神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 突変世界 異境の水都

2018-02-22 21:43:57 | SF

『突変世界 異境の水都』 森岡浩之 (徳間文庫)

 

いつの間にか日本SF大賞を受賞していた『突変世界』の前日譚が、これまたいつの間にか出ていた。徳間文庫の新刊なんて、チェックしていなかったから仕方がない。

すごい天変地異が起こっているのに、町内会規模でゆるゆるだった『突変世界』とは異なり、こちらはそれなりの緊迫感。とはいえ、最悪だったという久米島移災とはまた別の話。

今回は大阪移災のエピソードがメインとなる。前作との違いは、移災が大規模であり、ある程度の政治的中枢を含む災害だったということだろう。さらに特筆すべきことに、まだ政府が移災に対する備えを固める前でありながら、複数の集団が独自に移災に対する準備を始めていたということ。

当初は無意味な狂人のたわごとだった教義が、偶然に(←ここ重要)移災と重なり、信者を増やした新興宗教集団。警備会社や倉庫管理会社を含む商社グループ。さらには、暴走族がサバイバリストと結びついた世紀末ヒャッハー集団が複数。

このような大規模災害が起こった時に、サバイバル可能な集団は何かという思考実験としては、なかなか面白い。あとは、ゾンビでお馴染みのショッピングセンターとか、大規模工場なんかもサバイバル集団として有望な気がする。少なくとも前作の町内会よりは。

しかし、いろいろなエピソードはあるけれども、やはりどうにも、手ぬるさとうか、ゆるさというか、悲壮感が足りない気がする。

主人公は信仰宗教団体の教祖の娘の警備を依頼された、商社グループの警備員。ひょうひょうとした雰囲気の青年でありながら、格闘技は意外に強くて、予想外のピンチにも安心だ。

銃器の撃ち合いでひとがバタバタ死んでいるというのに現実感が無く、馬鹿馬鹿しさと苛立ちの方が先に来る。わずかな出番しかないチェンジリングの方が、はるかに悍ましい。これはわざとやっているのだろうか、それとも著者の性格的な限界なのか。

舞台となった関西系のノリも影響しているのかもしれない。なんとなく関西弁だと笑わなければいけない強迫観念が出てくる。関西でこんな話をやってはいけないということか(偏見)。

それよりも気になったのが、移災の原因への言及。ちょっと量子力学に喧嘩を売っているのではないかというレベルの仮説なので、それは無いんじゃないかと思った。

移災の原因解明や、それに対する対策などは、時間軸的には前日譚となるこちらの作品の方が進んでいるので、その対策の結果というか、落としどころは気になる。そういった意味ではシリーズ化して欲しいのだけれど、ディザスター小説としてはもっと切迫した危機感と悲壮感が欲しい。

こういうのこそ、シェアワールド化したらいいんじゃないかな。設定も単純だし、「憑依都市」みたいな揉め事も少ない気がする。

 


[SF]スチーム・ガール

2018-02-21 22:12:19 | SF

『スチーム・ガール』 エリザベス・ベア (創元SF文庫)

 

「少女は蒸気駆動の甲冑機械を身にまとう」という惹句が印象的で、Web上の感想もそれに引っ張られたものが多かったけれど、想像していたのとはかなり違った。

舞台はゴールドラッシュ時代のアメリカ西海岸。ただし、スチームパンク的なパラレルワールド。

主人公はお針子さん。とは言っても、これは当時の隠語で、娼婦を示す。つまり、寸法を正確に測るには裸にならなければならないというわけだ。日本で言うと、お風呂屋さんですかね。

そこで出てくるのが、蒸気駆動のミシン。全身を覆うような形状で、分厚いデニムも簡単にひと縫いだ。これが“蒸気駆動の甲冑機械”なわけ。なにしろ、ミシンの語源はmachineだからな。

そんなスチーム・パンクな世界で、娼館どうしの勢力争いやら、娼婦を狙う連続殺人鬼やら、テスラ・マシンみたいな催眠装置やら、ロシア人やらフランス人やらが大騒ぎ。泣けるし笑える傑作アクションSFだった。

解説では「『ハックルベリー・フィンの冒険』の主人公を16歳の娼婦にしたよう」とのローカス誌の評が引用されているけれど、読んでいて思い出したのは、『赤毛のアン』や『あしながおじさん』といった少女文学。世界名作劇場でアニメ化されているようなやつだ。

