神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[映画] GODZILLA ゴジラ

2014-08-24 23:59:59 | 映画

『GODZILLA ゴジラ』

 

立川シネマシティの爆音上映イベントで体感。

ゴジラは思ったよりゴジラだった。ハリウッド的な“ガッジラ”ではなく、まさしく東宝リスペクトな怪獣映画としてのゴジラだ。

実際に中身が入っていようがどうだろうが、着ぐるみ的なゴジラと昆虫的なモンスター、ゲネル・セルタスMUTOが戦うシーンは恰好が良過ぎる。

って、なんでMUTOなんて名前なんだよ。お前は、ザ・グレート・ムタか!

もちろん、ドラマシーンが陳腐だとか、ジャンジラ市ってどこだよ的な突込みはわかるが、それって昔のゴジラからの伝統じゃないか。怪獣映画に繊細なドラマを期待するなよ。

ゴジラの体型はさすがにアメリカンサイズ。ちょっとおデブ気味だが、ヘビー級のプロレスラーだと思えばこんなものだ。傍若無人に突き進む感じがよく出ていて良いかも。

爆音上映はもっと耳に突き刺さるのかと思ったけど、意外にうるさいとは感じなかった。しかし、ゴジラの吠え声や爆音で身体が震えることを実感できるくらいの絶妙な音量だった。これって、BGM、SE、会話と、トラックごとに音量のレベルを変えてるだろうな。

ゴジラの設定は日本版ゴジラを基本的に引き継いでいるとはいえ、さすがアメリカンと思ったのが水爆実験の位置づけ。

日本版ゴジラでは、水爆実験の放射能によって巨大化したのがゴジラという設定で、核による汚染に対して自然(=神)が怒るという日本的な自然崇拝の解釈だった。

一方、ハリウッド版のゴジラでは、水爆実験は米軍によるゴジラを殺そうとした作戦であった。しかし、ゴジラはそれにびくともせず、人間たちを無視し続けた。これはアメリカ人の自然観に即しているように思う。

原爆=ゴジラを生み出したという原罪をアメリカという国家に背負わせることを嫌ったという解釈も可能なのだけれど、自然というものに対する意識の差が表れているという解釈の方が、自分にはしっくりくる。

それにしても、ゴジラとMUTOの破壊はすさまじいことになっていた。やっぱり、アメリカのサイズはいろいろ違うな。ネバダから東に向かえば、このサイズ同士でも不毛の荒野で勝手に決闘しただけで終わったかもしれないのにね。

 


[SF] 図書室の魔法

2014-08-18 23:00:57 | SF

『図書室の魔法(上下)』 ジョー・ウォルトン (創元SF文庫)

 

ヒューゴー賞、ネビュラ賞のダブルクラウンに加え、国幻想文学大賞受賞も受賞した話題作。

主人公は15歳の少女モリ。気が狂った母親に双子の妹とともに殺されかけ、まだ会ったこともない生みの父親に預けられ、故郷ウェールズから離れたイングランドの片田舎の寄宿女子高へ入れられてしまう。周囲から孤立した彼女が頼るのは、本と妖精たちだけだった。

本(小説、物語)によって救われる人生というのは、ここら界隈ではよくある話で、本読みな方々ならば多かれ少なかれ、共感せざるを得ないと思う。さすがにここまで壮絶な人生からの逃避を経験したわけではなくとも。

しかし、この小説で特徴的なことは、舞台となる1979年から80年にかけての英国SF事情がばっちり載っていて、実在の小説や作家に対する愛情や辛辣な批判にあふれていることだろう。

『指輪物語』への偏愛、『ナルニア国物語』に対してキリスト教的影響が語られることへの違和感、駄作秀作の振れが甚だしいハインラインへのアンビバレントな想い、ティプトリーが女性だと分かった時の衝撃、ゼラズニイやマキャフリーの新たな発見など、ちょっと背伸びした15歳のリアルな感想が、ページをめくるたびにあふれてくる。

さらに、学校で孤立していた彼女が出会ったカラース(by『猫のゆりかご』 カート・ヴォネガット・Jr)である仲間たちは、SFファンダムを通じて、世界SF大会へつながる道だった!

