日々のつぶやき

人生半ばを過ぎた中年男のつぶやきです。。。

「定年後のリアル」と「定年7年目のリアル」を読んでいます

2014年12月23日 | 読書
まだ、ちょっと先ではあるが、やはり定年後が気になって、この手の題の本をよく書店で手に取るが、この本は思わず買ってしまった。

何に惹かれたのかと言うと、あまりにも普通の日常で、「なんとなくそうなると思っていたけどやっぱりそうだよね」ということが書かれている。

結局定年になっても、そんなに豊かになるわけではなく、好きなことと言っても特別毎日するわけではなく、公園に行ったり、喫茶店で時間をつぶす毎日。でも、定年後の人々はそれなりに個性があり、人それぞれ・・・

周囲の定年後の人を見ていても確かにそんな感じだし、でも、中には、現役の時に身に着けた技術を乞われて海外に出かける人もいたり、やはり、ひとそれぞれ・・・だと思う。

自分は定年後どう過ごしたいのか、今の地位やこれから定年までの地位がどうであろうが、退職してしまえば、ただのおじいさん(おじさん、と言いたいが)になってしまう。

まじめに、「どうなるのだろうか」と考えると怖くなるが、この本にも玉村豊男氏の文章を引用して、「人生はコントロールできない。与えられた現実の中で努力して生きていくしかない」と言っている様に、「結局自分でコントロールできる部分はたかがしれていて、日々足元を努力するしかない」以上、あまり先のことを考えすぎない方がいいのかもしれない。いや、いいのだと思う。

秀吉の、「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」という通り、この世で生きることは、はかないもので、何かに執着しない方がいいのだと思う。人間万事塞翁が馬。ということなんだろうなあ、とこの本を読んで改めて思った。と書いてみて、なんかネガティブな文章になった気がしているが、ネガティブなことを言いたいのではなく、肩の力を抜いて、楽しみながら生きることが大切なのだと言いたかったのだ。私の場合、「楽しみ」とは好奇心の充足であり、いろんなところに行き、人と会い、知らなかったことを知り、楽しい経験をすることだと思っている。

まとまりの無い文章になってしまいましたが、今日はこの辺で。



若い男性の海外に出たがらない傾向について

2014年12月14日 | 生き方
今日の日本経済新聞を読んでいて、20-24歳の日本人男性の14%しか海外に出かけていない、という記事を読んだ。また、海外に興味が無くなっている、という内容だった。

本当なのかどうか、一概に言えない様な気がする。

私自身、田舎で、家も裕福ではなかったので、高校を卒業するまではほとんど田舎の実家で過ごした。遊びに行くのは山や川、田んぼ。。。秋にバッタをとったり、収穫後の藁を積み上げたところに高いところから飛び降りたり。時々空を飛行機が飛んでいくのを見て、飛行機のチケットが高いことを思い、「一生のうちに飛行機に乗ることはあるのだろうか?」と思っていた。

父が音楽に興味があり、チェロを習わされて、毎週木曜には学校から帰ったら父の車で二時間ほどかけて西宮の先生のところに習いに行っていたのが、少ない都会との接点。日曜は西宮での少年少女合奏団、というのに出かけてチェロを弾いていた。

田舎の関西弁しかしゃべることができなかった私は、都会で関東弁のイントネーションで話す、田舎には絶対いないようなきれいな女の子達がまぶしく、話しかけることなど絶対にできなかった。

中学時代には、神戸の塾になぜか毎週日曜に通っており、姫路までバスで一時間、姫路からJRの新快速で一時間の合計二時間の冒険であり、楽しみだった。その塾では結構上位の成績であり、ある時塾が終わって、楠公さん(楠正成をまつった神社)を歩いていたら、同じクラスの女の子に待ち伏せされて、「どこか行かない?」という様なことを言われたが、こちらは早く帰らないとバスがなくなったら大変だし、暗くなるのが怖かったので、とても塾が終わって遊びに行くような余裕はなかった。

私にとって、自分の住む田舎から時々見る都会はとても眩しく、高校に入った時に先生から「東大もOK」と言われた時は信じられなかった。とりあえず、半信半疑で東大を受けてみたら合格し、18歳から東京に出てきたのは良かったが、周りは皆関東弁で話す人ばかりで、一年くらいはホームシック状態だった。学校をさぼって東京駅に行き、新幹線を見ては、「これに乗れば姫路まで帰れる」と良く思っていた。

しかし、一年経つとそういう気分は無くなって、東京の生活になじんだ。最初のコンプレックスもあり、言葉のイントネーションも全く変えて、関東では東京弁、関西では関西弁のバイリンガルになれた。社会人になって、関西出身であることを言うと、驚かれることがあるくらいだ。

東京に出てくると、次は海外にあこがれた。。。しかし、東京弁をようやくマスターした身には英語は荷が重かった。就職は国内売り上げほぼ100%の食品会社に入り、「一生英語は使うことはないだろう」と思っていた。

27歳で、関西でお見合いをして、今の家内と結婚。やはり、家庭では関西弁が話したかったのだ。。。しかし、家内の父は英語の教師で、結婚当初から家内は英語のラジオ講座を聞いたり、セサミストリートを見たり。。。英語が雑音としか聞こえなかったので、「うるさいな」と思っていた記憶がある。

新婚旅行では初めて海外旅行。。。パリとジュネーブへのパック旅行だったが、英語が全く話せず、ひたすらガイドの後ろについて回っていた。

という自分を考えると、20-25歳があまり海外に行かないことは、そんなに問題ではない様な気がする。。。今は皆豊かで、航空券も安いので、昔の私とは違うのかもしれないが。

長くなったので、続きは今度としたい。