カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「ヨハネ福音書が神学に与えた影響」学びあいの会

2016-09-26 21:24:48 | 神学
「学び合いの会」では、2016年9月26日の今回から、2010年度におこなわれた上智大学キリスト教文化研究所の聖書講座『さまざまに読むヨハネ福音書』シリーズでの連続講義が改めて取り上げられます。今日はそこでの増田祐志師の講義「ヨハネ福新書が神学に与えた影響」が再度紹介されました。
 全体は三部に別れ、第一部「聖書におけるヨハネ福音書の位置」 第二部「キリスト論論争」 第三部「ヨハネ福音書と現代」 と題されています。増田師は専門は教義学、特にキリスト論とのことですが、当時かれはアメリカ帰りのバリバリの若手神学者で、かなり個性的というか、現代的なキリスト論を展開しておられたようです。
 さて、第一部「聖書におけるヨハネ福音書の位置」。ヨハネ福音書の重要性は一言で言えば、カトリック神学の骨格を作っており、神学への影響力は共観福音書の比ではない。カトリック神学そのものと言っても良いくらいである。増田師はまず新約聖書の歴史を整理する。かれの説明を理解するために少し前提となる知識をおさらいしておこう。
 聖書が書かれた(纏められた)時期で言えば、一番古いのはロマ書で58年くらい。次にマルコ福音書が70年前後に書かれ、やがてQ資料と共にマタイ・ルカ福音書が80年代中葉に書かれる。そしてヨハネ福音書はそのあと90年代に書かれたというのが普通の説明だ。 新約聖書にある27文書中パウロ文書は14と言われ、神学的にもパウロ書簡(文書)は決定的に重要だ。キリスト教というより「パウロ教」と揶揄する人も出てくるほどその神学的影響力は大きい。特に「ロマ書」は時期的にも教義的にも重要で、「霊・肉の二段階キリスト論」が述べられている(ロマ書1:3)。ここではイエスの「復活」こそ信仰の中核とされる。パウロが書いた一番古いと言われるガレテヤ書も重要らしいが、ロマ書こそ書簡中の書簡と呼ばれているらしい。
 ところが、マルコ福音書では、1:9-11に見られるように、「洗礼」が重視される。「復活」論ではなく、「洗礼」論だという。神学的には「下からのキリスト論」と呼ばれるらしい。この「下からのキリスト論」はマタイ・ルカ福音書をも貫いており、イエスの降誕物語(クリスマス・ストーリー)が中心となる。
 これに対し、ヨハネ福音書では、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」から始まる(1:1-3)。この「言が肉となった」という主張は「ロゴス・キリスト論」と呼ばれ、マルコとは対比的に、「上からのキリスト論」と呼ばれるという。言とはロゴスのことだからだ。このロゴス・キリスト論が、長く激しいキリスト論論争を勝ち残り、カトリック神学の中核となっていく。
 増田師は新約聖書におけるキリスト論の特徴を三つにまとめる。①キリスト論はたくさんあるが、どれもイエスが神と人との歴史的仲介者であるという内容を含んでいる②どのキリスト論も「救い」と結びついている③イエスの人格は常に神性と結びついている。
 こういう前提の上で、増田師はヨハネ福音書におけるイエスについての言明は「演繹的」であり、共観福音書が持つ「帰納的言明」とは異なると述べる。自分としてはもう少し「帰納的な」イエス論に親しみを感じると言われたようだ。帰納的とは、「イエスはXXXしたから神の子だ」という言明で、演繹的とは、「神の子であるイエスはXXXだ」という言明のことだという。
 第二部ではキリスト論論争が詳しく紹介される。受肉したロゴスの神性と人性を巡る論争である。まず、養子説、仮言説、従属説、様態説などの異端説が否定され、ホモウオーシス(父と子の同一本質)説が確認される歴史が説明される。ニケア公会議(325)、エフェソ公会議(431)、カルケドン公会議(451)を経て、ヨハネ流のロゴス・キリスト論が確立されていく。この過程でキリスト論は徐々に形而上学的・存在論的になっていき、共観福音書が持つ「イエスのこの世的イメージ」が後退していったという。当時の公会議は教皇ではなく皇帝によって開催されているが、こういう歴史的事実もこのロゴス・キリスト論の確立に影響を与えているようだ。
 第三部「ヨハネ福音書と現代」では、増田師はヘンゲルにしたがって、ヨハネ福音書には五つの構成要素があるという。①神学的形成意思②著者の個人的記憶③教会の伝承④歴史的現実性⑤聖霊の導き。詳細を記す余裕はないが、増田師は詳しい説明をされたようだ。これらは聖書学的には重要なテーマのようだが、増田師の主張はまた別の論文で整理してみたい。
 キリスト論には大別して二種類ある。狭義のキリスト論と広義のキリスト論である。キリスト論は狭義で言えば、「イエスとは誰か」と問うし、広義では「イエスは何のために来たのか」と問う(救済論)。こういう意味では増田師は狭義のイエス論を展開していると思われる。師は「下からのキリスト論」を重視し、ヨハネ流の上からのキリスト論から距離をとろうとする。「ヨハネとの正しい距離感」を持ち、「友であるイエス」「解放者イエス」「同伴者イエス」など多様なイエス論を回復したい、と結ばれたようだ。
 個人的印象でいえば、明快な主張がでていて学ぶところが多かった。キリスト教が「パウロ教」というより「ヨハネ教」と呼んでもいいほど「ロゴス・キリスト論」を中心として形成・発展してきたことがよくわかった。日本のカトリックがこのヨーロッパ産のキリスト教のさらなる発展に貢献できる余地はまだ十分あると思った。