これをSFファンが読まずにどうする。っていうか、明らかにピンポイントで狙い撃ちしてるだろ、これ。

そういうSFグラフィティの裏では、悪い魔女である母親との対決を軸としたマジックレアリズムな世界が繰り広げられる。

死んだ双子の妹モルと妖精たちは、時には母親から逃れる手助けをしてくれたり、時にはモリを魔法の世界へとらえようと誘惑したり。

伯母たちが送ってくれたピアスを魔法封じだとして恐れ、せっかく出会えた仲間たちも魔法の結果であって、本心から彼女のことを好きなわけではないのではないかと疑うのも、モリが魔法を心底から信じているせい。

そうでありながら、語り手であるモリがどこまで真実を語っているのかは読者の判断に任せられており、そもそも妖精どころかモルの存在すら確かではない。

そんな魔法の世界も含めて、モリの葛藤の発露として読み解くことによって、彼女が最終的に至った結論を素直に喜べる。彼女は手遅れになる前に、カラースとの出会えたのだ。

いくつもの痛みを抱えた少年少女たちが、早く彼らのカラースに出会えることを望む。みんな、もっと早く出会えれば良かったよね。

 

あー、蛇足だけど、モリが憧れるSF大会は1980年前後の米国版SF大会なので、昨今の日本SF大会に活字系のカラースとの出会いを期待すると、当てが外れるかも。

 


[映画] トランスフォーマー/ロストエイジ

2014-08-14 21:52:31 | 映画

『トランスフォーマー ロストエイジ』

 

映画見てからwikipediaなんかを見直して、へーそんな話だったんだといろいろ驚く。。

ロックダウンが何者かいまいちよくわからなかったのだけれど、忘れてるだけかと思ったら新キャラかよ。創造主の話とかはちゃんと理解できなかった。俺の理解力の問題なのか、映画の出来の問題なのか。みんな、ちゃんとわかったのか、っていうか、わからなくても楽しめるんだけど。

とにかく、トランスフォーマーがグリングリン動いて、ドッカンドッカン派手にやってくれれば満足な映画なので、それ以上を求めてもしょうがないか。

たとえば、金属化した恐竜化石が発掘されたのが北極になっているんだけど、どうしてそれをおかしいと思わないのか。北極なんて海の氷上なんだから、どこから流れてきたんだそれ。せめてシベリア、もっと言えば、南極にしておけば、突込みも少ないだろうに。こういうバカ話ほど、細部にこだわるべきだと思うのだけど。

ロックダウンとオプティマスの対決以外では、前半の親娘の葛藤ストーリーは退屈という意見もあるけど、悪くないんじゃないですかね。新しい主人公は以前の主人公ほどボンクラでもないし(少なくともオプティマスを修理して、光線銃をぶっ放すし)、ヒロインの娘もかわいいし。

ただ、予告編から恐竜が戦う話だと想像していたので、そこは拍子抜け。リアルな恐竜は冒頭にしか出てこなかったよ。もっと恐竜プリーズ。

恐竜型トランスフォーマーのダイナボットはロックダウンの監獄船に捕らえられていただけで、別にタイムスリップしたわけじゃなかった。新しい仲間が必要だって、四体だけかよ。もっともっと恐竜プリーズ。

それでも、ダイナボットたちのリアルな動きや、疾走するスピード感はよかった。期待以上にグリングリンでドッカンドッカンだったよ。

トリケラボットとかアンギラスボットとか(え、スピノサウルスだったの、あれ)が空に吊り上げられるのを嫌がって、ビルの壁面でまごまごする場面は可愛らしくてなごんだりもした。(いや、生死を賭けた戦闘中なんだけど)

原題のサブタイトルは「Age of Extinction」で、直訳すると「絶滅の時代」。つまり、6500万年前の恐竜絶滅が人類に対しても発動するというテーマがしっかりと現れていてわかりやすい。

一方で日本語タイトルの「ロストエイジ」になってしまうと、どうしても恐竜の方に主眼が移ってしまい、人類絶滅はどこへやらということで、人類絶滅なんてしないじゃんという過剰宣伝に見えてしまう。このタイトルはミスリードだと思う。

だって、結局、壊滅しているのは香港一都市だけじゃないか!

