江戸時代初期は岩国領の居城となり、山城である横山城は本丸を中心として南西に二ノ丸、北東に北ノ丸、ほかに水の手などの曲輪が配置され、麓には、「御土居」が築かれた。本丸には4重6階の天守などを上げていたが、廃城後は天守は破却されて土居が陣屋として存続した。
城下と城を隔てる錦川に錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出している。城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備された。現在、御土居跡は、吉香公園として整備され、横山山頂には再建天守がある。
岩国城から降りた所に白蛇の展示館が有ります!目が赤くて何とも神秘的な蛇です。蛇は良く神の使いとよく言われますがその中でも白蛇は正に神の使いのごとくとても綺麗です。
私は蛇を見ると髪の毛が逆立つくらいに苦手なんですがこの蛇は見ても何とも無かったですよ~話しの種に一度は見ておいても損は有りませんよ!
地震に耐えるために外壁が石造、内壁がレンガという2重構造になっており、明治時代に導入された石造建築の技術と、日本古来の築城技術などを併用した灯台建築の傑作という点から「歴史的灯台世界100選」(国際航路標識協会選定)にも選ばれています。
その内部も見学できるのでぜひ灯火部分まで上ってみよう。灯台入口には灯台資料展示室も併設。灯台はゴールデンウィークや夏休みにはライトアップも実施されています。
問い合わせ先
備中松山城は、備中高梁駅からかなり距離がある。駅前のレンタサイクルで行く方法も有ります。私達は駐車場までマイカーで乗りつけ本丸まで歩いて行きました。備中松山城は臥牛山上に築かれた典型的な山城であり、したがって山道を歩くことになります。臥牛山の標高は432m、山麓からの標高差は350mとのことで、城主も普段は山麓に住んでいたそうだ。
このお城今年の大河ドラマ「真田丸」のオープニングに使われたお城だと言うことご存知でしたか?何処かで見たことが有ると思ってました。
複雑な構造の石垣が、人々を待ち受ける。住民を治めるための城ではなく、防御のための城だということが分かります。
現存する天守閣は国宝4城含め此処を入れて全国でわずか12城しか有りません貴重な文化遺産です。出来れば全制覇したいものです。
詳しい事はこちらをご参照下さい。
・高梁市観光協会 〒716-8501 岡山県高梁市松原通2043 TEL:0866-212-0229
私達が行ったのはもう何年前でしょうか?4~5年には成ると思います。此処の景色も荒々しい日本海の荒波と風雪に削られた断崖絶壁で凄かったです。
下の方に書いてある救いの電話ですが、公衆電話がありました。見つけた時此処から電話する人はどんな気持ちで電話するのだろうと思いました。
東尋坊は、福井県坂井市三国町安島に位置する崖。越前加賀海岸国定公園に属する。
海食によって海岸の岩肌が削られ、高さ約25mの岩壁が続く。この岩は輝石安山岩の柱状節理でこれほどの規模を持つものは世界に三箇所だけであり地質上極めて貴重とされ、国の天然記念物及び名勝指定を受けている。
地名の由来は、乱暴あるいは恋愛関係で恨みを買って此処から突き落とされた平泉寺(勝山市)の僧の名前による 東尋坊タワーのHP 東尋坊観光遊覧船HP
香住東港から遊覧船「かすみ丸」が出ている。船を操縦するのは「三姉妹船長」。さらに、長女の娘三人の「三姉妹ジュニア」。乗船券の写真の大きさからして、今は「三姉妹ジュニア」の方が売り出し中のようだ。
私達のグループは、「三姉妹船長」の次女が私たちを香住の海へ案内してくれた。乗客にてきぱきと指示や説明をしながら、岩礁を分けて舵を自在に操縦する腕前はさすがだ。地質学的な説明も、ずいぶん多かった。