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思想・職業・葬儀

2016-09-24 11:55:46 | 社会学

 お彼岸ということもあり、最近亡くなったお二人のことを思い出す。知人と言うべきか、友人と言うにはおこがましい。先生と呼ぶべきか。普通に言えば先輩と後輩ということになる。共に社会学者だが、お一人は80過ぎてすぐに、、もう一人は70直前で亡くなった。K氏はプロテスタントの父親を持ちながらマルクス主義者として生き、M氏はプロテスタント系の大学で長く教鞭を執り、比較社会学者、特にスコットランド・北アイルランドのプレシビタリアン(長老派)の研究者として知られていた。考えさせられたのはお二人の葬儀であった。
 K氏は晩年は万葉集や古事記の研究に没頭されていたのでマルクス主義社会学者であり続けたと言って良いかどうかわからないが、思想としてはマルクス主義者であり続けたといえよう。六全協の時代に青春時代を送り、ある歳までは代々木を信じていたと思われる。かれの社会学批判は鋭かった。M氏は大学紛争の時代に社会学に目覚めた。洗礼こそ受けなかったが聖書を常に手元におきながら社会学者としての矜持を守り続けた。
 お二人の葬儀は対照的であった。K氏の葬儀は仏式であった。おそらく日蓮宗だったと思う。葬儀そのものは伝統的な式だった。M氏の葬儀は無宗教式(自由葬)であった。
 人の思想と職業と葬儀がどのようにつながっているのか、このところ考えることが多い。葬儀は遺族の判断によるとはいえ、故人の意向を無視してなされるとも思えない。なぜマルクス主義者の葬儀が仏式で、事実上のクリスチャンの葬儀が無宗教だったのか。これは本人や遺族の意向もさることながら、日本社会がまだ思想(信仰)・職業・葬儀の関連づけに関してパターンないしは規範を作ることに成功していないからではないか、と思った。マルキストの葬儀が仏式だったら違和感を与えないのだろうか。クリスチャンの葬儀が親戚の意向で仏式でなされることもあるというが、これは社会的には違和感を与えるのだろうか。
 思想(信仰)と職業の関係も、特に社会科学者の場合は、いろいろなケースがあって一般化は難しい。普通は、社会科学は「事実」を究明する学問だし、M.ウエーバー風に言えば「価値判断排除」を原則とする。たとえば、かれの『職業としての学問』は次のように言う。

「ある究極の世界観から見て根本的な立場からーその立場は一種類かもしれないし、何種類もあるかもしれませんが、しかし全く別の立場ではない、そういう立場から、ある実践的な態度が、つまり「誠実さ」が導き出されるのだ」(これは三浦展訳85頁で、尾高訳や中山訳とは大いに異なる。私は良い訳だと思う)