 


[SF] さよならの儀式

2014-08-12 20:48:44 | SF

『さよならの儀式 年刊日本SF傑作選』 大森望/日下三蔵 編 (創元SF文庫)

 

毎年恒例の年刊SF傑作選。少数派なのかもしれないけれど、怪しげな四文字熟語造語なタイトルが気に入っていたので、今年から表題作パターンになってしまい残念。

もちろん、年間ベスト級な短編は当然収録されているのだけれど、中には内容よりも話題性から選ばれたかに思える作品も見受けられ、2013年に発表された短編のベスト作品を集めたというよりは、2013年のSF出版界で何が起こっていたかという資料の側面が強いか。

出版事情が変わってきて、この年刊傑作選の位置付けも変わってきたのだろうけれど、個人的には面白いSFが読みたいだけなので、作品の内容だけで勝負して欲しい気持ちが強い。

いや、当然、選者はこれがベストなんだというだろうけど。

……こんなこと言っちゃなんだけど、『夏色の想像力』の方が面白い作品がいっぱい載ってたよ!

 

あ、そういえば、大事なことを思い出した。おれ、『SF Jack』がまだ積読のままだよ!

 


「さよならの儀式」 宮部みゆき
ロボットにはどこまで自由意識があるのか。そこに読み取れる感情は、ひとがただの人形から読み取る感情以上のものか。そして、ひととロボットの違いは。ありきたりな感動だけでなく、吸い込まれるような不安感も漠然と感じる。

「コラボレーション」 藤井太洋
閉鎖されたネットから脱出しようとあがくプログラムと、そこにプログラマーとしての共感から知性の芽生えを感じて手助けしようとするエンジニア。知性とは何か、生命とは何かというテーマを語り始めたらきりがないが、エンジニア的視点で共感を呼ぶスタイルが新しい。

「ウンディ」 草上仁
個人的には収録が見送られた「ドラゴンスレイヤー」の方が好きなのだが。この作品は音楽SFとして素晴らしいのだろうけど、楽器をやっていないせいか、文章で語られた音楽がいまひとつピンと来てない。

「エコーの中でもう一度」 オキシタケヒコ
空想の付かない科学小説といった感じ。音響技術を通してクロスする二つの出来事のギャップがなかなか楽しい感じ。

「今日の心霊」 藤野可織
写真を撮ると必ず心霊写真(デジタルでも!)になってしまうという女性を追ったルポ記事の体裁。ブログを作って炎上して、また別なブログを作ってというあたりが、人はなぜブログを書くのかという深遠な(笑)テーマに引っかかっていて面白い。

「食書」 小田雅久仁
小説を味わうという表現が文字通り存在したらどれほどホラーかということを描いたホラー。たしかにこれは一枚食べたら戻れなくなりそう。

「科学探偵帆村」 筒井康隆
昔の筒井っぽい。こういう馬鹿話も由緒正しい日本のSF。

「死人妻(デッド・ワイフ)」 式貴士
名前は聞いたことあるけど、ほとんど読んだことのない作家だし、冒頭だけじゃ。年刊SF傑作選に入れるべきなのかどうかも議論の余地あり。

「平賀源内無頼控」 荒巻義雄
最後を端折っちゃった様に見えるところがどうしてもマイナスポイントに見える。同人誌初出なので、商業誌用に加筆して欲しい。

「地下迷宮の帰宅部」 石川博品
俺つぇーーーーー系の異世界ものファンタジーかと思いきや、捻くれた結末が物悲しい。

「箱庭の巨獣」 田中雄一
アルパカみたいな麒麟の顔がユーモラスだが、それとはかけ離れた悲壮な話。その結末では、あまりにも救いがないじゃないか。

「電話中につき、ベス」 酉島伝法
SF大会へ行こう小説。さすが酉島伝法、このネタをそうやって料理するか。

「ムイシュキンの脳髄」 宮内悠介
「盤上の夜」で見せた架空ノンフィクションの形式で語られるオートギミーという架空の脳治療。オーダーメイドの脳という概念に倫理観が揺らぐ。

