健ちゃんの家庭菜園と日曜大工とパソコンと胃ガンの趣味三昧

今年定年の団塊世代の気分転換のページ
趣味三昧のページのはずでしたが胃ガンを患い、闘病記録を追加することになりました

ハヤシライス

2008年10月30日 | 定年おじさんの料理レパートリー
胃ガンになったおじさんが病院食をいつも奥さんに作ってもらっていますが、時間があるのだからたまには自分で料理を作りなさいとしかられ、今日は聞きながらハヤシライスを作りました。

①タマネギを刻み、シチュー鍋に油をいれ透明でしんなりするまで痛めました。
②次に牛肉を入れ、炒め、火が通ってきたら水をいれぐづぐつ煮てアクが出てきた らすくって取りました。
③②を15分位煮てからハヤシライスのルーを入れかき混ぜとろみがついてくるまで 煮て火を止める。
 以外と簡単でした。
 調理より材料きりの方が大変でした。

出来たハヤシライスは胃ガンで食事リハビリ中の私にとって久々の普通食でおいしかった。ほんの少々しか食べれなかったけど。。。。。

体重減少 5kgも

2008年10月30日 | 胃ガン闘病の記録
体重が手術前に比べ5kgも減ってしまいました。
これは手術前に解っている事ですがやはり本に書いてあったとおり体重が手術前に比べ5kgも減ってしまいました。
手術をして一週間絶食をし、退院後は以前の1/3位しか食べられず、肉とか油っこい料理は食べられないので栄養がつかないのでしようがありませんがやっぱり少し心配になってきます。

私の場合は以前から血糖値が高い糖尿病の治療を受けていたので今回の小食になったら血糖値が下がらないか期待をしていますがどうでしょうか。
(医師の話では体質的な問題で食事が減ったからといって血糖値は下がらないと言われているが)本人は少し期待をしています。食べれないのだから血糖値も下がるに違いないと。。
どうでしょうか。

胃ガンリハビリ3週間

2008年10月30日 | 胃ガン闘病の記録
病院を退院し、自宅に戻ってから三週間になりました。
手術跡の回復は順調で切った所はくっつきかさぶたも取れきれいになってきました。痛みもほとんどありまませんが縫った表面のでこぼこがシャツにさわると痛・かゆいのがまだ直りません。
医者に聞くとおなかの皮の中側の筋肉を縫っており、そのせいで縫ったところがでこぼこしており、縫った糸が2・3ヶ月で熔けるのでそれまでしばらくでこぼこが残り、神経過敏でひりひりするかもしれない。
2・3ヶ月後までには直るとのことで、普段歩いていてもひりひりするのでこまったなあ・・て感じです。

手術後3週間経過で食事の方は退院直後よりはいろいろな物が食べられるようになりましたが、やはり食べられる量は変わらず、少しでもたべすぎると胸が詰まり苦しくなるのは変わりません。
でも、胃が残ったからか、今のところダンピング症状も特にひどい物は出ず助かっています。
また、便秘の方も相変わらずで下剤のお世話にならなくとも三日単位くらいで出るようになり、トイレで30分以上粘っていてとやっと出るという感じです。
出るとすっきりし一日が気分良く過ごせます。

退院2週間後より再発防止・念のため(安心の為)の抗ガン剤をのみはじめました。
抗ガン剤は効果を出すため、飲み始めたら続けて一年間飲まなくてはいけないそうですが、薬代が高いのに驚きました。
一日分約\1000(自己負担分のみで)も掛かり大変です。
また奥さんに病気になるとお金がかかって大変と怒られています。
(うちの奥さん。胃ガンの原因がタバコと暴飲暴食・お酒が原因と決めつけているので)

赤提灯がなつかしい/行きたいい・・・・

2008年10月30日 | 赤ちょうちん
胃ガンが見つかり、胃の摘出手術をしてまだ一ヶ月。

もう以前のようにはビールも飲めない。堅い焼鳥やホルモンは持ってのほか。

もうふらっと寄ってビールを飲み、焼き鳥がつまめない。
息が詰まりそう・・・行きたいい・・・・。

でも行けるのはいつになるのかな・??半年後かな・3ヶ月後かなあ??
今度行くときまでまだ店は残っているかな・・・心配だ。

ろくな事考えない。健ちゃん。

胃ガン闘病記録はひとまずおしまい。

2008年10月23日 | 胃ガン闘病の記録
定期健康診断の再検査で胃ガンが見つかり、私の人生に台風が来た感じでかき回し、あっという間に8月9月がすぎていきました。
そして台風が去った10月には手術を受け胃が2/3無くなり食生活が変わってしまった現実が残りました。60才の人生の中で大事件で、心の中ではまだ何分の1かは信じられない気分です。

