毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

もっと大きな絵がある

2015年10月23日 07時20分24秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


私がこういう内的探究に踏み込むきっかけとなった人がいます。

話を聞くほどに すごい人だとあがめるようになり、この人についていけば 悟れるんだ、新しい世界が開けるんだ! と思い込んで 16年。

やっぱり違う と氣づいて、離れることになりました。




初めのうちは、だまされた! と もう悔しくて悔しくて

思い出すたびに はらわたが煮えくり返るようで

それも 時間が経つにつれて薄れていき、あまり思い出すこともなくなった あるとき。




ぱっとひらめきました、あの出会いと別れにも ちゃ~んと意味があったと。

今と比べて格段に 精神世界系の情報が少なかったあのころ、その人のアンテナはすごくて、おかげで 今でも繰り返し読むほど確かな情報に たっぷり触れることができました。

さらに、その人から伝えられた内容も、間違いなく真理でした。

その人から聞いた話、お勧めの本や雑誌 (当時はまだパソコンは今みたいに普及してはいなかったので) からの情報、どちらも 後にいけばいくほど まったくその通りだなぁ、すごいこと知らされていたんだなぁ、という思いがぐんぐん深まり、今に至ります。




私は、その人との出会いから 今のこの探究の土台を築くことができました。

そして、もう十分だ、これ以上はいっしょにいないほうが。。。というタイミングぴたりで お別れしていたのでした。

腹を立てたのは、自分の選択の結果を 相手のせいにして、きちんと受け止めていなかったから。

今ではわかっています、出会ってしばしの時間を共にしたこと 袂を分かったこと、どちらも大きな意味があった、私のためになることだったのだ、と。




何事も 無意味に起こることはなく、起こったことに 過不足もなく。

つくづく この世界は完璧です

人のせいにしているうちは それが見えない、というだけのこと (^^ゞ




「もっと大きな絵がある」 という言葉が好きです (*^^*)

鼻をくっつけるような距離から絵を見ても なにがなにやらわからないけれど、後ろに下がれば その全体が見渡せ、さっき近くで見ていたものがなんだったのかも理解できる。

なんだかよくわからない 好ましくないできごとに出くわしたら、この言葉をとなえます。




時が経ち 今という地点から離れたとき、もっと大きな絵が見えてくる。

その一部として 今体験していることの意味も見えてくる。

だから、今はとにかく この体験を受け止めよう、味わおう。

そして、誰のせいにもしないこと、ってね☆




(*^▽^*)ゞ
























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