「イグノラムス・イグノラビムス」 円城塔
未来とは何か、時間とは何か。我々は知らない、知ることはないだろう。主人公が最後に流す涙の意味は、諦観なのか、あるいは、歓喜なのか。

「神星伝」 冲方丁
これは楽しい。アニメ原作っぽい感じだが、やりたい放題にやっている様子が見えて良い。

「風牙」 門田充宏
第5回創元SF短編賞受賞作。選評を読む限りは「ランドスケープと夏の定理」の方が面白そうだ。こっちの作品は、完成度が高いうえに世界観がなじみ深いので、そのためか引っかかりがなくてすんなり流れて行ってしまう感じ。いや、これはこれで面白いんですけど。

 


[SF] 夏色の想像力

2014-08-12 20:13:04 | SF

『夏色の想像力』 今岡正治 編 (草原SF文庫)

 

第53回日本SF大会「なつこん」記念アンソロジーである同人誌(笑)

印刷、製本、表紙の紙まで創元SF文庫と全く同じ。くりかえしますが、似せて作ったのではなく【同じ】です。 

同人誌といっても、執筆陣は創元SF短編賞受賞者だけでなく、日本ファンタジーノベル大賞受賞者やハヤカワSFコンテスト出身者、さらには日本SF大賞受賞者や星雲賞受賞者なども取りまとめて超豪華な布陣。しかも、この豪華執筆陣の原稿料はゼロ円。

こんなネタみたいな企画に、いったいどうしてこんなに新人SF作家から大御所SF作家までが集まってしまったのか。なんでも、野崎まど氏なんかは原稿料の無い仕事はやらないと断ったらしいが、それがプロとしての正しい姿。(参考:プロの仕事にタダはありえません

要するに、SF大会というお祭りの一環という認識が正しいのだろう。だからこそ、SF大会を“知って”いる作家たちが集まってきたのだ。そうとしか考えられない。

しかも、創元SF文庫そっくりの装丁や、これだけ集めて原稿料ゼロというネタ的なおもしろさ以上に、収録されている小説が噂にたがわぬ傑作揃いでびっくりした。来年の星雲賞どころか、日本SF大賞も狙えるレベル。

なつこんでは「なつこんアンソロジー「夏色の想像力」を語る」という企画もあったのだが、そこで明らかにされた面白すぎる原稿依頼秘話も、各短編の扉裏でその一端が垣間見られる。

ただし、いくら同人誌と言っても、誤植多いのだけが残念。“の”が不自然に連続したり、一読してわかるような誤植、誤記がいくつもあるのだが、それぐらいチェックしとけよと思う。(これでも元某大学SF研会誌編集長なので!)

 


「つじつま」 円城塔
円城塔がらみで英訳、和訳の話題が続いているが、これは円城塔が英語で発表した作品の、本人による和訳版。相変わらずの円城節だが、最終的に“つじつま”があっているかどうかは良くわからなかった。

「あなたは月面に倒れている」 倉田タカシ
本人曰く、月面大喜利。月面に一人の男が倒れているというシーンからの着想を積み重ねることによって生まれた幻惑感が心地よい。

「伝授」 北原尚彦
これもなんと英語で発表された作品の本人による和訳。発表の場が震災チャリティ小説集だったことが、作品に内容以上の意味を与えているように思う。

「お悔みなされますな晴姫様、と竹拓衆は云った」 山田正紀
エリスンとはまったく無関係の歴史SF。ノリのいい文章が著者本人のノリノリ感を直接的に読者に伝えてくる。竹で作った壮大な時間装置はスチームパンクを越えたバンブーパンクとでもいうべき面白さ。