原文は
die und die praktishce Stellungnahme laesst sich mit innerer Konsequenz und also:Ehrlichikeit ihrem Sinn nach ableiten aus der und der letzten weltanshauungsmaessigen Grundposition-es kann sein. aus nur einer, oder es koennen vielleicht vershiedene sein-,aber aus den und den anderen nicht.(引用文の綴りは不正確)

 ウエーバーの主張、学問は「明晰さ」と「誠実さ」の獲得をめざすという主張から見れば、お二人の社会学者の人生は同じように誠実なものだった。研究対象も方法論的立場も異なっていたが、お二人とも「誠実な」人生を送られたのだと、私はこのところ一人で納得している。今頃は「お前、今頃何言ってんだ」と二人で天国で笑い合っているのかもしれない。まあ、そう遠くない日にまた一緒に麻雀で一卓囲める日が来ると思って、二人の笑顔を思い出している。

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神学講座(その16)第二バチカン公会議以後

2016-09-15 15:41:25 | 神学
 神学講座は、2016年7月7日に、F・カー著『二十世紀のカトリック神学』の第12章「バチカン公会議以後」に入りました。私は所用で参加できませんでしたが、あとで神父様からいただいたレジュメを使って内容の簡単な整理をしておきたいと思います。本章は最後のまとめというよりは、著者F.カーの立場をかなりはっきりと書いている部分だし、また、H神父様の要約・紹介の仕方も興味深かったためです。
 結論的に言えば、カーは、第二バチカン公会議以後に起こった、または今も起こっている、論争のゆえに、教会は「混乱」のなかにある、というものである。これはかなり大胆な評価である。第二バチカン公会議の以前と以後を共に見てきた者の一人として、カーよ、よくそこまで言うか、という印象である。「我我は、深い分裂と手に負えないほどの裂け目の中に生きていかねばならない」とカーは言う。分裂とはなにか、何について分裂しているのか。カーは、第二バチカン公会議以後は「改革の改革」の時代だという。つまり、第二バチカン公会議のエキュメニズムの途を歩むのか、それとももう一度第一バチカン公会議(1869-1870)、さらにはトレント公会議(1545-1563〉にまで戻るのか、という「見解の相違」があるのだという。
 トレント公会議から第一バチカン公会議まで公会議は開かれなかった。開けなかった、というか、開く必要がなかった、というべきかはまた別の論点だが、第二バチカン公会議以前に戻りたい、という声が、勢力が、現在でもきわめて多い、ということであろう。
 カーは「見解の相違」を3つの論点に絞って論じている。第一は教皇至上主義か公会議至上主義の対立である。教皇の首位権と司教の団体性のあいだにどのようなバランスをとるかという問いである。コンガールの東方教会論的な公会議至上主義論、、キュンクの教皇至上主義批判が中心的に論じられる。
 第二の論点は「典礼」、より具体的にはミサの「国語」化論である。ミサがラテン語から国語に切り替わる、司祭と祭壇の位置関係、聖体拝領の仕方、など「誰も予想などしていなかった」ことが起こったのであった。
 第三の論点としてカーが取り上げているのは「結婚」論である。結婚は結局は「相互の贈り物」(愛情)なのか「生殖」目的なのか、という古くて新しい論点である。バルタザールやラッティンガーたちによる伝統的な婚姻の教説をめぐる対立が紹介される。
 カーは最後に「真の教会」を維持するために「古代ローマ典礼の奉献文」を論じ始める。おそらくは、ローマ典文(第一奉献文)に帰れ、といっているように思われる。ここで神父様は、第二バチカン公会議による奉献文の変更を紹介説明されたようだ。資料も配布されたようである。第二バチカン公会議は典礼刷新を始めた。これまでのローマ典文(第一奉献文)に加えて、東方教会の伝統を尊重して第二・第三・第四奉献文が作られた。つまり今のミサ典礼書には四つの奉献文があるのだと思う。
 ところで、「感謝の祭儀」をいちおうご「ミサ」と同じといえるのなら(ほかにもいろいろな呼び方あるのだろうが)、ごミサは、社会学風に言えば、「構造」を持っている。「ことばの典礼」と「感謝の典礼」の二本柱からできている。そして感謝の典礼は奉献文と御聖体拝領からなる。奉献文には「感謝の賛歌」が終わると入っていく。感謝の賛歌は日本語では以下のようになる。

