牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

4月5日(金) 「栄えに満ちた喜び③」 D・M・ロイドジョンズ著

2013-04-05 06:34:03 | 日記

 昨日カボチャの種をまいた。農場はまだ雪がおそらく50センチくらい積もっているので無理なので、ビニールハウスの中でのポッド育苗である。8月の直売用に向けて早く収穫したいと願っている。4月に入りこれでいよいよ仕事始めになった。


 さて本書である。著者は聖霊のバプテスマについてプロテスタントサイドの例をあげていたが、ここではカトリックサイドの例をあげている。17世紀フランスの人であった歴史上まれに見る天才の一人ブレーズ・パスカルである。彼はローマ・カトリックの信徒であった。本からの引用。「彼(パスカル)が亡くなった時、シャツの内側に縫い付けられていた彼の自筆の紙切れが発見された。それは特筆すべき体験を記述した覚え書きであった。」

 恵みの1654年のこの日
 夜の10時半から12時半頃まで
 
 炎
 アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神
 哲学者や賢者の神ではない
 安全、感動、喜び、平安
 イエス・キリストの神
 あなたの神は私の神
 この世は、そして神以外のすべては忘却の彼方へ
 神を知るのは福音を通してのみ

 人の魂の偉大さ
 ああ、義なる父、この世はあなたを知りません
 しかし、私はあなたを知っています
 喜び、喜び、喜び、喜びの涙
 私は自らをイエスから遠ざけてしまった
 私の神、どうしてあなたは私をお見捨てになったのですか・・・・
 あなたから永遠に引き離されることがありませんように
 これこそ永遠のいのち、彼らがあなたを知りますように
 ただ唯一の神あなたを、
 あなたが遣わされたイエス・キリストを
 イエス・キリスト
 イエス・キリスト
 私は自らをイエスから遠ざけてしまっていた
 私はイエスから逃げ、イエスを拒絶し
 十字架に付けたのです

 私がイエスから離れることが決してありませんように
 イエスは私の心の中におられます。福音の教えによって


 パスカルは驚くべき体験をした。すなわち聖霊体験をしたのである。彼はこの後変わった。本からの引用。「この時以降、彼はこの世から、つまり数学の研究から退き、ポートロワイヤルにあった団体、当時のヤンセン派の人となった。そこで、あの有名は著作を書き始めた。非常に深遠で感動的な『プロヴァンスの手紙』『パンセ』である。彼は有能な哲学者であり、科学者であったが、真にこの知識と理解に至ったのは、この一度の体験によってであった。しかし、何にもまして彼が強調するのは、「喜び、喜び、喜び、喜びの涙」である。これは使徒ペテロが、ペテロの手紙第一一章で言及している「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜び」である。、、、、、、これは自分で奮い起こすものではない。パスカルは集会に出ていたわけでもなかった。賛美歌やコーラスを果てしなく繰り返し、自分を熱狂へと駆り立てていたわけでもなかった。いや、聖霊が働かれる時は、人はその働きをあおる必要はないし、お膳立てをする必要もない。聖霊がすべてをしてくださる。」


 結局、プロテスタントであろうがカトリックであろうが、関係ないといえる。一人ひとりがいかに聖霊のバプテスマを体験するかである。その目的はイエス・キリストをほめたたえ(礼拝)、イエス・キリストを宣べ伝えること(伝道)である。


 本からの引用。「聖霊のバプテスマの第一の目的と作用とは、疑いなく、私たちを主イエス・キリストとその救いについての証人にさせることであるのは疑いない(使徒の働き1章8節)。」

 「聖霊のバプテスマの最高のテストの一つは、特に主イエス・キリストをほめたたえたいという願いがあるかどうかである。、、、、聖霊に満たされた人が最初にすることは、神に語り、神をほめたたえることであり、その第一の望みは、主イエス・キリストをほめたたえることなのである。だから、聖霊に満たされた人々は、「素晴らしい神の御業を語り始める」のである。」