何気ない風景とひとり言

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三浦義村の墓 (三浦)

2017年01月24日 | 史跡探訪-日本編

【神奈川県・三浦市】三浦義村は鎌倉時代初期の武将で、三浦一族六代目の当主。 平安時代の武将で三浦郡の豪族だった三浦義明の孫。 平安末期から戦国動乱の世までの450年にわたって関東に勢威をふるった三浦一族の中で最も隆盛を極めて人物で、父義澄とともに平氏追討に武功をあげ、北条氏とともに鎌倉幕府を二分して活躍した武将。 延応元年(1239)12月5日に没し、菩提寺である福寿寺の近くに葬られた。

三浦義村の墓は、義村が信仰した地蔵像を本尊とした福寿寺の塔頭南向院の跡地にあり、金田湾に面した崖の上の木立の中にひっそりと立っている。
義村の墓は二基ある。 「義村公旧墓所」の基壇上に大きくて歪な形の2個の石を積み上げたものと、少し奥の瓦をふんだんに使った瓦塀に囲まれた近年建立のものだ。 南向院には義村の堂々たる五輪塔が立っていたが、大正十二年(1923)の関東大震災で南向院が崩壊し、義村の五輪塔も壊れて崖下の海中に落ちた。 海中から五輪塔の一部が引き上げられ、元の所に組み上げられたのが「義村公旧墓所」の墓石だ。 大正時代に有志によって建立された墓の前には、火袋を失い中台を逆さに重ねた2基の石燈籠が墓を守るように佇んでいる。
 
三浦義村公の墓への石段     八坂神社の神明鳥居の傍に三浦義村公の墓がある
 
「義村公旧墓所」に積まれた五輪塔の残石..大正十二年(1923)の関東大震災で崖下の海中に落ちた後、引き上げられた石を積み上げたもの

近年建立の三浦義村公の墓..瓦塀に囲まれた墓石、三浦氏の家紋がある
 
義村公の墓の前に佇む2基の石燈籠..火袋を失い、中台を逆さに重ねたもの
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