 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。
 主の栄光は天地に満つ。天のいと高きところにホザンナ。
 ほむべきかな、主の名によりて来る者。
 天のいと高きところにホザンナ。

これは唱和した時(時代)もあったし、歌うこともある。叙唱と奉献文を切ってしまうようにも思われるが、会衆全員が参加する、という意味は明らかである。カーは本当に第一奉献文だけで良いと言っているのだろうか。第二バチカン公会議のエキュメニズムの思想はそれだけで実現できるのだろうか。それともカーは、「真理にはヒエラルヒーが存在する」というエキュメニズム批判の主張に賛同しているのだろうか。H神父様の評価を聞きたかったところである。

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神学講座(その17)ヨゼフ・ラッツインガー 『イエス・キリストの神』(その1)

2016-09-07 11:09:28 | 神学
 神学講座は2016年9月5日から新しい本に入りました。神父様が選ばれたのは、教皇ベネディクト16世著 里野泰昭訳『イエス・キリストの神 ー 三位一体の神についての省察』(2011 春秋社)です。原書は Der Gott Jesu Christi - Betrachtungen ueber den Dreieinigen Gott (1976) です。
 神父様がこの本を選ばれた理由はわかりませんが、私には納得できる選択です。J.ラッツインガーが教皇様に選出された後ということもあって、本訳書は出版当時多いに読まれました。書評なども数多く出た記憶があります。私も当時興味を持って読んだことを覚えています。かれが名誉教皇様になられた今、本書をもう一度読んでみることは、かれを教皇様としてではなく、一人の神学者としてとらえなおしてみる良い機会のように思えます。
 本書の原著は古い。1976年出版と言うことは、教会の中で第二バチカン公会議後の激動がー揺り戻しといってよいかどうかはわからないがー始まった最中の本ということになる。ラッティンガーは第二バチカン公会議の立役者ではあったが、まだ一人の神学者にすぎない。ミュンヘンの大司教になり、枢機卿として出世していくのは数年先のことであったが、彼にはこの途ははっきりと見えていたのだと思う。
 本書は神学書として体系的に書かれたものではない。ラッティンガーが司祭として数カ所でおこなった黙想会の話やお説教がまとめられたものである。したがって話はわかりやすい。難解で何を言っているのかよくわからないと揶揄されることの多いラッティンガーの著作としては珍しい部類に属すると思われる。また、本書の表題の訳語に「の」が使われている。これは原書でも所有格を表していると思われる。「イエス・キリストの神」の「の」とは何なのか。三位一体を所有格で表現できるのか。これが本書を貫く課題のようにも思われた。
 内容は三位一体論である。カトリック信仰が結局は三位一体の神を信ずること、教会を信ずること、に帰着すると言えるなら、本書は三位一体論を正面から取り扱ったいわば公教要理原点みたいな性格を持っていると思える。
 本書は3章からなる。第1章「神」、第2章「イエス・キリスト」、第3章「聖霊」。当然と言えば当然の章立てである。
 三位一体論は長く、激しい論争のなかで成立してきた教理なので、訳者の里野氏は「解説ー三位一体について」のなかで、この論争の歴史を詳しく説明されている。この解説・説明の評価は私の能力を超えるが、教義と信仰を対立するものとしてとらえてはいけないと主張する里野氏の説明は説得力がある。三位一体論は結局はホモウオーシス論だという人もいるが、里野氏はもう少し幅広くとらえて、(ラッティンガーに好意的に)説明している点は、ラッチンガーのお弟子さんとしては当然なのかもしれない。
 さて第1章「神」である。本章は4節からなる。1節「名を持つ神」 2節「三位一体の神」 3節「創造主なる神」 4節「ヨブの問い」。今日は第1節「名を持つ神」が紹介された。講義の参加者が訳本を持っていない人が多いということもあり、神父様は基本的には訳文を忠実に読まれ、時折注釈を加えるという形で講義をされる。レジュメ(原文)はすべてご自分でパソコンで入力されていると言うことだが、万年筆よりはパソコンの方が理解を深める筆記方法だという。しかも横書きを好まれるという。
 旧約では原初「神」は、「ヤーウエ」は、「名を持たない」というのが定説だから、このタイトルは挑戦的である。ラッチンガーは、現代は(近代というべきか、いずれにせよモダーンは)神の不在の時代と定義するところから始める。神の不在とは人間主義が支配する時代である。つまり、人間を救うのは人間であり、世界を支配する力は人間の手の内にあり、人間のみに力がある。力を失った神はもはや神ではなく、人間にのみ力があるところでは神はもはや存在することを許されない。ラッチンガーの近代主義批判は明確である。
 とはいえ、かれは近代主義を全面的に否定しているわけではない。この点の識別はラッチンガー理解、広く言えばカトリック理解にとり決定的に重要と思われるが、それはいずれ本書でも取り上げられるだろう。ヒューマニズム万歳、人間主義第一、の思想が支配する現代日本でこのような思想や主張が誤解を伴わずにどのように受け入れられるのかわからないが、カトリックの近代主義批判は、受け入れるにせよ、否定するにせよ、正確な説明と理解を必要とする。その意味でも本書の意義は大きい。
 神を認識できない、とは神の存在証明とかの理論的問題ではないとラッチンガーはいう。それは、現代社会では、人間が生き方がわからなくなった、人間が世界に対し、自分自身の人生に対しどのように関わったら良いのか、がわからなくなったからだ、という。「我」「汝」「我我」という相互関係にどのような関わりをもっていると考えるのか、が神への関係を決めるという。
 現代人の多くが人生への関わり方がわからなくなっているとしても、ラッティンガーは、「人間には見られているという意識があります」という。詩編139・1-12が説明される。

