旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

子連れでデモにいくことに対する私の考え

2015年07月20日 00時50分32秒 | 社会と政治のこと
最初デモには二人の子どもを連れて行こうと思っていた。
「デモにいくから子どもみといて」とダンナ氏に言いづらかったのもある。
「タイにいくから1週間よろしく」とは平気で言えるのにおかしなもんだ。

今まで子連れでデモに行ったり、子どもにプラカードもたせたりしている親に疑問を感じていた。
「それは誰の意思なん?親の価値観を押し付けるなよ」と斜めに見ていた。
それに子連れってなんかズルいよな、とも思っていたのだ。子どもの手をひきながら「子どもを守れ!」
って傲慢だよな、とか。

結局、福だけを連れていった。(星は手足口病にかかった)
「歩くおまつりにいくからね」と説明した。この説明正しいような、正しくないような。
正直、ごまかしたなワタシ。それは否めない。
連れて行った理由はちゃんとある。デモに子どもが参加できるなんて、それこそ平和の証しだと思ったからだ。
今、辺野古に子どもたちを連れていけるか?と尋ねられると残念ながら私の答えはノーだ。状況が厳しすぎる。
いつ人がケガするか分からない。暴力がはびこっているのが事実だった。(もちろん市民は非暴力)
だけど今回のデモは「いける!」と判断した。人々に悲壮感はなかったし、むしろお互いの背中をバンバン
たたきあって「やっぱあきまへんわ。な、そう思ってましたよね」と共感したい気持ちがあふれていた。

福が納得できるように説明したわけではない。ただ、もし福が目にして怖いものや、怖い音や、人々の
悪意に負けそうになったら、すぐに退散しようと思っていた。
そしてできるだけ私が楽しそうに歩こうと思った。言葉よりもそれが一番伝わるのではないかと思ったからだ。
「楽しく、怒る」なかなか高度な技を私は今日一日で習得できたのかも知れない。

「なんで?」「なにしてるの?」と聞かれた時には精一杯言葉を尽くして福に説明しようと思う。
でも今はこれでよいのではないかと思う。これが私の考えだ。

帰りに福のリクエストでお寿司を食べた。イクラを4つも食べて大満足。そのあと普段は買ってもらえない
ジュースを二人でがぶ飲み。電車の中でしりとりをしながら手をつないで帰ってきた。

これからも私の価値観を押し付けてはならないと肝に銘じながら、それでも私の生き方がおのずと
彼らの人生に大きな影響を与えるだろう。子どもたちよ。かあちゃんの背中をしっかりみておきなさい。
かーなーりー猫背やけど、母ちゃんはきみたちに胸の張れることしかしない。それだけは約束する。

子連れでデモ。
一人でデモ。
みんなでデモ。
デモしない。

そこに「意志」が宿っているならどれも素晴らしいと今は思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