でも現実です。これからは胃ガンと仲良くつきあって行かなくてはならないようです。
これまで胃ガンが見つかり、入院、手術、リハビリと闘病記をプログに書きましたがとりあえず平常生活に戻りましたので胃ガンの闘病記はいったん終わりにします。
今後のリハビリの様子。元気になった報告を随時報告するとして闘病記はしめることにします。
皆さんも同じ目に遭わないよう摂生して暮らしてくださいね。

年金のこと

2008年10月23日 | 独り言
60才になり年金がもらえるかと思いきやお預けで、64才からしかもらえない。
ここで胃ガンが見つかりひょっとして後5年以内に死んじゃったら年金はもらわずしまい。
これじゃあ、何のために年金を払ってきたのか解らない。
絶対に100迄生きて年金の元をとってやる。

家に帰ってから一週間

2008年10月23日 | 胃ガン闘病の記録
家に帰ってから一週間が経ち、どうやら生活も固まってきました。
少しの食事を時間をかけ食べてしばらく休憩し歩きに出かける・・等。
だけどまだ退院後一週間の為、体力が無いのかすくに疲れ横になりたくなり休憩です。
もう少しして体力がついたら持続力がつくかと期待をしています。
後二週間で会社に復帰しなければなりません。よく食べて・歩いて体力をつけなくちゃ。
おなかの方は相変わらず便秘気味で前回浣腸を使い出しましたが今度は下剤を飲みトイレにこもっていたらやっと出てすっきりしました。でも下剤を二錠飲んだのですが出てからは何遍もトイレ通いで下痢気味です。
なかなかちょうど良くならない。
今度下剤を飲むときは一錠で試してみます。

退院後の生活も安定してきたので気分転換で家庭菜園にも行けるようになりました。但しまだ軽作業だけです。
本当は鍬で耕したい場所があるのですが無理に重作業をし腹の中の縫ってあるとこが解れたら病院へ後戻りになると元も子も無いから重作業はしばらくしないことにしました。
でも家の中にいるより畑は空気もおいしく緑がいっぱい。野菜が芽を出し元気にのびているのを見ると元気さ・生命力が伝わってくる感じでペットセラピーじゃないけどグリーンセラピー?もきっと病気回復にも効果があると思います。
何せ植えた野菜がおおきくなってきたな・・・と眺めているだけで時間も経ち気分もすっきりします。

胃ガン

2008年10月23日 | 独り言
毎日テレビで有名人がガンで死んだというニュースばかりですが身の回りにガンがあふれている。
片や、胃ガンで胃を全摘出してもう10年以上も健康で生きている。平常通りの生活をしている人もいっぱいいる。
この分かれ目は何なんだろう。
5年後の生存率80%????
この80%に絶対入らなくちゃあ。

家に帰ってからのリハビリ生活

2008年10月22日 | 胃ガン闘病の記録
家に帰ってからは奥さんがインターネットで調べたり本を買って(胃摘出後の食事等)調べたりして病人食を作ってくれました。
食事の量はご飯は茶碗に半分、汁物もお椀に半分、おかずも小鉢に半分の量を時間をかけ食べますがすぐにおなかがいっぱいで少しでも量がオーバーすると胸がつかえた感じで息が詰まった感じがしひょっとして窒息するのではという恐怖心も覚えました。
食べ物がのどに詰まった感じになると怖いので食べ過ぎないように気をつけなくちゃあ。でも、胃が部分摘出で少しでも残ったおかげか、ダンピングというショック症状はいまのところでないので助かりました。
手間暇かけて病人食を作ってくれる奥さんに感謝感謝。毎日手を合わせ拝まなくちゃいけないかな。
家に帰り平常生活に戻り食事のリハビリも順調ですが一つ心配事があります。病院でお通じが会った後、三日間お通じがありません。退院するときに下剤を飲みましたが効果が無く、おなかが張って苦しくなっているのに便が出ずつらくなりやむなく浣腸のお世話になりました。
浣腸をしたらやっと便も出て楽になりましたが今度は下痢気味。
なかなかうまくいかないみたいです。

いよいよ退院日

2008年10月22日 | 胃ガン闘病の記録
医師の説明から二日後が退院日に決まり早く来ないかと待っていましたが、いよいよ今日が退院日です。
午後から退院で朝食が済んでから荷物をまとめ、退院の準備にかかりました。
奥さんも昼前にきて支払いやら書類の手配をする段取りになっています。
そして午後奥さんがやってきて支払いを済ませ荷物をまとめいよいよ退院の時がきました。
同室の人に挨拶をし看護婦さんにも挨拶をして病院を後にしました。
後から奥さんに入院費いくら位かかったか聞くと治療費総額は百何十万円。自己負担はうん十万円払ったとのことです。
ガン保険に入っていて本当に良かったとこのときは思いました。
でもガン保険も加入してからもううん十年年保険料を払っており保険から払った分を返してもらわなくてはとも思いました。
とにかく無事で短期間で退院が出来てほんとに良かった。
感謝・感謝。

