6月8日(日)那智勝浦漁港近くの鮮魚店で、友人夫妻と昼食を終えた私達は、那智大社へむかった。
那智漁港からは、愛車エステイマで20分ほどの距離であった。
私は、過去数回、この地を訪れているが、いつ来ても心に残り、落ち着きを感じてくる。
那智山一帯に神々が宿っているのだろうか!
いつもここを訪れると、不思議な感覚が湧いてくる。
那智山は平安末期から鎌倉時代、現世信仰を求めて多くの参拝者が訪れた、熊野信仰の聖地である。
また、2004年には那智原生林、那智の滝、熊野那智大社、那智山青岸渡寺(なちせいがんとじ)、大門坂、補陀洛山寺(ふだらさんじ)が世界遺産となっている。
朱塗りの三重の塔と那智の滝 那智山第一の撮影ポイント
那智の滝は落差が133m、毎秒1トンもの水量がある日本最大の滝である。
日本の滝百選や名水百選にも選定されている。
この滝は神武天皇が神として祀り、役行者の滝行以来は修験道場であった。
現在では那智大社の別宮・飛龍神社のご神体をお祀りしている。
毎年7月14日の火祭りは、滝と参道を舞台にした勇壮な火の祭典が行なわれる。
平安衣装をまとい、滝の飛龍神社の参拝に向かわれる女性
滝に向かう参道で、平安衣装をまとった愛らしい女性に出会った。
「写真を撮らしてほしい」とお願いしたところ、気軽に応じてくれた。
やはり那智の滝には、古式豊かで、きらびやかな平安衣装が良くにあう。
女性にとっても、自分自身が輝いた、ロマンスにあふれたような、気持ちにしてくれているように感じる。
鎌倉や平安時代の当時、幾十日かかけて熊野古道を通り、ここに参拝に訪れた人たちは、一旦、宿舎に入り、汗を流し、身を清めた後、このような服装に着替えて、御参りしていたらしいことが想像できる。
熊野信仰は天皇や貴族だけでなく、一般民衆の間でも、熊野は「日本第一の霊験所」として考えられ、「蟻の熊野詣」ということわざを生み出すほど盛んであった。
一般民衆は、どのような衣装であっただろうか!
私には分からないが、現代の私どもが、元旦の初詣に出かける時にような盛装を、していたいたのだろうか! 興味が湧いてくる。
いずれにしても、このような女性の衣装や着物などが、日本の文化や伝統に関わる大切さを、あらためて感じさしてくれている。
滝近くの参拝所と那智大社に向かう石畳の古道
長く続いている石段の参道と那智大社
熊野那智大社 熊野本宮大社と速玉大社と並ぶ熊野三山の一社
那智大社拝殿左側の宝物殿前拝所
熊野那智大社は、本宮大社、速玉大社と並ぶ熊野三山の一社である。
長い石段を昇り、鳥居をくぐると那智大社の境内に出る。
ここからの景色もすばらしい、新緑につつまれた山々の景観が望める。
さらに進むと鮮やかな朱塗りの拝殿や、宝物殿などの周りの建物が、自然と一体となって、大社全体の調和をとりながら、見事に構成されている。
本殿で参拝をすました後、朱色の門をくぐると、西国三十三観音霊場の第一番札所「那智山青岸渡寺」境内に出る。
本堂は豊臣秀吉によって、再建されたとされる、南紀最古の建造物である。
元は那智大社と、一体の一大霊場だったとされている。
ここの境内からは、朱塗りで美しい三重の塔と滝との、ツーショットシーンがみられる。
コノシーンは観光案内誌などで、よく紹介されるところである。
私も、ご覧のような写真と、ほかに何枚か撮ることができた。
ここからの景観は、いかにも日本的である。
山々のダイナミックな形状や、樹木の自然の美しさに、朱色の三重の塔と滝のコントラストの景観は、見事というほかに、言葉が見つからないほどである。
いつまでたっても、あきることなく見つめていたい、日本的な景観である。
那智大社からの青岸渡寺
西国三十三観音霊場第一番札所 那智青岸渡寺
青岸渡寺境内から 三重の塔と那智の滝
紫陽花の花と三重の塔 ツツジの花と三重塔、後方の那智の滝
那智漁港からは、愛車エステイマで20分ほどの距離であった。
私は、過去数回、この地を訪れているが、いつ来ても心に残り、落ち着きを感じてくる。
那智山一帯に神々が宿っているのだろうか!
