Notebook

自分のノートが汚くて読めないので代わりのメモです。

4月

2020-04-16 09:37:18 | その他

だいたいずっと、はんぶんは外出を自粛してるみたいな生活をしてきたから、この状況自体は苦でもなんでもないけれど。こんなときには、ずっと会えていない人たちのことを考えてしまう。ここに書いてもしかたないけれど、元気かな。平和な朝を迎えているかな。わたしにとっていちばん穏やかな朝は、子どもの頃、ベランダで祖母が植物の水やりをしたあと撒いたパンくずに、電線で待ち構えていたスズメがわっと集まってきて、その様子を白いレースのカーテンの内側から祖母がにこにこ眺めていて、その様子を絨毯に寝っ転がった自分が眺めている、その朝の記憶だ。谷川俊太郎が「朝はその日も光だった」と書いた、そういう朝が、今日もやってくる。家の周りの雑草をむしったりしました。4月。


2020

2020-01-14 22:58:05 | その他

昨年はひっそりとちいさな本屋をはじめてみて、とても楽しかった。今年は久しぶりにちいさな雑誌をつくりたい。うれしいことも悲しいことも、良くも悪くも過ぎ去らずに蓄積していく——「人生」とか「世界」とか「他者」とか、そういうとても大きなものに対する印象や感慨もそうだ。と、思ったそばからぽろぽろと抜け落ちていったりもする。でも失ったと思っていた言葉がまた戻ってきたりもする。そういうものを、別のかたちで、ためておいたりほうりだしたりする先があるといいなと思う。

   ◾︎

自分にとって学問・研究・教育というのは、どうやら読むことと書くこととフェアであることを交差させようとする行為なのだとわかってきた。いまだにあんまり向いていないようにも感じるけれど、生きているかぎり、読むことについても、書くことについても、フェアであることについても、考えていきたいという気がしている。それは私にとって人生のすべてでは全然ないが、いまのところ、人生における大事なことのまずまず多くを占めてはいる。自分のことばかり書いていますが、みなさまご無理のないように。楽しい瞬間がたくさんあると良いですね、今年もどうぞよろしくお願いします。


12月

2019-12-25 20:00:36 | その他

いつからか、リズムというものがとても気になっている。月とか年とか、ほとんどただの恣意的な区切りでしかないものに対して、いろいろ感じるところがある。そして、生命的なリズムとか、自然のリズムとか、音楽のリズムとか、文学のリズムとか、そういった無数の、多層の、切断と結合が、わたしの人生そのものにとってとても重要であるように思う。マラルメが、魂というのはリズム的な結ぼれなのだということを述べていると知って、非常にがつんときた(わたしはフランス文学の良い読み手ではないけれど、人生のわりとたいへんな時期に読んでいたのは、カミュだったり、サン=テグジュペリだったり、なぜかフランスの作家なのだった)。魂はリズム的な結ぼれ。その含意を十全にわかっていないとしてもなお、たしかにそのとおりだと思います。12月。


2019-11-28 22:14:56 | その他

今まで生きてきていちばん後悔しているのは、飼っていた犬のたまに、もっと優しくしてあげたらよかったということ。エサをあげるときも、散歩に連れていくときも、もっとコミュニケーションをたくさんとったらよかった。なんでもないときにも、もっと小屋に行って一緒に遊んだらよかった。もっと時間を共有できたらよかった。私はたまの晩年にはすでに一人暮らしをしていたから、会う機会もめっきり減ってしまっていたけれど、ちゃんと家族全員が揃ったタイミングを選んで、たまは静かに死んでいった。もうずいぶん前のことだ。あとから悔やんでも、それはつねにあまりに遅すぎる。せめて少しでも丁寧に、物事と向き合いたいと思うよ。

   ◾︎

急に冬がきた。


2019-08-31 23:23:50 | その他

歩いて職場に通えるようにしたので、満員電車に乗る機会が激減した。ただただよかった。苦手なものごとを減らせるように環境を変えることはとても大事。しばしば大変な事態というのは訪れるものだけれど、弱ったときにもなんとか残しておきたいのは環境を変える力だ。その選択肢を忘れないように生きていきましょう、という思いを強くする。夏。いまは踏切の多い街に住んでいます。先日、家からそう遠くない河原で花火を眺めていたら、後ろの方にも小さく花火があがっていて、横にも小さく花火があがっていることに気づいた。3箇所の花火大会が重なっていたらしい。どの花火もそれほど近いわけではなかったから河原に集まる人の数もまばらで、私をふくめたそのまばらな人びとが、くるくると前を見たり後ろを見たり横を見たりしながら、それぞれとくべつきれいな花火を見つけたり見逃したりしていて、なんだかおかしかった。


4月

2019-04-14 00:31:26 | その他

なんかここじゃない、という感覚は、すぐに訪れたり、数年経って訪れたりするのだけど、たぶんそれは大事な感覚だ。ここじゃないと、しっかり思ったら、移動すればいい。すぐであっても、数年経ってからでも。それで、そういう移動をくりかえしているうちに、そろそろ気がつくのだった。どうやらどこでもないのだと。そうすると実は、移動していくこと自体が大事であるようだと思ったりもする。4月。


