カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「プロテスタンティズムとは何か」(その2)(学びあいの会)

2017-11-27 22:24:44 | 神学

 10月の学びあいの会は台風の襲来で中止となったため、集まりは二ヶ月ぶりとなった。そのため報告の内容は広範囲に及び、レジュメも5枚にわたった。簡単に要約して紹介してみたい。今回紹介された小笠原師の講義の目次は次の通りである。

Ⅱ プロテスタント教会の出現とその展開
Ⅲ エキュメニズムの展開
Ⅳ 日本におけるプロテスタント諸派

順を追ってみていこう。

第二部 プロテスタント教会の出現とその展開

 ここは4章構成で、1 ルター派教会の出現 2 スイスにおける宗教改革 3 イギリス国教会の誕生 4 新プロテスタンティズムと古プロテスタンティズム:再洗礼派の出現 となっている。

1 ルター派教会の出現

 ここはドイツの話しである(ドイツはまだ存在しないが一応ドイツと呼んでおく)。
①前回見てきたように皇帝カール5世が教会の和解を図って1530年に召集し、アウグスブルクの信仰告白が代読されるが、和解は失敗。1531年に反皇帝、反カトリックのシュマルカルテン同盟が結成される。
②1546年にルターが死去すると、翌年シュマルカルテン戦争が勃発し、皇帝軍側が勝利する。1554年にアウグスブルク帝国議会で宗教和解がなされる。二種陪餐(パンと葡萄酒)が認められる代わりに、従来の信仰が認められる。だがこれは、事実上、カトリックとプロテスタントの分裂が承認されたことにもなり、和解は不可能となる。ここで有名な命題が確認される。

cuius religio, eijus religio
(領主の宗教 = 領民の宗教)

つまり、領主がプロテスタントなら領民もプロテスタント、領主がカトリックなら領民もカトリック という枠組みが成立する。領邦教会制と呼ばれることもある。現在のドイツにまでこの影響は残っている。現在は、社会移動があるとはいえ、州ごとの違いは大きい。
③1555年以降、アウグスブルクの決定の法的正当性を巡って争いが起きるが、結局1558年にプロテスタント教会が成立し、カトリックとプロテスタントの地域的区分が明確化される。プロテスタントは教皇を持たないため無政府状態になり、分派が次々と生まれてくる。しかもこれら分派がナショナリズムと結びつき、ヨーロッパ全土は混乱状態に陥る。1580年にルター派は分派を阻止しようと「一致信条書」を発行するが、効力はなかった。

2 スイスにおける宗教改革

①ツウイングリ Zwingli, Huldrych (1484-1531) (ツヴィングリ表記の方が多いか)
バーゼル大学、ウイーン大学を経て1506年に22歳で叙階。エラスムスに私淑するも、1519年に福音主義に転ずる(驚くべきことに、これは95ヶ条の提題からわずか2年後のこと。スイス・プロテスタンティズムの始まり)。1525年にはチューリッヒ市はツウイングリの影響でプロテスタント化し、ミサが廃止され、修道院が閉鎖され、教皇制・位階制は否定された。ドイツ語の聖書を使った典礼が行われ、司教から独立した教会運営が信徒中心になされ、長老派形成の先駆けとなる。1529年にはカッペルの戦争が行われ、今度は福音派がカトリックに勝利する。同年マールブルグの宗教会議が開かれ、聖体(パンと葡萄酒)の聖変化はミサの間だけという聖体論が確認される。カトリックの聖体論とは異なってくる。1531年に第二次カッペル戦争がおこり、今回はカトリックが勝利して、ツウイングリは戦死してしまう。以降17世紀半ばまで宗教和平が維持された。
②カルヴァン Calvin, Jean (1509-1564)
フランス生まれ。そのため名前はフランス語読みである。1533年にプロテスタントに改宗し、バーゼルに逃走する。1536年に『キリスト教要綱』を発表し、プロテスタント神学を体系化した。宗教改革を決議したジュネーブに招かれ、厳格な改革を断行した。ルターは「二王国論」で、教会と国家は別と考えていたが、カルヴァンは政治と宗教の一体化を求め、宗教国家の設立を考えていた。教会は、監督制(司教制)を廃止され、牧師と長老が支配する長老制が成立する。教義では聖書主義、予定説を説いた。聖像(十字架やマリア像など)は否定・撤去され、聖餐はたんなるシンボルと主張して、聖体シンボル論が成立させる。
③フランスに飛び火したカルヴァン派
カルヴァン派はフランスではユグノーと呼ばれる。 Hugue notes で、連合組合員 とでも訳せるようだ。カトリックからの蔑称ともいわれる。36年にわたるユグノー戦争(1562-1598)はアンリ4世のナントの勅令で終結するが、以後絶対王政の礎石が据えられたという。カルヴァン派はフランスやドイツでは定着できず、東欧・オランダ・イギリス・北米・スコットランドへと移住していく。

