人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
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【臨時増刊】東響川崎定期第37回

2012-09-27 05:00:00 | 音楽

9月三連休の最後の日であり、敬老の日の17日(月・祝)東響川崎定期に足を
運んだ。家の中は扇風機が必要だが、外は少し涼しい。三連休とあって、桜木
町~みなとみらいは大賑わい。

この日は、指揮者にロシア国立響の音楽監督ワシリー・シナイスキー、ピアノ奏
者にハンガリー三羽烏(*)の一人デジュー・ラーンキ(61)を迎えた。

(*)ハンガリー三羽烏とは、デジュー・ラーンキ(1951年生)、ゾルタン・コチシュ
(1952年生)、アンドラーシュ・シフ(1953年生)。三兄弟といってもいいかしら
ん。ハンガリーのピアニストといえばフランツ・リスト(1811~1886)であるが、
彼らはその弟子の弟子の・・・・・・にあたるだろう。(余談だが「キミはボクの弟子」
という遊びがあった。)実際、フランツ・リスト音楽院に学んでいる。
ちなみにアンドラー・シフの奥さんは塩川悠子さん。

<プログラム>
1.モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595(*)
2.ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 
指揮;ヴァシリー・シナイスキー
ピアノ;デジュー・ラーンキ(*)
コンサート・マスター;大谷康子


この日は、2曲とも3楽章制--モーツァルトが3楽章とも長調durの曲、ショス
タコーヴィチはすべて短調mollの曲であった。後述するようにソフトな長調とハ
ードな短調という意識的に対称的な取り合わせだった。


1.モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595(*)
 弦5部の配置は、10-8-5-6-3という小型編成。
 軽い柔らかな音を聴かせてくれた。休日のマチネにふさわしい。D.ラーンキは、
イン・テンポの軽いタッチがすばらしい。文字どおり明るい曲だ。これがモーツァ
ルトが亡くなる年の作曲とは!カデンツァもモーツァルトが乗り移ったかのごと
く。第3楽章は、歌曲「春への憧れ」のメロディーが出てくる。
 ラーンキは感受性豊かな青年のようであり、多くの拍手にもけしてドヤ顔をし
ない点が好ましい。

 <アンコール>
 モーツァルト ピアノソナタ 変ロ長調 K.570より 第3楽章
  またしても変ロ長調に、ホールにはピアノの音だけが響き渡った。ラーンキは
 今回の来日でドビュッシーの独奏会を開催する。

2.ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 
 1936年、ソ連政府(共産党?)の圧力により、初演直前になって発表を取り止
めた、いわく因縁ある曲である。発表は取り止めたものの、この次に発表・初演
した曲は第5番だった(笑)。実際の初演は1961年、コンドラシンの指揮によって
行われている。(ショウスタコーヴィチは頭がいい。ちなみにピアノの名手である。)
3楽章ながら演奏には1時間以上かかる。
 こちらは、16型の弦、すなわち16-14-10-12-8という大型編成。ステージに
はこれ以上乗り切れないほど乗っている(写真参照)。

 第1ステージとは打って変わって、出だしからhardな音。シロフォンが大活躍!
第1楽章からドラが出てくる。死が迫ってくるかのリズムがすばらしい!パート譜
なのに、プレストもよく大混乱に陥らないものだ。第2楽章モデラート・コン・モート
も短調から不安をそそられる。第3楽章はコントラバスのピッチカートからファゴッ
トへ。まさしく葬送行進曲である。第3楽章の開始から13分あたりの ff でドラが
一発!ドラを強打した瞬間、奏者がそのバチを落として大慌てとなった。

シナイスキーを聴くのは初めてだったが、シナイスキー恐るべしを実感した一日
であった。



15周年のフラッグ


山田一雄生誕100年の写真展 みなとみらいホール2F
新日本フィル、新星日本交響楽団、新交響楽団を指揮する写真、朝比奈隆、宇
野功芳とのスナップが展示されている。ヤマカズさんの家は本牧間門にあった。


第2ステージ ステージ一杯のオーケストラ席



当日のプログラム







日清カップヌードル バースデイ


無料のカップヌードルに大行列


歩く歩道も混んでいる












大道芸に集まる人々


大道芸の季節




桜木町駅前


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