「弥生の鯨」 宮内悠介
資源小国としての日本の未来と鯨文化の生き残る道。奇妙な組み合わせがSF的な広がりを見せる。実はSF傑作選収録作よりもこっちの方が好き。

「一九八五年のチャムチャム」 高山羽根子
「不和 ふろつきゐず」 高山羽根子
「宇宙の果てまで届いた初めての道具」 高山羽根子
「ウリミ系男子とロイコガール」 高山羽根子
ショートショート4連発。目次と扉のタイトル表記が違うあたりが同人誌的。どれも“つくば”という土地とSFというテーマにこだわった作品で、一番企画意図を理解していると思われる。「不和」の怪談めいた雰囲気もいいけど、「宇宙の果てまで……」の切れ味のいいオチが素晴らしい。

「再生」 堀晃
心臓手術の体験から生まれた幻想的なエピソード。重要なモチーフになる猫が印象的。

「筑波の聖ゲオルギウス」 忍澤勉
ゲオルギウスと言えば、農夫で竜退治。江戸時代、筑波の地で再現されたゲオルギウスの物語をファースト・コンタクトに絡めて描くコメディ。なつこんでの企画が割とネタバレで、一番面白いところは語りつくされていた。

「金星の蟲」 酉島伝法
現代の工員が酉島的世界に徐々に落ち込んでいく。足元を崩され、底なし沼に沈んでいくような恐怖感で狂いそうになる。宮内氏に続き、SF傑作選収録作よりもこっちの方が好き。

「星窓 remeix version」 飛浩隆
SF Japan掲載作だが、単行本未収録なので一応新作、かつ、さらにバージョンアップ済み? モラトリアム時代の終わりの、かけがえのない夏の匂いを感じる。

「夢のロボット」 オキシタケヒコ
なつこんの企画で話していたのであらかたネタは割れてしまっていたが、なるほど、確かに日本人が夢見るロボットの集大成はアレだな。結末はわかっていても、そういう話だったのかという持って行き方にものすごい納得感あり。

「イージー・エスケープ」 オキシタケヒコ
なんどもひっくり返す系のミステリ。そこに至る想いと絆が心を打つ。

「折り紙衛星の伝説」 理山貞二
これは宇宙を目指す少年の夢とロマン。これはいずれSFではない科学小説になるべき。

「百年塚騒動」 理山 貞二
“フィクションをフィクションとして楽しめる方のみ、先へお進みください”という注意書きから始まるところが味噌。そういうデリケートなネタというほどのものではないと思うけど。逆に、こういうものを正面から描けることこそSFの本懐。そして、これはそのタイプの名作。

「アオイトリ」 下永聖高
昨今の若者の“自分探し”をSF的にデフォルメするとこうなるというまさにコンテンポラリーな作品。本人が書いた直筆の挿絵も味わい深い。ありえる未来やありえた過去を描くSFでも、こういう同時代性は重要だと思う。

「常夏の夜」 藤井太洋
いちばん騙されたっぽいのがこの人(笑) つまり、一番真摯に作品を作ってくれた感じがする。ネタは完全にバカSFなのだけれど、この人が書くと、ちゃんとした科学スリラーになるところが凄い。

「錐爺」 勝山海百合
タイトルは円錐が主人公の作品を書こうとした名残らしいけれど、そんなの円城塔ぐらいしか書けないだろ(笑) 内容は円錐に関係ないファンタジーだった。

「焼きつける夏を」 三島浩司
SFではスローグラスというネタガジェットがあるが、それを自力で成し遂げた男の話。ある意味感動的だけれど、その執念はちょっと怖い。

「キャラメル」 瀬名秀明
これはメタフィクションなのか、それとも続篇なのか。元ネタとなる小鳥の“歌”は2007年のワールドコンNippon2007の企画での発表にあった気が。そして、それが2010年の東日本大震災(瀬名さんは仙台在住)の体験と結びついて生まれた作品。知性や感情とは何かをめぐる、瀬名さん永遠のテーマに連なる作品のひとつ。震災後の子供たちにとってひとつぶのキャラメルが持つ意味が記憶に残る。