主人公カレンの一人称は、原作の文体もそうなのだろうが、訳文もあえてそういった名作に似せた文体にしてるんじゃないだろうか。このミスマッチがなかなか面白かった。

そして、著者にとっては、甲冑機械よりもこっちの方が本題のようだ。

主人公のカレンは父親が事故死したせいで娼館で働くことになった娼婦だが、お金を貯めて牧場を開くという夢に向かって前向きに生きている。ほかにも、娼館には様々な理由で割を食わされたわけありの少女たち(ゲイのおっさんまで)が集まっている。しかし、彼女たちも明るく、前向きに運命を切り開き、これ以上女性が虐げられないように世の中を変えていこうとする。いわば女性の解放を描いた作品でもあるわけだ。

過酷な境遇にありながらも、ユーモアを忘れず、自ら運命を切り開いていく少女の姿は、たとえ甲冑機械をまとった娼婦であっても、世界名作劇場の主人公たちに負けない尊さがあるのである。

そして、女性であろうと男性であろうと、読者は彼女たちに共感し、応援し、その冒険を見守るしかないのである。

 


[SF]シルトの梯子

2018-02-20 22:43:25 | SF

『シルトの梯子』 グレッグ・イーガン (ハヤカワ文庫)SF

 

おなじみイーガンの、イーガンらしいハードSF。

相変わらず、ハードな部分はなんとなくしかわからないが、それを取り去ってしまうと、わりと甘美な絆(それを恋愛と呼ぶのかどうか)の物語なのかもしれない。ただ、いろんなものが取り込まれ過ぎていて、物語としては何となくとっ散らかってしまった印象も否めない。

 

以下は、どういう話であると理解したかという個人的なメモのようなもの。

真空(いわゆる宇宙)は結節点と複数の辺からなる格子(グラフ)でできている、らしい。このへんは、良くわからないが、そもそも架空の理論なので、そういうものだと理解しよう。そこで、グラフを組み替えてしまうと、新たな真空(つまり別な宇宙)が生まれる。そんな実験をしてみたら、一瞬で掻き消えるはず(その状態保持のためにエネルギーが必要だから)の新たな真空は、ドミノ倒しのようにグラフを組み替え続け、光速の半分という爆発的なスピードで、我々の真空を飲み込み始めた。これが大惨事の始まり。

ところが、そんな大惨事においても、コード化して無限に近い寿命を持った人類には、充分に観察する余裕があった。人類は新しい真空と共存する、つまりはいずれ宇宙を明け渡す“譲渡派”と、新しい宇宙の拡大を止め、さらには消滅させようとする“防御派”に分かれ、宇宙が宇宙を喰らう最前線で観測を続ける宇宙船〈リンドラー〉の中で大論争を始める。

“譲渡派”に与するチカヤは、“防御派”の中に、なんと幼馴染のマリアマを見つける。ふたりには、幼き頃に分かち合った秘密があった。ふたりの絆は友情なのか、恋愛なのか。性を超越し、解放された人類にとって、その感情は我々旧人類に理解できるほど単純ではないだろう。

曲線にそって平行線を移動させ続ける“シルトの梯子”。しかし、惑星儀上(つまりは曲がった空間)のふたつの異なる曲線にそって動かし、一本の矢が再び出会ったとき、その方向は異なってしまう。「矢を前に運ぶ方法はつねにあるが、それはお前が取る道によって変わる」。その言葉通り、再会したふたりのベクトルは“譲渡派”と“防御派”に分かれてしまっていた。

そんなとき、新たな真空が知的生命体の存在を示唆する反応を見せる。その事件は、ふたりのかつての秘密を呼び起こし、ふたたび“間違い”を犯さないように、ともに行動を始める。

そして、破壊工作があり、事故があり、ふたりは新たな真空へと落ちていく……。


宇宙の浸食は光速よりも遅いのだから、移動し続ければ危険なんて無いよ、という譲渡派の意見は、頭では納得するものの、どうしても感覚的に共感できない。それはやはり、物質に縛られた旧人類の限界なのかもしれないけれど、どうなんですかね。

あと、まったく別に、ちょうどこれを読書中に「ヴィーガンフェミニズム論争」 に出会ってしまって、ちょっと考えてしまった。物語上は新しい真空に生まれた生物が知的生命体であり、意思疎通もできてしまうから、たちが悪いのだけれど、それでは、どの程度のレベルだったら“譲渡派”から“防御派”へ宗旨替えする人が出るのだろうか。あるいは、単細胞生物のような生命体を、全く別な物理法則の宇宙において、自然現象と区別を付けることは可能なのだろうか。もちろん、真の“譲渡派”にとってはそんなことは関係ないんだろうけどさ!

そんなわけで、とっ散らかっているのはお前の頭だ、っていう結論ですかね。