10月

2018-10-11 22:40:42 | その他

ひきつづき、次に住む土地のことを考えている。同時に、去る者の視点で、いま住んでいる街を歩きまわっている。この街は坂と信号がやけに多い。10月。


6月

2018-06-22 15:04:29 | その他

住んでいるアパートのほぼ目の前に、巨大なタワーマンションが建ちつつある。鉄の骨が伸びていく様子を日々観察している。夜の鉄骨には息を呑むなにかがある。マンションが完成する前に、この街を出よう。6月。


2018-05-18 23:44:06 | その他

朝、ときどき聞きなれない鳥の声がする。携帯のアラームは少し感じが悪い。昼間、部屋にいると、向かいにある消防署の訓練の掛け声が時報がわりになる。小金井市では夕方4時30分に「イッツ・ア・スモール・ワールド」が流れる。と、思ったら最近は5時だ。日が延びた。夜遅くなると、日中は聞こえない電車の音がかすかに部屋に侵入してくるようになる。夜中、ようやく眠りの世界に入ろうかというときに、冷蔵庫がごつんと鳴る。

   ■

知人のことを、そのひとの好きな音楽とセットで記憶に収めている場合がある。性格や見た目以上に、好きな音楽が形成するイメージのようなものは(そのイメージが裏切られる場合も含めて)、たぶん割合大きな要素としてある。

   ■

幼い頃、祖父がいちどだけピアノで弾いてくれた「おおスザンナ」が、ときどき脈絡もなく思い出される。祖父のイメージともあまり重ならないその曲が、どうにもぎこちないテンポでぽろん、ぽろんと頭のなかに流れてくる。しかも、そのとき祖父は曲の歌詞を英語で私に教えてくれた。Alabamaがどこにあるかも、banjoがどんな音色かも、というよりその音の連なりが地名や楽器を表していることさえもわからなかったけれど、ともかく私はその奇妙な言葉を必死に頭のなかに刻み込んだ。その記憶にどういう重みがあるのかもよくわからない。ただ、こうした音は、私をはっとさせるすべての音は、今でもずっと、つまらない日常から少しだけずれていて、私が位置している地点の「外」につながる入り口でありつづけている。


2018

2018-03-31 00:45:49 | その他

私にもやっと2018年が来ました。しばらくカフカ的世界に迷い込んでいましたが、出口のようなところを抜けました。それはまた、次の迷宮の入口なのでしょう。

   ■

美しいものを思い描いたりする日々を送ろうと思う。


11月/夢

2017-11-10 23:01:00 | その他

小学校低学年の頃、学校帰りに祖父母の家に行って、祖母にレコードをかけてもらうのが好きだった。大きなスピーカーから流れてくる渋い音楽。低音が体を震わせるような不思議な感覚。それが心地よくて、長い時間飽きもせずにプレーヤーの前に座っていた。あるとき、購読していた学習雑誌の付録に赤いソノシートがついていた。さっそく、祖母にこれをかけてとせがんだ。いつも祖母が選んでくれる「大人の」レコードでなく、「自分の」レコードを聴けることが、なんだかとても誇らしかった。「一週間の応援ソング」というような特集で、各曜日に合わせて選ばれた7曲が収録されたソノシート。そのうち2曲が、ブルーハーツの「夢」と「情熱の薔薇」だった。あとの5曲はよく覚えていない。いや、爆風スランプと森高千里が入っていたような気がする。ともかく、そのときはじめてブルーハーツの音楽を聴いて、すっかり気に入った私は、繰り返しそのレコードをかけてもらっては、姉とそれらの曲について語り合ったりしたのだった。「俺には夢がある 両手じゃ抱えきれない」という歌詞について、私と姉で意見が一致したのは、「夢が両手で抱えきれないなんて当たり前だよね!」ということだった。夢というのはたぶん、もっとずっとずっと大きいものだと思っていたのだ。基本的には今もそう思っている。11月。


9月

2017-09-14 14:47:47 | その他

9月。雨の中、空港から東京駅へとバスで向かっているとき、あ、夏が終わったと感じた。「人は成長するし、変わる。だから一緒にいて一緒に変われるようにしたほうがいい」というアドバイスをある人にもらって、それは本当にその通りだなと日々実感しつつ、それぞれ別の場所で別の方向へと変わっていくのもまた、悪いことではないのだとも思う。変わることはとめられない。それは、いつであっても、どんな条件であってもそうだ。「多様」の方へ進むことを、「ひとつのかたち」から自由になることを、つねに肯定したい。なぜなら、色々な人がいるということだけがたぶん、私にとっての救いだから。


