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徒然なるままに その44

さて、降魔って言ったって、何が悪魔か?

四魔(4つの悪魔)です。



でも、その本当の悪魔っていうのは、
当時 最も隆盛だった宗教、権威主義・祭祀主義の権化、バラモン教だ
っている学説を唱える学者さんも たくさんいます。

ある意味 そうかもしれませんが、
でも ブッダはバラモン教批判で 自分の教線を広げようなんて
ちっとも思ってなかったと思います。



ブッダの思いは、はっぱり四魔降伏、
自分の中の煩悩 全部 とっちゃって、さあ すっきり悟ろうよ
って事だったと思います。

つまり、「みんな幸せになろうよ」って事です。






そんな中で、
『四分律』や 『因果経』では、
天女や美女が ブッダを誘惑したり、

『仏本行集経』では、
提婆達多が ブッダの元妻ヤショーダラを誘惑したという嘘の手紙で
ブッダの心を乱そうとしたり、

女性に関わる悪魔を登場させている事は、
個人的にですが、面白いと思います。

(なぜかは言いません。)



いつの時代も 男ってのは・・・ って事ですけど、
ここでは それ以上は言いません。



この辺の事、大蔵社の『天台宗実践叢書』第7巻 年中行事「成道会」
の項に まとめて書いといたんで、
興味のある方は 読んでみて下さい。






今日は、ここまで!


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徒然なるままに その43

ところで、釈迦四相って知ってますよねぇ?

お釈迦様の生涯の四つのターニングポイント、

知らなかったら覚えときましょう、

生誕・降魔成道・初転法輪・涅槃、です。

(資料に書いておきます、後日 ご確認下さい。)

八相成道は もうちょっと細かくなります。






ブッダが菩提樹の下で体験したのは 降魔成道、
つまり、降魔(悪魔の析伏)と 成道(悟りを開く)の2つです。






ハイ、注目です!

天台宗の教えで 一番大切な事は何ですか?



天台宗勧学出仕・前妙法院門跡門主・元大正大学学長 大久保良順先生からの口伝です。

それは「懺悔と発菩提心」です。



私から 今日お集まりの皆さんに 口伝・伝授しちゃいました。

天台宗の教えで 一番大事な事は「懺悔と発菩提心」です。

伝法志納金は要りませんから、安心して下さい。






似てませんか? 

降魔(悪魔をやっつけて)、成道(悟りを開く)

それと、

懺悔(徹底的に反省して)、発心(よっしゃ、頑張るぞーってなる)


天台宗、スゴイ!」と思います。






今日は、ここまで!


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徒然なるままに その42

ここで、また余計な話ですが、
天空の最高神 梵天さんは、
仏教が始まる時の大恩人だったわけですが、

地上の最高神 帝釈天は 何やってたのって話。



阿修羅さんの娘さんのお尻を追いかけて、
とうとう さらって来ちゃって、

取り返しに来た義理の父親とも言える阿修羅さんを
逆にやっつけちゃったりして、

梵天さんに比べたら 
次元の低い事だけやってたのか?

そうじゃありません!

帝釈天さんも、ブッダの命の恩人なんですよ、実は。






だれもやったことない、
極めて悲惨 と言ってもいいほどの苦行(断食だったようですが)、

それを放棄したブッダは、尼連禅河で沐浴したわけですが、

体力をとことん使い果たした私のヒーローは、
川の流れに足を取られ、流されてしまった。

溺れてしまう寸前、目の前にニグローダ という木の枝が
スッと差し出された。

ブッダは危うくその枝につかまって 溺れずに済んだ。

枝を差し出したのが 帝釈天だったというわけです。



実際に そんなことがあったのかもしれない。

帝釈天に名を借りた誰かが、ブッダの命を救ったんです。






今日は、ここまで!


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徒然なるままに その41

そして、悟った後、
ブッダは ただただ法悦、真実の喜びの中で、
菩提樹の下に座り続けた。

こんな素晴らしい境地はない。

 最高だ。

 この気分のまま ずっといたい。

 もう 死んでもいい
」、

否、死さえも、その時のブッダは考えていなかったかもしれません。

そして、そのままであれば、
ブッダは確実に 人知れず 涅槃の境地に浸ったまま
死んでしまっていたと思います。



それを思いとどまらせたのは、梵天さん。



天空の最高神 梵天がやって来て、

おい、お釈迦さん、

 なんでひとりで そんなにいい気持になってんのさぁ。

 
 そんないい気持になるには どうしたらいいか、

 俺たちにも教えてよ!


って話しかけた。



黙っててよ、僕はとってもいい気分なんだから、そっとしといてよ

とブッダ。


そんな事 言わないでさぁ

梵天さん。


教えろったって、この気分は最高すぎて うまく伝えらんないし、

 難しすぎて みんなには理解できないと思うよ



一生懸命勉強するから、お願いだよ、教えてよ


しょうがないなぁ。 

 じゃあ、一生懸命 教えるから、みんな 絶対

 僕と同じ いい気分になってよね、

 悟りを開いてよね、

 幸せになってよね


とブッダ。




三止三請」の場面の、私の妄想です。






いずれにせよ、誰かが 梵天さんに名を借りて、
ブッダに伝道の旅を促したわけで、

そうでなければ 仏教はこの世に存在しなかった。

それに、法悦の中のブッダをこの世に引き戻したその人は、
ブッダの命の恩人だったとも言えると思います。

ありがとう、名無しの梵天さん」です。






今日は、ここまで!


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徒然なるままに その40

さてさて、いよいよ ブッダの教えについての
私の考えるところを チラッとお話させていただきましょう。

まず、
ブッダは最初、自分以外の 他の人の事なんて
考えていなかった。

みんなのために悟って、みんなのために教えを説いたんじゃない


って事です。






ブッダ若き日の逸話。

農耕祭の日、
地中の虫が小鳥にとらえられ、
その小鳥を、
鷹だか鷲だか、猛禽が捕らえて飛び去った。

人々は その劇的シーンに歓声を上げたけれど、

ブッダだけは 
静かにその場を立ち去り、
人のいない場所を探して、
木の下に座って、

自然界の弱肉強食のことわりについて 瞑想した。



仕方ない事だけれど、悲しい事でもある。

何故か?

何とかならないものか?



有名な ブッダ初めての座禅の場面です。

座禅の最初は「無念無想」なんかじゃ ないんです。

頭ン中、ぐちゃぐちゃです。






もっと有名な四門出游
老・病・死 を見ての苦悩もそうでしょう。


ブッダは 自分自身が悩んだ、世の中の無常を、

自分自身の心で理解し、解決しようとして 出家し、

支障を求めて学び、苦行し、それを捨て、

やがて悟りを開いたんです。

つまり、自分のための出家であり、

自分だけの開悟(さとり)だったんです。







今日は、ここまで!


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