牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

4月6日(土) 「栄えに満ちた喜び④」 D・M・ロイドジョンズ著

2013-04-06 06:27:20 | 日記

 本からの引用。「教会の務めとは、キリスト・イエスにあるこの素晴らしい救いを、この世に伝えることである。主イエスはこの世の唯一の希望である。、、、、しかし、問題は、私たちはどのようにすれば、それができるのかである。私たちは主イエスについての真理を知っているが、主イエスご自身がそれだけでは不十分だと教えておられる。キリストは訓練した使徒たち、すなわち、地上にいる間に生活を共にし、主の死と葬りを目撃し、復活の証人だった弟子たちにさえそう語られる。「あなたがたは、いと高き所から力(聖霊)を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカの福音書24章49節)」 そしてペンテコステの日に、主イエスは彼らに聖霊のバプテスマで力を送られた。つまり、聖霊のバプテスマの目当ては、キリストのご人格と御業を、力を伴って証しできるようにさせることだと言えよう。それゆえ現在、私たちがこの教えを理解すること以上に重要なことはない。」

 現代の日本の教会に力がない理由は明白である。それは聖霊の力の欠如である。主イエス・キリストでさえ聖霊の力によって働きをした。そしてイエス・キリストの働きを引き継いだ使徒たちと初代教会も聖霊の力によって働きをした。私たちも原点に戻って聖霊の力を受け、聖霊の力によって働きをしなければ何もすることはできない。しかし、聖霊が注がれれば無限の可能性がある。何でも起こり得る。日本を見ればキリスト教は停滞しているように見えるかもしれないが、世界に目を向ければキリスト教は成長している。すなわち、人々はイエス・キリストを自分の救い主と信じ、希望と平安を得て、人生が変えられている。それが起こっているのはなぜか。理由は簡単である。聖霊の注ぎがあるからである。


 続いて本からの引用。「神の聖霊が臨む時、最も平凡な人でさえ巨人となり、集会を震わし、霊的な感化を他の人々に与え、彼らを変革することができる。これが神の方法である。これが教会である。これが新約聖書のキリスト教である。これが話す価値のある唯一のキリスト教である。」

 聖霊を軽視するキリスト教と教会は必然的にいのちを失う。当然である。しかし、著者は霊的なものだからといって何でも受け入れることを警告している。本からの引用。「 「霊を見分けなさい」「霊をためしなさい」「すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい」。 これは、神の教理を尊重し、教会の現状を懸念する私たちが担うべき重い責務である。神は、聖霊のバプテスマと、不思議な現象や心霊現象の混同を禁じている。というのは、もし混同すれば、不思議な現象を拒否する人は、聖霊のバプテスマをも拒否してしまうからである。これら二つは、別物として分けて考えなければならない。」

 この世には聖霊ではなく悪霊による不思議な現象がいろいろある。目に見えないが聖霊が実在するように悪霊も実在する。霊的な領域に軽々しく踏み込み、心を開くと悪霊に捕らわれる結果になることがある。私がインド宣教旅行に行った時に、教会で集会を持ったが、明らかに悪霊に捕らわれている女性がいた。説教の後、彼女のために祈った。主イエスは悪霊を追い出され、使徒たちに悪霊を追い出すように命じられた。彼女は両親に連れて来られていたのである。10年間も捕らわれていたと話してくれた。私は「主イエス・キリストの御名によって悪霊よ出て行け」「彼女を解放しろ」と命じて祈った。彼女は男の声で話した。悪霊が彼女の口を介して話していたのである。彼女を解放したくなかったのである。20-30分祈っただろうか。彼女は暴れ、のたうちまわった。激しい霊的な戦いであったが、ついに彼女から悪霊が出て行った。彼女は10年間も捕らわれていた悪霊から解放されたのである。力強い聖霊の働きであった。彼女自身とご両親が大いに喜び、教会に集まっていた人々が喜び、神の栄光が現されたのである。彼女はこの後、すぐに主イエス・キリストを自分の救い主と信じた。これが霊的な現実である。