 

※編集が甘いと文句を言う記事に誤字脱字が多くて申し訳ありません。推敲して見ました。 (2014.09.15)

 


[SF] SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

2014-08-09 17:59:00 | SF

『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』 チャールズ・ユウ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

著者のチャールズ・ユウよりも、訳者の円城塔がフィーチャーされた小説。

確かに、文章は円城節だし、ストーリーも円城塔が書いてもまったくおかしくない。読みながら、『これはペンです』みたいな家族小説だと思っていた。いや、もしかしたら、チャールズ・ユウの存在自体が円城塔の創作なんじゃないかとか。

解説を読むと納得。ああ、あの、あれか。

つまり、彼は『道化師の蝶』所収の「松ノ枝の記」に出てきた、主人公が翻訳によって交流する小説家の元ネタだ。その小説はタイムマシンものだとちゃんと書いてある。(のだそうだ。そこまで覚えていない)

チャールズ・ユウの紹介を読んでも、これまた納得。どこまでも、円城塔と趣味が重なる人物のようだ。ここまで合致すると、ドッペルゲンガーなレベル。どちらかがどちらかのペンネームであってもおかしくない。いや実際にそうなのかもしれない。(だから違うってば)

SF大会(なつこん)の企画、「翻訳家パネル」では、嶋田洋一が訳したピーター・ワッツの『ブラインドサイト』をさらに英訳するとか、英訳された円城塔の『Self-Reference Engine』を和訳するとか、酉島伝法の「皆勤の徒」を和訳するといった話で盛り上がっていた。

これはそれらの話の先取りだったのだな。円城塔が和訳した『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』をさらに英訳するというのほ、本当に面白いかもしれない。できればチャールズ・ユウに。って日本語わからないか。

そういうメタ的な話も面白いのだけれど、小説自体もなかなかおもしろい。

 

主人公(その名もチャールズ・ユウ)はタイムマシンの修理工という設定なのだけれど、このタイムマシンの原理が怪しくて、言語文法をエンジンに時間軸を移動しているらしい。このあたりのネタは、チャールズ・ユウ(著者の方)の両親が台湾出身で中国語ネイティブということが関係しているんじゃないだろうか。中国語には時制がないから、日本人同様、英語の厳格な時制の扱いに苦労すると聞くし。

そして、舞台の宇宙31は現実世界ではなく、計算機上に存在する仮想世界である可能性が示唆されている。しかも、量子力学の多世界解釈のように分裂していく世界であることが想像できる。

主人公がとらえられ、脱出するループは明らかに世界を分裂させている例であると言える。しかも、これはどうも、自分が自分に出会うことによって発生する特殊例のようだ。

そんな感じで延々と、この世界=宇宙31の設定や仕組みを議論することもおもしろいのだが、あくまでそれはSF的設定ではあるのであけれど、すべては主人公の心象のメタファーなのだよね。

つまり、タイムマシンによる過去への旅は追想であり、未来は可能性なわけで。そして、世界が分裂するのは後悔や逡巡や改心や、もしあの時そうしていたらという気持ちのメタファーなんじゃないかな。

でも、SFファンとしては、そういった背景よりも、このSF的な宇宙の仕組みについて、延々考え続ける方が楽しい。

 


[SF] SFマガジン2014年09月号

2014-08-09 17:49:54 | SF

『SFマガジン2014年9月号』

 

特集は毎年恒例の夏休み向けブックガイド「夏の必読SFガイド+α」、そして「ダニエル・キイス追悼」の二本立て。

夏の必読SFガイドについては、どの辺が“+α”かよくわかりませんが、注目アンソロジー収録作リストがそれですかね。

ガイドのラインナップは7月号のオールタイムベストSFなので、出版社のブックフェア連動版とは違って、版元品切れが混じっているのは残念なところ。特にハヤカワは責任取ってなんとかしなさい。