主よ、あなたは私を究め、私を知っておられる。
座るのも立つのも知り、遠くから私の計らいを悟られる。
歩くのも、伏すのも見分け、私の道にことごとく通じておられる。

「神が見ているという意識」とは何のことか。それは、「監視」でありかつ「見守り」だという。日本文化風に言えば、「天知る・地知る・我知る」と同じことなのだろうか。隠しカメラは監視か見守りか。幼児を抱くことは監視なのか見守りなのか。どうも違うようだ。ラッチンガーは、それは旧約の神は「正義の保護者」として語られているからだという。えっ、なんのこと?となるが、ここでは出エジプト記3・7が説明される。難解だが本節の頂点といってよいかもしれない。この論点はこれからも繰り返し出てくるので、ここでは触れるにとどめておきたい。
 ここで、再び、神に名があるのか、という問いに戻される。旧約の神が名を持つのは多神教世界の名残なのか。そうではないという。イスラエルの神に対する信仰の発展の中で神の個々の名前が時代と共に生まれては消えていった。確かにヤハウエの名は残った。しかし、十戒の第二戒との関連で、イエスの時代より遙か前に、既に発声されなくなっていたという。つまり、「新約聖書は神の名を知らない。イエスより遙か以前に、旧約聖書のギリシャ語訳において既に、神の名は例外なしに「主」(キュリオス)という呼び名によって置き換えられていた」。
 しかし、新約聖書において神は名を持ち始める。神は名によって呼ばれ始める。神はペルソナだから、名がなければ呼びかけられない。名を持つとは呼びかけることができるということだ。ラッチンガーはこれを「交わり」と呼ぶ。「キリストは真のモーゼであり、神の名の啓示の完成」だという。われわれはイエスを通して神に対し「なんじ」と呼びかけることだできる。
 では、神の名はなにか。「わたしは『わたしはある』である」。I AM WHO I AM.(当然議論・論争の的で、日本語でも定訳はない。「わたしはあるという者だ」(共同訳)「わたしは、『ある』ものである」(フランシスコ会訳))これが神の名だ。この神の名はイエスから理解されると、「私はあなた方を救う」「神の存在は救い」となる。 本節はお説教としては話が少し彼方此方に飛んでいる嫌いがあるが、本書への導入としてはとても興味深く読めた。

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