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自分のノートが汚くて読めないので代わりのメモです。

青の稲妻

2007-04-14 02:16:48 | 映画評
監督・脚本: ジャ・ジャンクー  2002

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中国の一地方都市でくすぶる二人の青年。浪費され空回るエネルギー。テレビから流れる国家のWTO加盟や首都北京でのオリンピック開催のニュースに返すべくリアクションもない。彼らの生活も家族関係も恋も、ありふれたサクセスストーリーのようには展開せず、ありふれた失敗とすれ違いがあるばかり。焦燥と生ぬるい日々が絡まりあい、どこまでも着地しない。暴発と言う程でもない空回りで、映画は幕を閉じる。でもそれが、くらりとくる程、生々しい現実感を引き起こす。

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言い様のない不安に襲われた。青年がバイクを走らせ、エンストを起こす。いくら踏み込んでも、エンジンがかからない。延々そのシーンが長回しされる。それが彼らの、そして自分自身の生活や人生のアナロジーだと思えてくるのは、監督の意図ではなく観る側の勝手な解釈だ。でも、自分自身の現実と、もう少しスケールの大きい生活観や人生観と、そのスケールの小さな一場面が、奇妙にシンクロする。怖くなる。主人公たちの生活と行動はどこまでも不毛だが、そうでない日々や人生などあるのだろうか。あまり言葉を発さず、冷めていながら、愚行に走る。走らされる。それは悲劇だけれど実は唯一のまっとうな道で、それ以外の道はすべて作られた偽物に思えてくる。ブラウン管を通して伝わってくるニュースが、中国の明るい未来を映し出しながら、それが少しも彼らの生活と交点を持たないように。

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人物の周りの空気が殺伐としていて、いつもどこか悲しいのだけれど、同時に画面の中に常に濃密なエネルギー、あるいは狂気、が満ちて、その気配が映画の外の現実にまで伝染してくる。物語が、現実に対して、物語の放棄と現実の直視を訴求してくる。