3 イギリス国教会の誕生

①イギリス国教会(Anglican Church 日本では聖公会と呼ばれる)はヘンリー8世(1491-1547)の離婚問題が原因で生まれたことはよく知られているが、ヘンリー8世は当初はルターを批判しており、「信仰の保護者」(fidei defensor)とされていた(イギリスのコインには現在でもこの刻印が残っているようだが、何の意味があるのだろう)。キャサリンとの離婚とアンプーリンとの結婚は教皇パウロ3世が許さず、1538年には破門される。怒ったヘンリー8世は1543年に首長会を作って英国国教会を成立させるが、教義と典礼はカトリックのままであった。当時カトリック教会が持っていた修道院の財産はイギリスの国家財産の半分を占めていたといわれ、ヘンリー8世はすぐさま修道院財産を没収した。ヘンリー8世の真意はここにあったのかもしれない。
②ヘンリーの息子エドワード6世(1547-53)は予定説の採用などプロテスタント化を強めたが、メアリー1世(1553-1558)はカトリックで、プロテスタントを弾圧した。エリザベス1世(1558-1603)はプロテスタントだが中道策をとった。だが対立は解消せず、結局、「イングランド教会39条」を作って英国国教会を確立した。王は国家と教会の最高統括者とされ、主教制がしかれる。主教は同時に貴族院議員を兼ねるという。
③スコットランドではカルヴァン派がピュウリタンとして定着する。1559年にジョン・ノックスが長老派教会を組織した。チャールズ1世時代、国教会の祈祷書がスコットランドに強制されたことを端緒に、1640年代に非国教徒による内乱が起きる。ピューリタン革命である。これは、チャールズ1世を支持した国王派と反国王的な議会派との間で戦われたイギリスの内乱(1640-1660)で、清教徒革命とも呼ばれる。1658年のクロムウェルの死により、1660年に王政復古 Restoration を迎え、国教会が復活するが、ピュウリタン革命は基本的には英国国教会への反発といえる。

4 新プロテスタンティズムと古プロテスタンティズム:「改革の改革」と再洗礼派の出現

①プロテスタントは、対カトリックとの戦いから、聖書の解釈を巡ってプロテスタント内部での戦いに比重が移る。敵はカトリックではなく身内になってしまう。分裂と混乱はプロテスタントの病理ともいえる(これは小笠原師の評価)
②再洗礼派は、初期のプロテスタント(ルター・ツウイングリ・カルヴァン)を古プロテスタントとみなし、自らを新プロテスタントとした。幼児洗礼は無効で、再洗礼が必要となる。教会は個人の選択による自発的結社で、領主による一括支配は認めない。教会と国家の分断・分離を主張したため、当時はカトリックとプロテスタント双方から迫害されたようだ。教区は持たないという。スイス・南ドイツ・オランダで広がる。メイナイトは1536年にアナバプティスト運動に身を投じたオランダ人の元カトリック司祭であるメノー・シモンズ(Menno Simons 1496-1561) の名前からきている。つまり、メイナイト系教会はルターやカルヴァンとは異なる宗教改革運動から生まれており、アナバプティストをルーツとしている。anabaptist のanaは「再び」という意味なので「再洗礼派」と訳されるようだ。アメリカに移住すると、アーミッシュ Amish と呼ばれるようになる。
③バプティストももともとはイングランドのピューリタンの一派で、長老派と対立していた。幼児洗礼を認めない大衆的なプロテスタントで、現在はカルヴィニズムにたつ特定バプティスト派(particular baptist)が主流で、北米とアフリカが中心の巨大宗派だという。
 こういうプロテスタント教会の違いは複雑なので、念のため別表にキリスト教会一覧を載せておく。

第三部 エキュメニズムの展開

 エキュメニズムとはいうまでもなく教会一致の促進運動のことだ。元来はキリスト教会内でカトリックと東方教会の和解に力点が置かれていたが、やがてカトリックとプロテスタントとの和解に範囲が広がり、現在ではもっと幅広く諸宗教間の対話の努力をも意味するようになってきている。

1 ルターの歴史的評価

 ルターの教会改革運動は、さまざまな教会改革運動の一つであり、ルター自身は当初は新しい教会の設立を目指していたわけではない。むしろ教皇庁の対応がルターを追い詰め、政治闘争へ発展してしまった。増田師の言葉を借りれば、「初期消火に失敗した」わけだ。政治史的にはドイツ統一にルター派は利用されたともいえるという。