医師からの退院許可が出る

2008年10月22日 | 胃ガン闘病の記録
手術から八日目の木曜日に医師より手術内容の説明と検査結果の説明をするとの指示があり、奥さんも同席して説明を受けました。

手術は当初、腹腔鏡手術で着手したがガンが当初思っていたより深く胃の外側(表面)まで浸透していたため患部摘出の為、急遽開腹手術に切り替えた。リンパ節の術中の検査は開腹手術に切り替えのため途中の検査は中止した。
患部を摘出したので再発の可能性は低いがより安全性を高める為、抗ガン剤を飲んで備えるのと様子を見た方が良い。との説明があり、今後の通院治療をどうするか、どこの病院に通院するか等について話があり、居住地区に三重大より消化器科の先生が派遣されている医療機関があることが解り、その病院へ通院をすることとしました。
医者からは手術後の経過は良好でもう治療的にはいつ退院しても良いとの回答をもらいました。
医師の説明を受けたときはまだ食事の回復が全粥の段階で普通食に戻っていませんでしたが少しでも早く病院を抜け出したいとの思いで金曜日10日(入院後十五日目・手術後十日目)に退院をすることにしました。
また、この日になってやっとお通じがありおなかも楽になり安心しました。
退院まであと二日の我慢となりました。


回復への秒読み

2008年10月22日 | 胃ガン闘病の記録
大部屋に移り二日目くらいに、医師の回診で手術後の経過も良好で縫合箇所もくっついたようだから固定してある器具『ホッチキスの針みたいなもの』をはずすと言われパジャマを開けておなかをさらしました。
はずすのは医師見習い(医大の学生みたいなひと)みたいなので痛くないようにはずしてくれるかなと心配して見ていましたが思ったより簡単に痛みも感じずに取り外して拍子抜けでした。書類のホッチキスを取るときはぐりぐりするので同じように連想していましたが。手術用のホッチキスは簡単に取れるようになっているみたい。
そして手術から一週間が経ち点滴もはずせる日が来ました。
これで行動は自由となりましたがまだ便秘でおなかが張って苦しいままでしたがあいかわらずトイレへ行っても出ません。
トイレへ行くときには無意識におなかの傷をかばい背を丸めて歩いている自分に気がつき入院したときに眺めていた人と同じ格好で歩いているなあ・・と思い出しました。
点滴が無くなると また単調な、入院生活『決まった時間に食事を取り、あとはトイレに通うだけ』に戻り退屈さでいっぱいです。
まだ何でも食べれるようにはなっていないので売店に行く用事は無く一日がベッドとトイレの往復の繰り返しの単調な生活に戻り退屈な入院生活に戻りました。
もう痛みは縫合した傷の表面がこすれると痛・かゆいだけです。歩くときはこすれないようにシャツを持ち上げて縫合面にこすれないようにして歩いていました。
又、夜の長いのを毎日体験して早く朝が開けないかなと思う毎日にもどりました。




個室滞在記2

2008年10月22日 | 胃ガン闘病の記録
個室に移り、二日目になると手術後の痛みも大分薄れ痛みは痰が絡み、出すときの痛みとベッドからの寝起きの時に腹筋を使うときに痛むだけで日増しに回復してきました。
個室で二日目には背中の痛み止め注入用のチューブとおしっこ排出用のチューブがはずされ残るは腕の点滴だけになり行動の自由がひろがりました。只、まだ一日中点滴をしているのでおしっこがたまるのが早く、しょっちゅう点滴のコロコロを引いてトイレに通わなくてはなりません。
症状も大分軽くなったので次の手術を受けた患者に個室を明け渡さなければならす。三日目に又、最初に入院した時の大部屋に戻りました。
大部屋に移ってからは手術後の検査結果も良好の為、まず水分を取ることの許可が出てお茶が飲めるようになり、翌日からは食事制限が解除されました。
食事は胃が1/3か1/4サイズになったため少量で、最初は重湯、次の日からは3部粥・5部粥・7部粥・全部粥と一日ごとに固形物が増えていく食事がとれるようになります。
でも食事『粥』が出ても最初はシャビシャビで液ばっかりで中身が無く味付けもふりかけみたいな塩が付いているだけ。汁もみそ汁の上澄み液みたいな薄味のみそ汁が少しとおかずは薄味の鶏肉ささみがゆでてあるだけの様なおかずがついているだけで食欲もわかずあまり食べられませんでした。
日が変わりお粥が5部7部になっても同じです。胃を部分摘出し、一度に食べれないので一日に6回食となり各食事の中間におやつが出ました。日により変わり、リンゴジュースやヨーグルト・ミニ鯛焼き・カステラ・塩せんべいとかです。
メインの食事よりこちらの方が楽しみでした。
大部屋に移ってからガスのお通じが有り、胃と腸がまちがいなくつながっているのを確認できまずは安心しましたがうんこが出ません。まだ固形物をまともに食べていないから出るほどたまっていないのか。何度もトイレにいきましたか出ず唯一の毎日の心配事となりました。




