Notebook

自分のノートが汚くて読めないので代わりのメモです。

The Specialist’s Hat

2007-11-20 01:32:36 | 書評
著:Kelly Link 2001

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世界幻想文学大賞受賞作品。双子の姉妹が八つの煙突を持つ、城のような別荘で過ごす10歳の夏。過去と現在、生者と死者、現実と異界がシームレスにつながる。最初から死んでいるベビーシッターに誘われた二人は、あるとき「スペシャリスト」の帽子を手にする。最終的に、二人は父親の声をしたスペシャリスト、あるいはスペシャリストのように迫る父親から逃れるように、煙突の中、あるいは異界/死へと登っていく。

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この小説に描かれている世界は、現実的ではなく夢的である。その世界から抜け出してしまえば意味の分からないような出来事や物事が、その世界の中ではきちんとつながりを持っている。たとえば、主人公であるSamanthaとClaireという双子のベビーシッターは、はっきりそうとは描かれていないが、双子の父親が研究している詩人Charles Cheatham Rashの娘であろうことが推測できる。あるいは、森の中の蛇という存在がところどころに登場してきて、最後までモチーフであり続ける。また、文章中に挿入される詩と物語の中の出来事もリンクしている。そのように、物語の要素やモチーフは綿密に構築されているにも関わらず、それがどのような意味や重要性を持つのか、掴むことができない。物語自体は破綻なく進むのだが、それは論理的に展開するという意味ではなく、物語の密度の波のようなものが寄せてきて引いていくような感覚である。その掴みどころのなさが、夢から醒めた後に、「あれはなんだったんだろう」と振り返る感覚に似ている。印象には深く残るが、それが何であるかということを意識することが難しい。

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ただ、双子の少女や、煙突、詩人、蛇、死人ゲームなどの幻想的な要素を考えてみると、それは私たちが実際に見る夢の要素というよりは、いかにもファンタジーに出てきそうなありがちな記号群であるように思える。それがありがちな物語に帰結していないのは、それらの記号に、なんの意味も与えられていないからだろう。たとえば蛇が何かの分かりやすい象徴であったり、物語の中にわかりやすい善悪が描かれていたりすれば、作品はたちまち凡庸になるのだろうが、この作品の中には、ありがちな記号(前述したファンタジー的要素や、娘達に無関心な父親、死んだ母親など重要なテーマになりそうな人物や出来事)が散りばめられながら、それらが一向に回収されない。そのように考えてみると、分かりやすい記号に囲まれながら何にも意味を見出せない状況というのは、今度は夢的というより現実的な状況なのではないかという気がしてくる。そもそも、現実世界が夢的なのかもしれないし、あるいは、夢と現実の境界線上のような淡いリアリティが、この作品にあるのかもしれない。

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夢と現実に限らず、境界を揺さぶる、という感覚が、この作品の設定の中にいくつも見出せる。主人公が双子という設定や、”Claire and Samantha are identical twins. Their combined age is twenty years, four months, and six days. Clair is better at being Dead than Samantha.”という、「二人が同じであること」と「二人が違うこと」を同時に強調しているような説明の仕方は、自分と他人の境界を問題にしている。また、死人ゲームや、すでに死んでいるはずのベビーシッターの存在、深く言及されない母親の死などは、生と死の曖昧な境界を感じさせる。幻想的な世界の中にDisney filmやChanel No.5というポップカルチャーを代表するような固有名詞が唐突に出てくることも、現実と異界の淡い境界を感じさせる。いずれにしろ、二つの観念が対立しているわけではなく、なんとなくお互いに流れ込んでいるような、世界のありかたこそが、夢的でありながら現実的なリアリティなのだと思う。

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夢が可視化できるなら、言語化できるなら、それはもう十分現実だ。現実が可視化できないなら、言語化できないなら、それはもう十分夢だ。そこになんの違いがあるだろうか。僕たちは、起きたことを何も、正確に再現したり客観視したりできないし、だからすべては夢のような現実で、現実のような夢だ。ただ、その中にいる。

珍しく1限に出た朝

2007-11-01 01:20:55 | その他
電車が混んでいた。
四谷駅でたくさんの人が降りた。
ドアの脇でiPodを聴いていたら、突然耳を引っ張られた。
乗客の一人がiPodのコードに絡まり、
僕のポケットに入っていた本体を引きずり出して、
ホームと電車の間に落下させたのだった。
僕の耳には何も鳴らさないイヤホンだけ残った。
その時聴いていたのは、Bob DylanのKnockin' on Heaven's Doorだった。

ちーん。