2 カトリック側からのエキュメニズム

①エキュメニズムの時代的経過 19世紀後半から、3000教派にも分裂したと言われるプロテスタント教会間で協力の動きがはじまったが、カトリックは当初東方教会との接触に努力した。だが、コンガールやキュンクの神学の影響のもとに、1964年には第二バチカン公会議で「エキュメニズムの教令」が出された。これを契機に運動は活発化していき、現在まで続いている。プロテスタントとの対話だけではなく、他宗教との対話も進んでいる。
②第二バチカン公会議でカトリック教会の自己理解は深まる。教会は「世界のための秘跡」だとし、教条主義からの脱却を図る。この場合、秘跡(サクラメント)とは目に見えない神秘を目に見える形で示す感覚的な象徴のことで、アウグスティヌスの定義に倣う。対話の相手はエキュメニカルな態度で選ぶ。つまり、かってのように教会が真理であるとはいわず、つまり、真理を独占しているとはいわず、真理は「教会の内にある」と表現することによって、教会の外にも真理が存在することを認める。「同心円的教会観」と呼ばれるものだ。とはいっても、意見の相違は現在でもあり、プロテスタントは教皇制・位階制(司教制)・使徒伝承などを認めない。将来もキリスト教会が一つになることはないだろうが、相互の理解と協力は進んで行くであろう。

3 エキュメニズムの現状

 カトリックとルター派教会との対話は着実に進んでいる。1999年には「義認の教義に関する共同声明」が出され、義認論と義化論の対立にほぼ終止符がうたれた。2017年には「宗教改革500年記念共同文書」が発表された。2016年10月31日にフェデンルントの教会で開かれた宗教改革記念日にはフランシスコ教皇も出席された。

第四部 日本におけるプロテスタント諸派

 日本にキリスト教が伝来したのは1549年で、禁教令は1612年に出される。プロテスタントの諸宗派は江戸末期、明治維新前に日本に布教・宣教に入っているものが多い。正教会は1861年にウイリアムズが来る。1859年頃長老派ではヘボンが、改革派ではブラウンが来る。会衆派(組合派)は1869年にティバイスがアメリカン・ボードから来る。バプティスト系も1860年代に入ってくる。メソジスト系は1873年頃で、ルーテル系は少し遅れて1890年代だ。
 日本のキリスト教会史の最大の問題は教会が1941年に日本基督教団に合同させられたことだ。この日本基督教団は戦後も続くが、日本聖公会・日本福音ルーテル教団・日本バプティスト連盟など脱退・独立していった教会も多いという。この日本基督教団は、無教会主義と並んで、日本固有のプロテスタントだという。メイナイトなど戦後に来日した教団もある。また、モルモン教・ものみの塔(エホバの証人)・統一教会などキリスト教系新興宗教もあるが、これらはカルト宗教でキリスト教とは見なさない人が多いようだ。参考まで別表を載せておきます。なお、カトリック教会・プロテスタント教会・東方正教会の区別がつかない方のために、学びあいの会で今回配布された図表を載せておきます。
 ということで今日の話は話題が多岐にわたった。もう少し詳しい説明がほしいところだが、なにぶん時間がない。講義後の話し合いはおもにエキュメニズムについてであった。エキュメニズムという言葉はバチカン公会議直後はよく聞かれたが、最近は余り聞かれない。残念なことである。また、カトリックと、聖公会・東方教会・ルター派との話し合いは進んでいるようだが、改革派や長老派との話し合いは余り聞かないがどうしてだろう、という質問があった。色々皆で印象を語り合ったが、これという答えは見つからなかった。エキュメニズムの今後を注視していきたい。

 

 

 

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『愛と英知の道』(1)(神学講座)

2017-11-20 09:32:06 | 神学

 H神父の神学講座はしばらくお休みということなので、W.ジョンストン師の新刊書を講座参加者の皆さんと一緒に読んでみたい。この度、師の著作 Mystical Theology (1995) がやっと翻訳・出版され、日本語で読めるようになったのはこの上ない喜びで、監訳者の九里彰師(姓はくのりと読む)、訳者の岡島・三好・渡辺さん、出版社のサンパウロに感謝したい。訳者たちはジョンストン師のもとに集まった「いつくしみの会」の方々のようだが、ジョンストン師はカト研の指導司祭でもあった。カト研のみなさんの中にもすでに読まれた方がおられるかもしれない。どのような印象を持たれたであろうか。私は、師の声を聞いているようで何かなつかしい気持ちになった。