個室での生活記

2008年10月21日 | 胃ガン闘病の記録
個室に移ってからは痛みも少しずつ減ってきて看護婦さんに痛み止めの点滴を頼む回数が減ってきました。個室での療養上の注意はなるべく痰を出すための咳が出ないように心がけ、のとがおかしいなと感じた時は痰が詰まる前に何度もつばを飲み込む動作をしました。
個室に移ってから翌日に看護婦さんが体を拭いてくれた時、体を起こし手術の跡を見せてくれました。見ると腹腔鏡手術の跡だけでなく縦に20センチくらい開腹手術の跡があり、ホッチキスのような器具で5ミリ間隔くらいで止めてありました。
リカバリー室で医師から腹腔鏡手術では対応できなかったので開腹手術に切り替えたと説明されたのをうろ覚えで聞いていましたが傷口を見るのは初めてです。
ホッチキス玉のような留め具の数の多さにびっくりしました。
取る時に痛いだろうなあ・・とめいりました。
個室に移り翌日には手術後の回復を早める為、歩く練習をしてくださいと言われ、ベッドから立つ練習をしました。
そして手術から三日目には手術の結果、縫合箇所がうまくくっついているが検査をする日になっています。
個室に移った翌日にまだ歩けないので車いすで検査室へ連れて行かれました。
検査は胃のバリウム検査をする機械で、バリウムではなく透明のどろっとした造影剤をのみ縫合箇所がうまくくっついているかを見るようです。
医師は簡単に造影剤を、ハイ・口にふくんで・・一口飲んで・・・といいますがまだ本人は立っているのがやっとのへなへなな状態で検査を受けました。
患者からはモニターが見えませんでしたが医師と技師の話ではうまくくっつている。(完璧・・なんて)人ごとのように言っているのを聞いて少しむっとした記憶があります。
検査は無事済みましたが飲んだ造影剤がバリウムと違いものすごく苦い。検査室でうがいもさせてもらえず病室に戻り巡回にきた看護婦さんにうがいを何度もさせてもらいやっと口の中が平穏な状態になりました。
でも手術した場所が順調にくっついていてよかった。縫合不良だと合併症が出たり再手術が必要となり、入院期間が大幅にのびることになり術後が良好で一安心です。


リカバリー室滞在記

2008年10月21日 | 胃ガン闘病の記録
手術が終わりリカバリー室に移され、二日間を過ごしましたがリカバリー室での二日間は意識はまだもうろうとして、手術後の痛みと体には鼻から人工呼吸の酸素の管が入れられ腕には点滴の管が刺され、背中には痛み止め投入用の脊髄(硬膜?)注入用の管が刺され、動けないのでおしっこを排出用の管がつけられ寝返りも打てないベッドに固定されたような状態で苦痛の二日間で毎日、痛い・・痛い・・とつぶやいていました。
ベッドの周りはカーテンで囲まれ、終夜電気はついている為、昼間か夜か解らない状態で痛みに耐えていました。
そんな状態の為、翌日も奥さんがきてくれたと思いますが記憶がありません。
二日間が過ぎ、手術後の峠を超したのか痛みも徐々に少なくなってきて落ち着いてきたので小部屋に移されました。
小部屋では酸素呼吸の管がはずされ少し顔の自由がきくようになり痛みが減ってきてやっと生きた心地がするようになってきましたが、逆に小部屋に移り酸素呼吸の管がはずされてからは自分で呼吸をするのでのどに痰が絡むと息が出来ず、健康なときのように簡単に痰が取れません。
痰でのどが詰まり息が出来なくなるので、痰を出すため咳をしようとすると手術した跡と食道がものすごく痛く死ぬかと思うよな痛みで咳が出来ません。痰が詰まったときは汚いですがなるべく咳をせずに激痛にをさけるように飲み込むようにしていました。
でも突然息が詰まり、続いて咳が出てしまった時は激痛にベッドにばったり・・5分位痛くて動けませんでした。