いつもここを訪れると、不思議な感覚が湧いてくる。
那智山は平安末期から鎌倉時代、現世信仰を求めて多くの参拝者が訪れた、熊野信仰の聖地である。
また、2004年には那智原生林、那智の滝、熊野那智大社、那智山青岸渡寺(なちせいがんとじ)、大門坂、補陀洛山寺(ふだらさんじ)が世界遺産となっている。
朱塗りの三重の塔と那智の滝 那智山第一の撮影ポイント
那智の滝は落差が133m、毎秒1トンもの水量がある日本最大の滝である。
日本の滝百選や名水百選にも選定されている。
この滝は神武天皇が神として祀り、役行者の滝行以来は修験道場であった。
現在では那智大社の別宮・飛龍神社のご神体をお祀りしている。
毎年7月14日の火祭りは、滝と参道を舞台にした勇壮な火の祭典が行なわれる。
平安衣装をまとい、滝の飛龍神社の参拝に向かわれる女性
滝に向かう参道で、平安衣装をまとった愛らしい女性に出会った。
「写真を撮らしてほしい」とお願いしたところ、気軽に応じてくれた。
やはり那智の滝には、古式豊かで、きらびやかな平安衣装が良くにあう。
女性にとっても、自分自身が輝いた、ロマンスにあふれたような、気持ちにしてくれているように感じる。
鎌倉や平安時代の当時、幾十日かかけて熊野古道を通り、ここに参拝に訪れた人たちは、一旦、宿舎に入り、汗を流し、身を清めた後、このような服装に着替えて、御参りしていたらしいことが想像できる。
熊野信仰は天皇や貴族だけでなく、一般民衆の間でも、熊野は「日本第一の霊験所」として考えられ、「蟻の熊野詣」ということわざを生み出すほど盛んであった。
一般民衆は、どのような衣装であっただろうか!
私には分からないが、現代の私どもが、元旦の初詣に出かける時にような盛装を、していたいたのだろうか! 興味が湧いてくる。
いずれにしても、このような女性の衣装や着物などが、日本の文化や伝統に関わる大切さを、あらためて感じさしてくれている。
滝近くの参拝所と那智大社に向かう石畳の古道
長く続いている石段の参道と那智大社
熊野那智大社 熊野本宮大社と速玉大社と並ぶ熊野三山の一社
那智大社拝殿左側の宝物殿前拝所
熊野那智大社は、本宮大社、速玉大社と並ぶ熊野三山の一社である。
長い石段を昇り、鳥居をくぐると那智大社の境内に出る。
ここからの景色もすばらしい、新緑につつまれた山々の景観が望める。
さらに進むと鮮やかな朱塗りの拝殿や、宝物殿などの周りの建物が、自然と一体となって、大社全体の調和をとりながら、見事に構成されている。
本殿で参拝をすました後、朱色の門をくぐると、西国三十三観音霊場の第一番札所「那智山青岸渡寺」境内に出る。
本堂は豊臣秀吉によって、再建されたとされる、南紀最古の建造物である。
元は那智大社と、一体の一大霊場だったとされている。
ここの境内からは、朱塗りで美しい三重の塔と滝との、ツーショットシーンがみられる。
コノシーンは観光案内誌などで、よく紹介されるところである。
私も、ご覧のような写真と、ほかに何枚か撮ることができた。
ここからの景観は、いかにも日本的である。
山々のダイナミックな形状や、樹木の自然の美しさに、朱色の三重の塔と滝のコントラストの景観は、見事というほかに、言葉が見つからないほどである。
いつまでたっても、あきることなく見つめていたい、日本的な景観である。
那智大社からの青岸渡寺
西国三十三観音霊場第一番札所 那智青岸渡寺
青岸渡寺境内から 三重の塔と那智の滝
紫陽花の花と三重の塔 ツツジの花と三重塔、後方の那智の滝