 さて、本書の原題は Mystical Theology である。日本語訳の題名は、『神秘神学』や『霊性神学』ではなく、『愛と英知の道』となっている。これは素晴らしい題名の付け方だと思う。いろいろ議論の末にたどり着いた題名なのであろう。この「英知」は wisdom の訳語だ。ジョンストン師は本書の中で、誤解を恐れずにいえば、神秘主義神学では、またはもっと限定的には十字架の聖ヨハネにおいては、「愛」はいわば手段・方法で、「英知」の獲得が観想のゴールだと言っている。本書は、愛を通して英知に至る道を説いているというのが、題名の趣旨であろう。
 原書の副題は The Science of Love だ。これを 「愛に関する学問」、「愛についての科学」、「愛という術(わざ)」などと訳しても意味をなさない。訳者たちは「すべての人のための霊性神学」と訳している。これもよく考え抜かれた良い訳だと思う。Love の訳語が入っていないのは残念だが、「愛の霊性神学」ではくどいので、これはこれで良い訳だと思う。
 このタイトルの訳語の問題は、本書が誰に向かれて書かれたのか、という問いにつながる。ジョンストン師の前著『愛する』(2004・南窓社)は祈る人の観想の手助けとして書かれている。いわば信者向けだ。本書もその性格を持ってはいるが、もう少しアカデミックだし、、実践的だ。また、意図も野心的だ。師はこう述べている。「本書は、十字架の聖ヨハネが16世紀に向けてなしたことを、21世紀に向けて行おうとする」(26頁)。
 また、ジョンストン師の英語は流麗で格調高い。古めかしい表現も含まれるが、きれいな英語だ(師はパソコンは使えず、原稿はすべて手書きだったようだ)。内容も専門書といえる。索引も充実している(索引のない本は専門書とはみなされない)。つまり、本書はたんなる信心書ではない。この点で言えば訳文は「ですます調」で、とても読みやすいが、やはり観想の祈りの手引きという印象を与える。九里師は本書は神学校の神学課程の修徳神学の教科書としても使えると言っているが、本書の射程距離はもう少し広く、もっとアカデミックだと思う。原書が持っているアカデミックな性格がもう少し強く出れば、読者も専門家や一般人に広がり、多くの人が手に取りやすくなるような気がした。といってもこれは無い物ねだりで、日本語の訳文は本当によく練られている。翻訳に6年かかったとのことだが、訳者たちに敬意を表したい。

 さて、それでは本書の目次を見てみよう。本書の特色の一つは、著者のジョンストン師が、15頁にわたる詳しい序文をつけて、本書の内容、目的、意義を述べていることだ。また、監訳者の九里師が「はじめに」と「解説」において本書の現代神学上の位置付けをしてくれていることだ。ジョンストン師はイエズス会、九里師はカルメル会だ。修道会の違いは一般にはあまり意識されないが、カルメル会の霊性の中心は祈りと観想だ。そしてジョンストン師が本書の中心に置き、神秘主義神学の代表者として論ずるのが十字架の聖ヨハネである。十字架の聖ヨハネは、スペイン・アビラのイエスの聖テレジアとともに16世紀にカルメル会の改革をはたした聖人である。九里師が監訳者として詳しく解説を書かれたのはよかった。九里師は生前のジョンストン師に一度会われているようで、かれの温厚な人となりはよくおわかりのようである。

 本書は全体が3部に分かれている。第一部は「キリスト教の伝統」と題され、6章からなる。神秘主義神学の成立と発展の歴史が紹介される。第2部は「対話」と題され、4章からなる。かっての神秘主義神学では現代の問題・課題に対応できないとして、特に自然科学・アジア的霊性・性の問題を神秘主義神学の立場から論じる。第3部は「現代の神秘的な旅」と題され、最初の第11章~17章では主に十字架の聖ヨハネに従いながら新しい神学の「構想」を述べる。残りの第18章・第19章は「活動」論で、社会参加や現実的関与の神学的意味が解き明かされ、ジョンストン師の主張が展開される。つまり全体としていわば正反合の弁証法的構成になっている。その叙述の仕方は、キリスト教では伝統的な(ビザンツ的な)手紙・対話形式ではないし(例えば『愛する』)、またトマス主義的な質問・否定・正解というカテキズム方式(例えば『神学大全』)でもない。オーソドックスな論述式なのでフォローしやすい。
念の為に目次を見てみよう。


第一部 キリスト教の伝統
第1章 背景(1)  第2章 背景(2)  第3章 理性 対 神秘主義  第4章 神秘主義と愛  第5章 東方のキリスト教  第6章 愛を通して生まれる英知
第二部 対話
第7章 科学と神秘神学  第8章 修徳主義とアジア  第9章 神秘主義と根源的なエネルギー  第10章 英智と空
第三部 現代の神秘的な旅
第11章 信仰の旅  第12章 浄化の旅  第13章 暗夜  第14章 愛のうちにある  第15章 花嫁と花婿  第16章 一致  第17章 英智  第18章 活動  第19章 社会活動の神秘主義  補遺 般若心経(現代語訳)

 カトリック神学に馴染みのない人にはわかりずらい訳語もあるので少し補足しておこう。第6章の英知とはwisdomの訳語だ。wisdomは旧約の知恵の書のように知恵とも訳されるようだ(知恵の書はプロテスタントは認めていない)。第8章の修徳主義とはasceticismの訳語だ。禁欲主義という訳語より修行・苦行の側面を強調しているようだ。第10章の空とはemptinessの訳語だ(というより空(くう)をemptinessと英訳しているというべきか)。第14章の「愛のうちにある」は Being-In-Love の訳で、単なる Love とは区別されており、重要な概念だ。(ちなみにジョンストン師の前作『愛するの』の原題はBeing in Loveである)。  第18章の活動はaction,第19章の社会活動はsocial action の訳語だ。actionは、actと区別して、行為、行動、運動などの訳語もありうるだろうが、『現代世界憲章』では「社会活動」(34項)、『カトリック教会の教え』では「人間の活動」(第3部第7章第2節)と訳され、「活動」が定訳のようだ。 補遺の般若心経は The Heart Sutra の岩波文庫の中村元訳が使われている。