出航は、9時から16時までの1時間ごと。コースは主に、1コース(黒島・白石島 約20分)、2コース(鎧の袖・松ケ鼻 約60分)、3コース(井笹岬・釣鐘洞門 約90分)の3つである。私たちは14時出航の2コースに乗船した。このかすみ丸も今年の11月で終了だそうです。寂しく成りますね!行かれる方は今のうちです。
香住海岸(かすみかいがん)
山陰海岸国立公園の中心に位置し、海食崖が続く山陰海岸のなかでも、特に起伏に富むリアス式海岸線が続く景勝地。奇岩や洞門が続く。探勝には、香住港から出港する遊覧船かすみ丸が運行している。船を操縦するのは「三姉妹船長」。さらに、長女の娘三人の「三姉妹ジュニア」。船長兼ガイドとして素晴らしい景観を案内してくれる。冬は荒れ狂う日本海だが、一転して夏は穏やかだ。餘部鉄橋(あまるべてっきょう)
アメリカ人技師のウルフェルス氏の設計で、1909(明治42)年に着工され、2年がかりで完成し、山陰本線が京都から出雲市まで開通した鉄橋。列車に乗って、トンネルから抜けた途端眼下に広がる日本海が絶景だ。
1986(昭和61)年12月28日に、日本海からの突風に煽られ、回送中の列車が転落するという大惨事があり、その後は風速20mを超えると運転を見合わせている。そういう歴史をもつ鉄橋だが、今はコンクリート橋に付け替えられています。
箱館奉行所は和風の大きな建築物で、面積は約2700m2でした。戊辰戦争の終盤の戦いでも知られる箱館戦争でもここは舞台になり、旧幕府軍が降伏して五稜郭を明け渡した1869年のあと、1871年に解体されました。ですから、7年間しか存在しなかったわけです。
それから140年。当時あった五稜郭内に箱館奉行所が復元されました。できるだけ当時の工法や材料を採用し、2006年7月に着工した工事は、約27億円をかけて4年がかりで行われました。建物自体が大きいわけですが、それを上回る規模の覆いが設置され、その中で工事が行われてきました。
復元されたとはいえ、当時の3分の1の規模での復元だそうです。建築構造だけでも見ごたえがあるもので、高さ17m、中央部の太鼓櫓は5層で構成され、備後表の本畳は400畳、玄関にはケヤキの梁等が見所。建物中央には中庭があります。
わが町のビッグイベント一つ夏祭りの「三原やっさ祭」が毎年8月お盆前の三日間行われます。
第41回三原やっさ祭りは8月12日(金)13日(土)14日(日)の3日間開催
最初の2日間はやっさ踊り大会で最終日に花火フェスタが有ります本数は意外と少なく5000発です!
三原やっさ祭実行委員会HP
やっさ祭り(やっさまつり)は、広島県三原市で毎年8月の第二日曜日を含む金・土・日に行われている祭典。第1回の開催は1976年。期間中の動員数は約30万人。
祭りの内容
やっさ踊りを中心に、祭り期間中にはJR三原駅前広場に設置されるメインステージで各種イベントが催される。また,最終日には沼田川河口で花火大会が開催される。
やっさ踊りの起源は比較的古く、1567年、小早川隆景が三原城を築城した際にそのお祝い事として始まったものが起源とされる。「ヤッサ、ヤッサ」と声をかけることからやっさ踊りと呼ばれ、その踊りにちなんでやっさ祭りと呼ばれるようになった。また,ヤッサ饅頭(やっさまんじゅう)は、やっさ踊りに由来している。
このやっさ踊り大会に息子の勤める病院のチームも毎年参加しています。もう何回も優勝のやっさ大賞を受賞してる名門チームなんです。
息子が就職した年もいきなり幹事をおおせつかったみたいで、その時も見事やっさ大賞を受賞しました。その時の個人の盾が私の家に有ります
会 場
JR三原駅前広場にメインステージが設置され,駅周辺で開催される。
三原市のHPやっさ祭のページ