私の人生・ちょっとした工夫・そして人生の発見

日々の生活の記録と人生におけるちょっとした工夫を写真付きで掲載したいと思います

今、人生の替え時かも・・・

2017-02-27 09:06:32 | 趣味

今、人生の替え時かもしれないですね。そう行ったことを言っている自分という存在は、なんだろう。と考えると、面白いことだと思います。いろいろ変化がある人生を歩んでいる私にとって・・・もう、20年前ぐらいになるでしょうか、ある人から自分のことを破天荒な人だと、言われたことがあります。破天荒という意味合いが、その時理解できずにどんな意味だろうと調べたら、今まで人がしなかったことをするようなこと・・・と書いてありました。自分は、そうなのかなあと一瞬思いましたが、そうなのかもしれないと、ふと考えてしまった思い出があります。自分の人生のポリシーに、人とは違った歩き方をしたいというものが根付いているようです。昔から、そうだったようです。なぜなんだろうと・・深く考えたこともありません。そこに、自分の前に引かれた一本のレールは、曲がりくねったレールのはずです。決まり切った人生なんて面白くもない。という考えです。


久しぶりのブログです・・・

2017-02-18 18:00:01 | 趣味

今、you tubeの「演歌」を聞いています。そうしたら、人間の儚さをしみじみ感じました。どういうことかというと、今までそこに一緒にいた人間が、急にいなくなるということ、それは、そのことを深く考えていると、どうしてもおかしくなってきます。死んで火葬されたら肉体が消えてしまう。そのことは、どんなことであろうか。でも、そこにおかしなことが起こっている。人間が,今まで考えたこと、気持ち、そんなことは、どうなっているんだろう。


金曜日から大阪へ・・・

2017-02-08 21:40:16 | 趣味

今週の金曜日から、11日まで大阪に行ってくる。何の目的もないということではなく、命の洗濯とでもいうことができるかもしれない。命の洗濯ということは、自分の命の洗濯になるということであろう。今まで、自分は、将来のことを考えていろいろな資格も取得した。電気工事士、ITパスポート、運行管理士(貨物)、ボイラー2種、フォークリフト、危険物、食品管理、あと少しあるけれどもそれは、言わないでおこう。その資格を得ることが将来のためだということで、自学自習をして取得して行った。自分のこれまでの人生というものは、何でもゼロからの出発であった。ゼロから何かを起こし行く、そう行った生き方である。現在でもそうである。敷かれたレールの上を歩いて行こうとは全然思ってもいない。自分で、生み出していくのである。そう生き方が、男としての生き方だと私は、自負している。今後もそうである。金曜日からも、そういう目的のために大阪に行くのかもしれない。


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2017-02-08 08:06:31 | 趣味

ちょっと思い出してしまった。それは、どういうことかというと、親父をずっと介護していた時のことである。介護といっても肺がんという病に、親父と二人で立ち向かった時のことで、いろいろと考えながら2,3年やって来たことである。人間最後ということになれば、必死になるもので、親父もそうであった。その時のことが、手帳にも残っているけれども、それはそうであろう、もう二度と自分の命がないという時、人間は、黙ってそれを傍観することができようか。。できない。自分ももがき尽くすに違いない。二度とこの世には現れることができなくなるわけであるので、親父は、自分と二人でいろいろと取り組んだことで、満足はしていただろうけれども、つまり、自分の息子と命について最後、考えていったということで、満足はしていただろうと、思うけれど、やはり、最後は、ある程度もがいて死んでいった。つまり、この世を惜しむように、最後の病床での言葉が「俺は、もう諦めた」という切ないことばだった。そんな言葉は、あの生前強かった親父の口からは、聞くはずもなかったという思いだったけれど・・・ふと、頭の中に瞬間よぎったことだった・・・


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2017-02-08 08:06:31 | 趣味

ちょっと思い出してしまった。それは、どういうことかというと、親父をずっと介護していた時のことである。介護といっても肺がんという病に、親父と二人で立ち向かった時のことで、いろいろと考えながら2,3年やって来たことである。人間最後ということになれば、必死になるもので、親父もそうであった。その時のことが、手帳にも残っているけれども、それはそうであろう、もう二度と自分の命がないという時、人間は、黙ってそれを傍観することができようか。。できない。自分ももがき尽くすに違いない。二度とこの世には現れることができなくなるわけであるので、親父は、自分と二人でいろいろと取り組んだことで、満足はしていただろうけれども、つまり、自分の息子と命について最後、考えていったということで、満足はしていただろうと、思うけれど、やはり、最後は、ある程度もがいて死んでいった。つまり、この世を惜しむように、最後の病床での言葉が「俺は、もう諦めた」という切ないことばだった。そんな言葉は、あの生前強かった親父の口からは、聞くはずもなかったという思いだったけれど・・・ふと、頭の中に瞬間よぎったことだった・・・