 それでは本文をのぞいてみよう。まず「序」がある。この序文は普通によく見られる序文とは異なり、長文で(15頁)、詳しく、本書全体の要約のようでもある。この分厚い本書全体を読み通せないなら、この序文だけでも読むに値する。だが、ジョンストン神学に通じていないと理解はなかなか難しいともいえる。

 ジョンストン師は本書を書いた主な理由を二つあげている。ひとつは20世紀に入って神秘神学への関心が急速に高まってきたが、適切な道案内と手助けになる本がないので、新たな神秘神学の入門書が必要になってきているからだという。二つ目は、既存の神秘神学は現代の問題や課題(自然科学・アジア的霊性・性・社会問題など)に応えられないので、新しい神秘神学の体系化が必要だ、というものだ。極めて野心的・挑戦的な課題設定である。
 第一の課題は、神学がどのように発展してきたかを整理・フォローすることから始まる。最初まず神秘主義は3世紀のオリゲネスに始まる。理論化は同じく4世紀にカッパドキアの3教父の否定神学としておこなわれる。やがて開花期の神秘主義神学は5世紀末に登場したシリアの修道士ディオニュソスによって基本的に頂点に達する。トマス・アクィナスを経て14世紀に入るとラインラント、フランドル、イングランドにきら星の如く神秘家たちが登場する。『不可知の雲』を著した英国人、十字架の聖ヨハネに代表されるスペインのカルメル会の修道者たちが古典的な神秘主義神学を完成する。本書は基本的に十字架の聖ヨハネの教えにしたがって古典的な神秘神学の解説をおこなっていく。20世紀に入ると神秘神学は「修徳神秘神学」と呼ばれるようになり、神学校で教科として教えられるようになる。ジョンストン師の神学校時代である。やがて第二バチカン公会議のあと、神秘神学は教科としては姿を消す。「現代世界」に適合的ではないとみなされたようだ。だがこの間ジョンストン師は静かに神秘神学を研究し、実践し、生き延びていく。そして師が到達した結論はこうだ。「21世紀の人たちのために神秘神学を書き直す時が来ている」(15頁)。
 十字架の聖ヨハネによれば、神秘神学とは観想のことだ。「神学とは、知恵のことである」という古くからの伝統に従い、聖トマスは神秘神学とは「愛から生まれる秘められた英知」だと定義する。つまり観想のことだ。だがジョンストン師は、この定義を現代に適合するように修正・発展させる。神秘神学の新しい定義は「愛から生まれる秘められた英知について考察し、それを説く学問」となる。ではここでいう愛とはなにか、秘められたとはなんのことか、英知とはなにか、が問題となる。まず愛とは、神への人間の愛ではなく、人間への神の愛のことを意味する。だから神秘的体験とはこの神から注がれる愛を深く体験することを意味する。具体的には観想である。観想は、最初は神の気配をおぼろげに感じるだけだが、やがて<内的な火>となってくる。浄化が始まる。この生ける炎を聖霊とよぶ。
 つぎに、<秘められた>とはなんのことか。それは神秘的な知識のことをいう。つまり、<無>として、<空>として、<虚空>として体験される、不可知の雲の中に隠れたぼんやりした形のない知識のことをいう。つまり、知識には二種類あって、一つは知るという普通の生活や科学や学問に用いられる知識だ。もう一つは、あいまいで、暗く、形がなく、ぼんやりした知識だ。この二番目の知識こそ、<秘められた神秘的英知>とよばれる。いわば、実用的知識と神秘的知識の区別といえようか。そしてこの曖昧模糊とした秘められた知識こそ、<光>とよばれ、<内的な火>とよばれ、キリスト教の神秘体験の中核をなしている。聖ヨハネはこれを<不知の知> (knowing by unknowing) と呼ぶ。訳者たちはこれを「理解しないで理解すること」と注釈しているが、観想とは不知の知のことである。なにか禅問答のようですが、黙想や観想を経験しないとわからないことなのかもしれません。

