑顔を振りまいているかと思えば、腹が立つというよりもなんか笑えてきたよ。
修行させてくれてどうもありがとう。ミ○ター○ー○ツさん。

メガマクドはアメリカの良心

2007-01-20 22:49:45 | Tea for two
・・・マクドナルド。
文字にしただけで、あの味が、あの食感が即座に舌先に浮かんでくる。
数あるファーストフードの中で、大味でたいしておいしくないのにもかかわらず、その地位は安泰かつ絶対である。
誤解を恐れずに言うならば、「日清のチキンラーメン」くらい絶対なのだ。

高校の頃、京橋ダイエーの2階に「ドムドムバーガー」があり、部活の試合の帰りには必ず寄った。
まだモスバーガーのない当時、マクドのハンバーガーは高級品だった。
マクドよりも、ドムドムの方が断然安い。
ハンバーガーで50円くらい違っていたので、味にうるさくない高校生たちはドムドムで十分満足していた。
ハンバーガー→コーラ→ポテト→笑い→ソフトクリーム→ハンバーガー→怒り→コーラ→(以下略)・・・。
財布が空になり、胃袋がはじけそうになった頃、やっと重い腰を上げるのである。
若いって怖いね。

マクド=アメリカ=「大きいことはいいことだ」
・・・という公式が私の頭の中にある。
その公式を再認識させられた新ハンバーガーがこのたび発売された。
その名も「メガマック」!
その昔、「ビッグマック」を丸齧りしようとして顎がはずれた友人がいるが、
これはさらにその上を行くボリューム。
友人の安否が心配だ。

「ビッグマック」がバンズ3枚、肉2枚のサンドイッチであれば、
「メガマック」はバンズ3枚、肉4枚の超豪華版となっている。
単品で350円ならかなり安い。
若い頃に戻って、一度挑戦してみようと思っている。
ただし、顎の補強をしてからだが。


【おまけ】↓↓こんなページがっ!
ヨッタマック

6434人の13回忌

2007-01-17 23:52:00 | Tea for two
今日のメディアはどこもかしこも「阪神大震災」の話題だった。
6434人もの命の火が泡のように消えた日から、もう12年が経つ。

あの朝はちょうどゴミ出しの日で、朝寝坊の私にしては珍しくその時間に起きていた。
ゴミを出し終えて寝室に戻り、妊娠6ヶ月の半端な時期でもあったので、さあ二度寝だと横になった途端、グラグラッと大きな揺れが来た。
同時にガラス窓ががたがたと大きく鳴り、電球の紐が弧を描くように揺れ始めて、
やっと「地震だ!」と気が付いた。
隣に寝ている2歳と1歳のこどもはまったく起きる気配がない。
反対側のダンナは・・・と見ると、こちらも呑気にすやすやと眠っている。
揺れはなかなか収まらない。立つこともできない。
窓のガラスが割れないか、そればっかり心配だった。
ようやく安眠中のダンナを突っついて起こし、小声で「地震やで」と言った。
「かなり大きいな」
・・・起きてたんかいっ!(怒)

揺れていた時間は、おそらく30秒ほどのことだと思う。
その間、布団の中で瞬きもせず硬直していた。
憑き物が落ちたように揺れは静まり始め、家内を点検したが、特になにも壊れておらず、もう大丈夫だとふたりとも安心してうとうとし始めてすぐ、枕元の電話が鳴った。
東京の親戚からだった。
「そっち地震あったでしょ!だいじょうぶっ!?」と悲愴な声が受話器から聞こえた。
「・・・地震?ああ、こっちは別になにも。ちょっと揺れたけど」
「ちょっと揺れたどころのニュースじゃないよ!!」
その困惑した電話を置いてから、初めてTVを付けた。

「・・・の模様です」
アナウンサーの切迫感の感じられない口調が却って不気味だ。
「・・・繰り返します。さきほど神戸付近で大きな地震がありました」
震源地は神戸なんだ。急いで、チャンネルをサンTVに変える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無音・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんだこれは。
人の気配がまったくない。カメラは動かない。
ただ戸外の(神戸だろう)光景を映しているが、どこに焦点を合わせる訳でもなく、
しかも音声がない。
そんな映像がひたすら流れているだけ。
死んだ魚の目が映し出す世界のようだ、と思った。

その後はニュースに釘付けであった。
初めは一桁だった犠牲者の数が、30分おきに倍々になっていく。
もう眠れなかった。

それからもう12年。早いのか遅いのか。
亡くなられた方のご冥福を祈りたい。




年賀状を交わすだけの間柄の、大震災以降、連絡が取れていない神戸の友人がひとりいる。
確認しようと思えばできるのだろうが、事実を知るのが怖くていまだに触れられない。