「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ的こころ-『「悟り気分」からの脱出』

2017年01月27日 22時04分47秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

私は幼年の頃からあまり活発的でなく、TVばかり観ていました。

今、考えると頭の中でいろいろ遊んでいたのかもしれません。

当時、「根暗」で「活発ではない生活」をしていた私は両親の離婚にあって、

その後、お世辞にも裕福でない生活を高校を卒業するまで続きました。

結局、私が就職の都合で大阪・堺市に住まいを移し、

「自分の稼ぎで自分を賄う」生活は気楽でしかも郷里でいたよりも裕福であった。

離婚して郷里を出る間での7年間は回りの人にお世話になりっぱなしであった。

学生時代の貧乏暮らしはそんなに精神を蝕むことはなく、

それは高校の友人や空手道、同時に通っていたスイミングなどで発散できた。

社会人成り立ての頃から、「精神・哲学・宗教・戦争・経済」となにかと本や雑誌を読んでいた。

話しは脱線するようですが、戦争や経済の上昇や下降のパターンを見ていると

ものすごく仕組みは簡単なように思えてきたのです。

そして「なぜ、人間はこのような単純明快な社会を複雑化するのだろう?」と思い始めたわけです。

なにか、一種「悟りという誤解」をしたんでしょうね。

まだまだ「苦労(修行)が足りぬ身」だったのです。

その後は、「死亡事故」、「爆発事故」それぞれの当事者になって尚更、

人生の転変にサラされると解らなくなる。

多分、「森に入っている」のでしょうね、それでも鳥瞰、俯瞰しようとすると

森の中にあっては無理がある。

一度、森を出なければ森全体を俯瞰・鳥瞰は出来ませんからね。

でも、すっかりと「当事者」という沼に

すっぽりと首まで浸かってしまったのでこれは難しい・・・

今はひたすら「第三の眼」を持つべく鋭意努力しております。

しかしね、時々腹が立つこともありますよ、解ったようなことをいう健常者です。

彼らは「統計(データ)・先達の精神分析学」くらいで障害者を計ろうとする。

なんだか、彼らは「いち科学者」という立場を放棄して

「教科書の刷り直し」を地で行っているような気もします。

また言っちゃったよ・・・\(. .)

今、ちょうど大学を卒業した年齢やすでに入社して1,2年という年頃の若者は

「さとり世代」は、積極的な行動はせず、

会社や学校にいるかもしくは自宅にいる時間が長いのだという。

若者よ!

外に出なければ、悟れないよ!!

 

 

 

 

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