 また、聖ヨハネの神秘神学にはスコラ学が深い影響を与えている。たとえば、霊魂の三能力(知性・記憶・意志)は「対神徳」(信・望・愛のこと)だと説明するが、これは文字通りスコラ学だ。だが、これでは現代の神秘神学にはなりえない。そのため、ジョンストン師はB・ロナガンの方法論を援用し、<愛のうちにある> (Being-in-Love)論を取り入れて、現代型の神秘神学の体系化を目指そうとする。
 神秘神学を現代型に新たに書き直そうとする時、直面した課題がいくつかある。まず第一に「時代に即したものにする」こと(25頁)。修道士や修道女のための神秘神学ではなく、普通の信徒や一般人のための神学でなければならない。具体的には神秘生活における<性の役割>を解明する必要がある。第二に、アジアの宗教がすぐれて観想的であることがわかってきた。仏教やヒンズー教などのアジア的霊性から<瞑想>について多く学んでいく必要がある。第三に自然科学の発展がある。ガリレオやニュートンやアインシュタイインのような偉大な科学者の発見によって作られた現代人の宇宙観を組み込んだ神学が必要になっている。第四に現代人がもつ社会的関心を組み込まねばならない。現代世界の不平等、格差、環境破壊、など<社会的な苦悩>に立ち向かえる神学でなければならない。 「序」の最後にジョンストン師はこう述べている。「ですから、本書は、十字架の聖ヨハネが16世紀に向けてなしたことを、21世紀に向けて行おうとする、ささやかな試みです」(26頁)。
 本文には次回から入っていきたい。

 

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『使徒信条を詠む』(完)(神学講座)

2017-11-01 15:00:28 | 神学

 諸聖人の祭日の今日は晴天に恵まれ、多くの方がごミサにあずかっていました。11月の神学講座はお休みとのことだ。H神父様は担当する教会の巡回で時間がとれなくなっているという。10月29日のバザーは台風にみまわれたが無事に済んでよかった。わたしも出店されたサンパウロさんから、ジョンストン師の『愛と英知の道』(Mystical Theology の日本語訳)を入手できラッキーだった。監訳者のカルメル会の九里彰師は存じ上げないが、いずれ機会を見て読後感を紹介し、カト研のみなさんと一緒に学んでみたい。


 さて、「使徒信条」は前半が三位一体論、後半が教会論だ。前半部分は今までの第1節ですでに読んできたので、今回の第2節では教会論をとりあげる。第2節の表題は「人間の救いーあらゆる人間にとっての救いの諸要素への同意」と題されている。全体で5講義からなっている。

第15講 「聖なる普遍の教会」および「聖徒のまじわり」を信じます
sanctam ecclesiam chatholicam; sanctorum communionem;

 教会共同体の特徴は従来4つあるとされてきた。「一」・「聖」・「公」・「使徒継承」の4つだ。ニケア・コンスタンチノープル信条で「一」と「使徒継承」という特徴が付け加えられたが、古くから「聖」と「公(普遍)」が強調されてきた。「聖なる普遍の教会」とはそういう意味だ。では「聖」とはなにか。これは聖俗論として宗教学・人類学で果てしない議論が今でも続いている。阿部師は「聖とは神との親しさ」とストレートに定義し、マルコ8・27~35をてがかりに論じているが、さっとふれているだけである。「普遍の教会」の「普遍」という言葉を聞くとわれわれはすぐ実在論と唯名論をめぐる中世の「普遍論争」を思い起こすが、普遍の教会とは「公教会」のことでエクレジアのことだ。岩下壮一師は「聖公会」と呼んでいる(『カトリックの信仰』)。また最近は「普遍」(カトリック)はナショナリズム論との関連で「ナショナル」の対概念として使われることもあるようだ。ところが阿部師はここでは教会における「召し出し」(召命)の話をはじめる。講話だから話が飛ぶのはわからなくもないが、話の流れがよくわからない部分だった。
 もともと阿部師はエクレーシアの訳語として「信仰協働態」をあてるべきで、「従来の教会教同体という訳はエクレーシアという原義の豊かさを損なうと思います」(7頁)と述べている。興味深い訳語だが師はこの話題には深入りせず、、教会はゲマインシャフトかという大問題に立ち入らなかったのは賢明だったとも思える。とはいえ、「協働態」という日本語はちょっとなじまないという印象も受けた。

 「聖徒のまじわり」も簡単に説明されているだけだ。かっては「諸聖人の通功」と言っていたが、Communio Sanctorum のとらえ方がカトリックは広いのでプロテスタントは認めないところが多かった。そのためだろうか、現在は「まじわり」と表現されるようになったようだ。阿部師は聖徒のまじわりとは「幅広い層に広がる教会の信仰者たちの交流のことを指しています」と定義している(203頁)。「幅広い層」とはなんのことか。それはカトリックでは、「天上の教会」[煉獄の教会」「地上の教会」のことをさす。つまり聖徒には「すでに死んだ」聖人も含まれることになる。プロテスタントとの対立点のひとつでもあったのだから阿部師にはもう少し丁寧な説明をしてほしかった。
 そのかわりというか、ここで阿部師は「悪の問題について」と「救いの神学的理解について」という二つの大問題をとりあげる。「悪」の問題については、キリスト教がアウグスティヌス的な「善の欠如」として理解したのはオリエント的な善悪二元論が認めがたかったからだという説明をおこなう。ベネディクト16世を引用しながら悪を克服する手段にふれているが、それにしてもなぜ今時「善の欠如論」など持ち出すのだろう。師の意図がよくわからなかった。


