「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ精神世界への誘い 「高齢、障害を嫌う一理由を考える」

2024年05月06日 06時16分05秒 | うつせみの精神世界への誘い
若者なんかのSNSの投稿などを見てみると、例えば「あぁ、30歳になってしまった。爺です。」という感じののものが目立ちます。こういうのを見ると「50で悪かったな」なんて思ってしまいますが、私の年齢から見ると「たかだか30歳ごときでなにを嘆く?」と思います。考えるに20歳の人間から30歳を見ると「あんなふうになりたくない、カッコ悪い」という人を見ているのかもしれない。「私も30歳になったらあんな風になってしまうのか」と。厭う、蔑む、嫌う対象になっているのではないかと…。アンチエイジングなんかは、そのことを端的に表している単語ですね。意味は『アンチ=反抗、反対、排斥』ということですからね。私なんかから見ると「どうせ年取りゃ、体が不自由になったり、外見が醜くなったり、考えが回らなくなってしまうのだから、なぜ悪あがきするのか?」と思ってしまいます。やはり忌み嫌う存在なんでしょうね。格好いい高齢の方は崇拝の対象になっているということは稀有な存在だからなんでしょう。
障害を抱える人を見て、同様の感情を抱くは「あんな風になりたくない」という思いからなんでしょう。相当斜めな見方をすると、看護や介護、支援を職業とする方は恋愛や結婚対象が患者や障害者であることは稀有な存在でしょう。あるとすれば、完治しやすい外傷患者ぐらいでしょう。忌み嫌う対象との間に一線を引くのは人間の正直なのは感情なのかな?と思います。となると、「差別」も自然な感情なのか?さらに考えると「差別をなくす」というのは越えるべき壁ではなくて、叶えられない目標なのではないかと考えます。なので差別する人間とは一線を引いてしまうのも正直なのは感情、行動なんでしょね。


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