【岡山・倉敷市】室町時代末期、現観龍寺の地に倉敷村の鎮守として妙見宮(現在の阿智神社)が祀られ、安土桃山時代の文禄三年(1594)に現在地(鶴形山の山頂)に遷座した。 慶長~元和(1596~1624)の頃から、当地の有力者・木綿襷組により交代で祭祀が行われ、江戸時代の寛永元年(1624)、観龍寺が妙見宮の別当となった。 神仏混淆にて明治に至ったが、明治維新の神仏判然令により妙見宮が分離され、社号が阿智神社に改称された。
鶴形山の南麓は門前町さらに港町として栄え、江戸時代には倉敷代官所が置かれたため陣屋町としても賑わい、多くの商家が建ち並んだ。 そのため裕福な氏子が増え、旧倉敷村の総鎮守として市内でも有数の大社に発展して現在に至る。
古代庭園から時計回りで本殿後方に鎮座する境内社をめぐる。 荒神社、戎大黒火産霊社、城山稲荷社、菅原神社、祖神天照皇大神社そして約3,400名の英霊を祀る護国神社を参拝。 護国神社から、なまこ壁のある3棟の白壁の神庫や珍しい造りの屋根の社務所を横目に、社殿を向いて建つ能舞台に。 能舞台は神楽殿なのだが本格的な能舞台の造りで、正面奥の鏡板に1本の大きな老松、切り戸口の側面の鏡板には竹が描かれている。
能舞台から倉敷の街が一望できる絵馬殿に。 絵馬殿は延宝二年(1682)に拝殿が新築された際に移築された旧拝殿だが、旧拝殿の面影は全くなく、見晴らしのいい懸造りの展望台だ。 絵馬殿に入り天井を見上げると、鮮やかな彩色を施した干支恵方盤が目を引く。 絵馬殿傍の石造基壇の上に、「高燈籠」と呼ばれる高さ約5メートルの燈籠が立つ。 露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の笠で、四方が格子の火袋の下は珍しい羽目板袴腰になっていて趣がある。
△祈祷殿の向かいに南面で鎮座する荒神社
△石造り明神鳥居と狛犬を構え、玉垣に囲まれた荒神社....周囲に擬宝珠高欄付き切目縁
△荒神社の狛犬は江戸末期天保十一年(1839)の造立
△流造銅板葺の荒神社....祭神は素戔嗚尊など4柱を祀る
△大棟に外削ぎの千木と2本の堅魚木が乗る荒神社....石燈籠は文化六年(1809)の造立
△荒神社の右手の基壇上に鎮座する切妻造銅板葺の戎大黒火産霊社....祭神は大国主命、事代主命そして火神竈神である火産霊神を祀る
△切妻造銅板葺の覆屋に鎮座する城山稲荷と石造り明神鳥居を構えた菅原神社
△流造檜皮葺の城山稲荷....食物を司る倉稲魂命を祀る/流造檜皮葺の城山稲荷....食物を司る倉稲魂命を祀る
△東方遥拝所....日本の国の象徴である太陽並びに伊勢神宮、皇居を遥拝する
△祖神天照皇大神....注連縄を巻かれた盤座は天照皇大神の信仰対象
△石造り明神鳥居を構えた護国神社
△護国神社には国を護るために戦死された倉敷地区3216名の霊魂を祀る/切妻造銅板葺の護国神社....大棟に内削ぎの千木と6本の堅魚木が乗る
△境内の東側に建ち並ぶ3棟の神庫....いずれも切妻造本瓦葺で、なまこ壁を設けた白壁
△入母屋造風の銅板葺の社務所
△拝殿の向かい側で、随神門と社務所の間に建つ入母屋造本瓦葺の能舞台(神楽殿)....屋根に千鳥破風を乗せている
△能舞台の後方の鏡板に大きい1本の老松、切り戸口側の鏡板に竹が描かれている....舞台右手に桟瓦庇で手摺りを設けた地謡座がある
△随身門から眺めた能舞台、奥に3棟の白壁の神庫が見える
△随身門から眺めた絵馬殿....手前に百度石が立つ
△入母屋造本瓦葺の絵馬殿....延宝二年(1682)に拝殿を新築した際、旧拝殿を移築して絵馬殿とした建物
△絵馬殿から倉敷の街を一望できる/絵馬殿の天井に設けられた彩色を施した干支恵方盤
△絵馬殿からは倉敷の街が一望できる....絵馬殿と羽目板腰袴の高燈籠の間に小さな祠が鎮座
△露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺笠の高燈籠....高さ約5メートルで、かつては倉敷川の中橋辺りにあったとの説あり/陶器製の祠とみられる金刀比羅宮遥拝所
△西参道から見上げた懸造りの絵馬殿