 他方、「救いの神学的理解」の部分は説得力がある。救いの理解についてはラテン教会型、東方教会型の二種類があるらしい。義化論と神化論の違いと言っても良いらしい。師は、「神と人間との親密なかかわり」を重視するギリシャ教父の理解、東方教会型の理解がいかに優れているかを力説している。師はこの対比を図式化しており、それはとても興味深い説明なので、念のために書き写しておきました。ここで描かれているように、ギリシャ教父の救い理解の特徴は二点あるという。①キリストをとおして神の栄光に導かれる(神化する)②歴史そのものが神によって救われる(すべての人の救い)。師は最後に岩島忠彦師にならって、救いの特徴を以下の三点に整理する。①救いは神からだけ来る(旧約聖書の理解)②救いはイエス=キリストにおいてのみ現れた(新約聖書の理解)③人間はキリストに従う時、救いの何であるかを知ることができる。ギリシャ教父は師の専門領域のようだから力が入っている。師が書かれた図を載せておきます。

第16講 「罪のゆるし」を信じます remissionem peccatorum;

 実は『カトリック教会のカテキズム』には、「ゆるし」に就いての記述はすごく少ないのだそうだ。確かに調べてみると、第2編第二部の「いやしの秘跡」の部分で軽くふれられているだけだ。それは、ゆるしとは理論的に論じても意味がなく、具体的な実践のことだからだという。ということで師は聖書の中から「ゆるし」の場面を拾ってきて解説を重ねる。特に変わった説明はない。
 むしろ興味深いのは最後に師が突然「修復的司法」(Restorative Justice)の話を始めることだ。修復的司法とは従来の「応報的司法(Retributive Justice)の限界を乗り越えるためにおもにプロテスタント系の法学者にあいだで提唱されている被害者救済策の一つのようだ。日本でも犯罪社会学のなかで被害者論が登場してきている。重要な論点であることは間違いないが、阿部師がなぜここで修復的司法の話を持ち出してきたのかよくわからない。むしろ、具体的なゆるしの問題としては、例えば、いわゆる「チャプレン」問題をどう考えるのかを論じてほしかった。日本では論じられることのない、軍隊における従軍司祭・牧師とか、刑務所の「教誨師」とか、病院・介護・医療施設において宗教的ニーズに対応する宗教関係者の役割とか、神学者に踏み込んで論じてほしい論点だ。

第17講 「からだの復活」を信じます carnis resurrectionem,

 ここでは、「復活」とは何かについては論じられず、もっぱら「からだ」の意味が論じられる。からだとは「人間のありのままのすべて」のことで、「丸ごとの人間」のことをいうという。つまり、人間を「身体」と「魂」に分解して、その合成物として人間をとらえる近代主義的人間観を批判していく。ここから阿部師は近代社会の「人間中心主義」と、それがもたらした「無神論」を批判していく。キリスト教は、ギリシャ哲学、とくにプラトン主義にみられる「たましい」(近世以降のヨーロッパの[魂」理解とは少し異なるので表現をかえてひらがな表記している)の肯定的評価と「肉体」の蔑視観を批判し、肉体の価値の見直しをしたことを強調する。人間をたましいと肉体に峻別するギリシャ的価値観は神の創造のわざを否定する思想として拒否し、見直しを求めたという。具体的には創世記を中心に説明していく。これはこれでよくわかる説明であるが、「近代主義」批判を「人間中心主義」批判からのみ展開し、社会構造の変化や歴史的視点に言及しないのはラッチンガーを慕う阿部師らしくない気がちょっとした。

第18講 「永遠のいのち」を信じます et vitam aeternam.

 この最後の講話は力が入っている。説明も21頁におよび、しかも詳しい。
阿部師はまず「永遠のいのち」とは「人間が神と一緒に安らぎを得る状態」のことをいうと定義する。。これは阿部師が繰り返し行っている主張だが、自己中心的で自分のことしか考えない人間が、「相手に寄り添っていっしょに幸せになっていけること、相手のことを大切にできるような状態」のことを「永遠のいのち」とよび、「これがキリスト者が目指す生き方の究極目標だと、いまは考えています」(230頁)と述べている。「相手に寄り添って生きる」というのが阿部師の持論だ。
 さて、師はこの講話をごミサの「入祭のあいさつ」の説明から始める。三位一体の神は人間の「回心」(立ち返り)を待ち焦がれており、それはミサの冒頭から明らかだという。ごミサが始まると、司祭がまず「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともに」と唱えるとわれわれはオーム返しに「また司祭とともに」と応答する。わたしはただミサが始まったなと思うだけでそれほど深く考えたことはないが、阿部師はここにこそ三位一体の神の特徴が集約されているという。恵み・愛・まじわり、という言葉だ。それほど大事なら、念のために『6カ国語ミサ式次第』での表現を覗いてみよう。

ラテン語
Gratia Domini nostri Jesu Christi, et caritas Dei, et communicatio Sancti Spiritus sit cum omnibus vobis.

Et cum spiritu tuo.