7月

2017-06-30 23:52:16 | その他

ニューヨークで知り合ったある友人は、最後まで本名を教えてくれなかった。僕の前ではMattと名乗っていたけれど、違う場所では違う名前を使っているそうだ。日本のことに詳しくて、話を聞いてみるとしょっちゅう日本に来ているらしく、しかも僕がかつて住んでいた街に滞在していたという。じゃあ、あそこのガストわかる? えー、わかるわかる、よく行ってたよ、とか、そんな話で盛り上がった。2015年7月、約1年間のアメリカ滞在が終わる直前の短いあいだ、僕たちは時々会っては雑談する仲だった。

   ◼︎

一度だけ、Mattの部屋に行った。タイムズスクエアにほど近い、すごくいい場所だったのだけれど、彼の部屋は日本人の感覚から言ってもかなり狭かった。四畳半とか、そのくらい。部屋は散らかっていて、椅子もないから、Mattはベッドの上に、僕は座っていいと言われた段ボールの上に腰を下ろした。ちょっと待ってて、と言って、Mattはミキサーで野菜ジュースを作ってくれた。見たことのない緑色の野菜を使ったジュース。名前も教えてもらったけれど、忘れてしまった。ちょっと苦かった。それからMattはオレンジ色の錠剤を取り出して、飲む? と聞いた。僕は反射的に、え、要らないと答えた。ビタミンDだよ、とMattは言った。これ毎日飲んでると、ガンになる確率が40%減るんだ。そうなの? そうなんだよ、そんな簡単なこと、もっと早く知っていれば、母さんは死ななくて済んだと思う。Mattは本当に悔しそうな表情をした。もちろん僕には40%という数字が、本当に根拠のある数字なのか、わかりようもない。母親に限らず、Mattは親戚を何人もガンで亡くしていた。だからすごく怖い、死ぬのが怖いんだ、とMattは教えてくれた。これ見て。Mattが指差したのは壁に貼られた大きな水彩画だった。草原のなかに一軒の家が描かれた、とても爽やかできれいな絵。母さんが描いたんだよ、と彼は愛おしそうに言った。いい絵だね、と僕は言った。彼は優しい顔で、静かにうなずいた。僕はその絵と、そのときのMattの表情を、ときどき思い返す。

   ◼︎

Mattは健康オタクだった。野菜ジュースとサプリの錠剤ばかり飲んでいた。そして、日本のとある宗教を信仰していた。修行のためにたびたび日本に来ているのだった。ニューヨークにもその宗教の施設があって、たまに集会に誘われたけれど、僕は一度も行かなかった。強引な勧誘はしてこなかった。心細さや、死への恐怖、切実さが、会話や行動の節々から伝わってきた。優しくて、神経質だった。あるとき、電子レンジは絶対病気のもとだから使っちゃだめだよ、と言われた。でも君が好きなガストでも電子レンジ使ってるよ、と僕は何の気なしに言った。Mattの表情がみるみるこわばるのがわかった。もう二度とガストには行かない。Mattは悔しそうにそう言った。目がぎらついていた。ガストを好きだった過去の自分と、電子レンジを使うことに不安を抱いていない僕が、許せないみたいだった。Mattの不安と恐怖がありありと伝わってきた。僕には返す言葉がなかった。それからほどなくして僕は日本に帰国した。Mattもちょこちょこ日本に修行に来ると言っていたけれど、あれ以来、僕たちは会っていない。彼が信じているもの。信じていないもの。その思いの強さが、ただ強烈に僕のなかに焼き付いている。少しでも不安のない生活を送れているといいのだけれど。


4月

2017-04-30 00:14:23 | その他

考えることをさぼっているとツケがまわるよと、夢のなかで怒られた。4月。

   ■

のんびりしすぎていて、行きたい場所まで行くのに5年とか10年とか、平気でかかってしまう。おまけに方向音痴。だいたいこっちで合っているだろうか。


3月

2017-03-22 13:06:29 | その他

大学の入学式があった日のこと。式そのものは覚えていない。たくさんの人で賑わっていて、緊張と昂揚のようなものがいたるところに漂っていて、なんだか所在がなかったのを覚えている。なぜだか新入生全員がもう知り合いになっているように思えて、勝手に輪からはじかれた気分になってもいた。中学も高校も出て、やっと集団の空気のなかで生きなくて良くなるものだと思っていたのに、あんまり変わらないのかもしれない。と、いうようなことを考えていた記憶がある。春特有の、浮ついた空気も苦手だった。式が終わって、自分が入る学部の建物の前でぼんやりしているときに、気さくに話しかけてくれた男の子がいた。同じ学部の新入生だ。彼のジーンズの後ろポケットには文庫本が入っていて、取り出して見せてくれた。山田詠美の『ぼくは勉強ができない』だった。なぜだかよくわからないけれど(そして私は山田詠美の良い読者であったこともないのだけれど)、その瞬間、ここには自分の居場所があるかもしれないと思ったのだった。それから10年以上経って、ひょんなことで彼の活躍ぶりを知り、その日のことを思い出した。あの瞬間のひらけた感じが、いまも私のなかに残りつづけている。どうもありがとう。