近頃はSF読者人口は増加傾向にあるようで、近くの書店でもSFマガジンが面陳2、3冊から平積み10冊に変わっている。そんな中でのブックガイドはそれなりに価値があるのだろう。しかし、毎年こういうガイドものを読んでいると、「あらすじは知っているけれども読んだことが無い本」とか、「読んだけれどもあらすじを忘れてしまっている本」とかが入り混じって、どれを読んだんだか読んでないんだか、だんだんわからなくなってくる。

読んだはずの本を読みなおすと、思っていたのと違ってパラレルワールドに落ち込んだような不思議な気分が味わえます(笑)

 

一方の「ダニエル・キイス追悼」は訳者の小尾芙佐氏のエッセイなど。

なぜか日本だけで売れているという話は聞いたことがあるが(ダニエル・キイス文庫を作っちゃうくらい)、その理由が日本人特有の精神にあるのではないかという分析はおもしろかったけれど、うさんくさい精神分析論にも似ていて、ちょっと眉唾っぽい。

とはいえ、うまくマーケティングに乗っただけというには売れ過ぎなので、やっぱりそこには日本好みの何かがあるんだろう。もちろん、小尾さんの功績も計り知れないわけで。

 

「SFマガジン創刊700号記念 歴代編集長トーク・イベント」は7月号の延長戦みたいで面白かった。早川編集部って、結構むちゃくちゃなんじゃないの。

 


「無窮花(ムグンファ)〈後篇〉」 吉上亮
マジで気持ちが悪いです。本当に気分が悪いです。それくらいの迫力で描かれた心の闇。そりゃ、世界をぶっ壊したくなるわ。もちろん、それで正当化されるわけではないのだけれど。

「θ(シータ)11番ホームの妖精 本と機雷とコンピューターの流儀」  籘真千歳
IT企業に勤務する端くれとしては、笑い飛ばせない問題を含むコメディ。かと思いきや、それを逆手に取った罠だった、と。でも、やっぱり結末より前半のインパクトの方が強い。

 


[映画] オール・ユー・ニード・イズ・キル

2014-08-09 17:33:12 | 映画

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

 

桜坂洋の原作『All You Need Is Kill』をトム・クルーズ主演でハリウッド映画化した作品。原題は『Edge of Tomorrow』へ変更されているが、日本では原作タイトルでの公開。

いわゆるループネタの作品なので、今となってはハルヒやまどマギのおかげで、どうしてもインパクトが小さくなってしまう。でも、原作は10年前のラノベ(スーパーダッシュ文庫)だからな。

原作ではTVゲームでのリセットによるループを肯定的に描き、どんなに失敗してもあがき続けろという強烈なメッセージを投げかけてきた(と記憶しているが、10年前なので違うかも)が、この映画では“ゲームにおけるリセット”という観点は削除されているように感じた。

映画はどちらかというと、ループ内の幻の恋愛というせつなさを描いたラブストーリーになっている。自分にとっては何度も会っている女性が、次に会うときは、彼女にとっては初対面であり、名前さえも知らないという寂しさ。

小説では描けない映像表現もなかなか面白かった。植物的でありながら動物的なギタイの造形や、圧倒的な物量のアクションはもちろん、何度も様々な形で死に至る主人公のバリエーションがテンポよく繰り返されるシーンは、ある意味では繰り返しギャグになっていて笑える。

トム・クルーズ演じる広報部の少佐も、最初はぎこちない戦闘スーツながらも、次第にスムーズな動きになっていくことで成長をわかりやすく描いていている。

そして、仲間を助けたり、助けなかったり、という行動で心の動きを描いているのもいい感じ。

あの辺りはまさに、まどマギのほむらちゃんを思い出してしまったよ。(……結局はそれか!)

ただ、不満が無いわけではない。とにかく、全体的に話の整合性が無理矢理すぎ。どうしてああいう不完全な理屈を作ってしまうのか。どうしてそんな理屈に納得できるのか。それなら、最初からファンタジーでいいのに。

いつも思うんだけれど、このへんのさじ加減というのは、どうしてこんなに感覚が違うんだろうか。

ハリウッド映画は特におかしいと思うんだけれど、いったいどうして?