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修業の時計を止めない教師でありたいです。

「報道の日」を視聴して知った教え子のドラマ

2011-12-26 23:19:15 | 教師修業
 TBS系「報道の日2011」を視聴していた。東日本大震災の特集である。
 七ヶ浜町でのドラマが紹介されていた。

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 宮城県七ヶ浜町に住むSさん一家の初めての子どものMちゃんは,避難生活で命を落としかけた。
 七ヶ浜町は,東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた。

 妻・Mさんの実家は,津波で全壊してしまった。
 Mちゃんのことを考え,暖房を効かせられる車で過ごした。
 母乳さえあれば生きていけると思っていた。

 そう思っていた矢先に,生後2カ月のMちゃんに異変が起き,すぐに七ヶ浜町母子健康センターへと駆け込んだ。
 Mちゃんは母乳をのどに詰まらせていて,センターのスタッフによって一命を取り留めた。

 翌日,Mさんはストレスのせいか母乳が出なくなり,Sさん一家は避難所の七ヶ浜国際村に入ることにした。
 しかし,Mちゃんは粉ミルクを飲まず,母乳しか受け付けない。
 母乳を飲めないまま数日が過ぎ,Mちゃんに危機が迫っていた。

 そのとき,Sさん夫妻は見知らぬ女性がMちゃんに母乳をあげているのを目にした。
 母乳をあげていたのは見ず知らずの人で,避難所にいた人でもなかった。
 Mちゃんを助けたいという,見知らぬ人たちの命のリレーによって,情報はその女性へと伝わった。

 女性は避難所のあった七ケ浜町に住んでおり,同じく赤ちゃんを抱えた母親だった。

 赤ちゃんの情報は,ラジオを通して拡散した。
 同じ避難所にいた別の女性が,ホームセンターにたまたま止まっていた東北放送のアナウンサーにラジオで伝えて欲しいとお願いしたのである。
 その情報をつかんだ別の女性が,いとこである女性に伝え,母乳を届けたのだという。

 情報を伝えるラジオでは「ミルクが必要」という情報しか伝わらなかった。
 多くの人が「必要なのは粉ミルクだ」と思っていた中で,女性は母親である経験と直感で「母乳が必要なのだ」と感じたという。

 その後,Mさんも母乳が出るようになり,Mちゃんは一命を取りとめた。

 現在,2人の母親は互いに交流を深めている。
■■

 この赤ちゃんの母親であるS・Mさんは,14年前,4年生のときにわずか2ヶ月間だが私が担任した子である。
 最初にテレビで顔を見たときには気づかなかった。
 だが,どこかで見たような顔だと思った。
 そして,名前が出てはっきりと分かった。

 七ヶ浜で教えた子どもたちがどうしているのか,とても気になっていた。
 このような出来事があったとは全く知らなかった。
 命のリレーが繋がれ,一つの幼い命が助かったことに感動した。

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