英語
The grace of our Lord, Jesus Christ and the love of God and the
fellowship of the Holy Spirit be with you all.

And also with you.

フランス語
La grace de Jesus notre Seigneur, l'amour de Dieu la Pere, et la communion de l'Esprit Saint,soient toujours avec vous.

Et avec votre esprit.

スペイン語
La gracia de nuestro Senor Jesucristo,el amon del Padre y la communion del Espiritu Santo este con todos vosotros.

Y con tu espiritu.

日本語ではこうなっている

司祭 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともに
会衆 また司祭とともに


 阿部師は触れていないが、日本語訳でいつも指摘される問題点は、「また司祭と共に」のほうだ。バチカンはこの訳文にずっとクレームをつけている。原文通りでない、忠実な訳ではないという。原文の et cum spiritu tuo は直訳すれば「またあなたの霊とともに」となるらしい。「霊」という日本語はあまりにも多義的なので日本司教団は「司祭とともに」と訳した。訳語の「霊」を押しつけようとするバチカンと、霊は日本語訳としてはなじまないと抵抗する日本司教団の対立は根深い。日本司教団はいまのところここは頑として譲ろうとしないようだ。
 英語も曖昧だ。フランス語は esprit が使えているが、英語では  And also with you で you だ。英語はヨーロッパ言語としては珍しく動詞や名詞などの「格支配」をほとんど失っている。ドイツ語やフランス語にみられる格変化はほとんど消え、前置詞を多用することでなんとかごまかしている。2人称人称代名詞もyouだけで、親称代名詞はない。いまどきthouは使わない。英語は時制も不安定だ。これはこれで文法が単純化されてきているのだからいいともいえるが、こういう英語がいまや世界共通語になろうとしているのだからわれわれ非英語ユーザーは苦労する。日本語は主語が明示されなくとも話は通じる。人称代名詞はないも同然だ。話の「主題」がわかっていればいちいち主語や代名詞なんていらないのだ。と、あれやこれやで、この一番大事な入祭の典礼文も問題含みであることは確かだが、阿部師の論点はここにはない。恵み・愛・交わり が三位一体の神の特徴であり、それがこの入祭の式文に表現されているというわけだ。


 ここから阿部師はヨハネ福音書を使って永遠のいのち・奇跡・復活の説明を始める。どれも阿部師らしい熱のこもった説明だ。そして最後に「四終」の説明をする。四終とは永遠の命に移動する過程を表現するらしいが、具体的には「死」・「天国」・「私審判(煉獄)」・「地獄」のことだという。最近はあまり聞かれない言葉だが、キリスト教の「終末」を理解するための言葉だという。終末とは神の国の完成のことで、「神と万物との和解のとき」とされているという。興味深かったのは阿部師が源信の『往生要集』の第一章「厭離穢土」や世阿弥の『風姿花伝』を使って日本人の死生観をとりあげ、キリスト教の終末論の特徴を対比的に描いていることだ。師は室町時代の日本の文化・芸能(能楽・茶道・絵など)に造詣が深いようだ。そして最後に「善き死の練習」を勧めて講話を終えている。「善き死の練習」とは修道生活の伝統だそうで、「いま、自分が天に召されるとしたら、どうするのかを想定して毎月一回身辺整理をして心を正す修養のこと」(244頁)だそうだ。今風に言えば「終活」でしょうか。

第19講 アーメン-ひとつのまとめ


 アーメンの用法は聖書全体では三つに分類できるのだという。①同意(しかり) ②強調(まことに) ③頌栄(カトリックでは栄唱・しかあれかし)。アーメンという言葉はもともとヘブライ語でユダヤ教のシナゴーグでも使われていたようだし、コリントⅠによればパレスチナのキリスト教会では礼拝の最後で「マラナタ」と唱えてもいたようだ(アラム語・主よ来たりたまえという意味らしい)。阿部師はこのアーメンという唱句を詳しく説明していく。ここも興味深い講話が続く。
 最後に阿部師は、突然、大貫隆『イエスという体験』(2003)を使って、「いま」のイスラエル民族が直面している苦難の現実に目を向けるよう論じ始める。趣旨はあまりはっきりしないがユダヤ人の選民思想のことをいっているようだ。「特別な使命を帯びたイスラエルとして生きているユダヤ人たち」を理解しようと呼びかける。これは現在のパレスチナ問題を考えると、パレスチナ人とは誰か、ユダヤ人とは誰か、イスラエル人とは誰か、という大問題について一つの立場性を選択することだから、講話としてはちょっと踏み込みすぎかなと思わなくもないが、師にはどうしても言っておきたいという思いがおありなのであろう。

 本書はこのあと Ⅲ現代的可能性 Ⅳ番外編 と続くが、使徒信条そのものの解説ではないので省略したい。本書で学ぶことは多かった。内容もさることながら、特に印象的だったのは、阿部師の信仰に対する真摯な態度だった。本書を推薦してくださったH神父様には感謝したい。

 

 

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